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「日枝神社 (沼津市)」の版間の差分

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*紙本著色[[山王霊験記]](重要文化財 昭和15年2月26日指定)<ref name="国">[https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/1162 紙本著色山王霊験記]文化庁</ref>
*紙本著色[[山王霊験記]](重要文化財 昭和15年2月26日指定)<ref name="国">[https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/1162 紙本著色山王霊験記]文化庁</ref>
**「山王縁起 十五巻」「日吉社縁起 十五巻」の絵巻のうち、巻第五の一巻に該当する<ref>{{Cite book|和書|author=実行委員会|title=日枝神社鎮座九百年記念誌||date=1996|page= |isbn=}}</ref>。この巻末に、弘安11年(1288年)初春(正月)22日に日枝神社(沼津市)の「後葉之亀艦」として調進されたとある<ref>{{Cite book|和書|author=実行委員会|title=日枝神社鎮座九百年記念誌|publisher=|date=1996|page= |isbn=}}</ref>。
**「山王縁起 十五巻」「日吉社縁起 十五巻」の絵巻のうち、巻第五の一巻に該当する<ref>{{Cite book|和書|author=実行委員会|title=日枝神社鎮座九百年記念誌||date=1996|page= |isbn=}}</ref>。この巻末に、弘安11年(1288年)初春(正月)22日に日枝神社(沼津市)の「後葉之亀艦」として調進されたとある<ref>{{Cite book|和書|author=実行委員会|title=日枝神社鎮座九百年記念誌|publisher=|date=1996|page= |isbn=}}</ref>。
*源頼朝公富士巻狩大釜
*武将の神領認定状
*太刀
*御初尾帳
*槍
*御社用日記
*古鏡
*日枝神社祭礼行列図
*鏃
*玉砥石<ref>{{Cite book|和書|author=笹原敏雄|title=わが街の今とむかし|publisher=|date=1993|page= |isbn=}}</ref>
*立花左近将監の石灯籠
*玉砥石
*長柄の銚子
*獅子頭の面
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== 祭事 ==
== 祭事 ==

2024年3月23日 (土) 07:34時点における版

日枝神社
(沼津日枝神社)


鳥居と拝殿

地図
所在地 静岡県沼津市平町7-24
位置 北緯35度6分4秒 東経138度52分8秒 / 北緯35.10111度 東経138.86889度 / 35.10111; 138.86889座標: 北緯35度6分4秒 東経138度52分8秒 / 北緯35.10111度 東経138.86889度 / 35.10111; 138.86889
主祭神 大山咋神
社格 県社
創建 永長元年(1096年
別名 山王 (さんのう) さん
例祭 9月23日〜24日
テンプレートを表示

日枝神社(ひえじんじゃ)[1]は、静岡県沼津市平町にある神社。他の地域の日枝神社と区別がしやすいように、分かりやすく地名を冠して、沼津日枝神社(ぬまづ ひえじんじゃ)と称されることもある[2][3]

歴史

1096年永長元年)に創建された。当地は関白藤原師通荘園「大岡荘」であった。1095年嘉保2年)、源義綱延暦寺日吉社の関係者を殺害する事件を起こした。義綱の主君である師通は両寺社の訴えを拒絶したため、両寺社の呪詛により38歳で亡くなった。京極北政所(師通の母)は両寺社の恨みを和らげるため、当地に日吉社の分霊を勧請して神社を創建し、88を寄進することになった。これが当社の起源である[4][5]

明治になるまで、当社は22か村の総鎮守であった[5]。明治以降の近代社格制度では、1873年明治6年)に郷社となり、1926年大正15年)には県社に昇格した[1]

1615年元和元年)に発生した火災の後再建し山王宮と名称を変更した[6]1871年明治4年)に日吉神社と名称を変更、1874年明治7年)に日吉神社から日枝神社へ名称を変更した[7]

祭神

境内

御神木(シイの木)
拡大
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御神木(シイの木)
  • 社殿(本殿・相殿・拝殿)
  • 宝物庫
  • 社務所
  • 手水舎
  • 記念碑
  • 松尾芭蕉句碑
  • 御神木(シイの木)
  • 三春の滝桜・山王さんの桜
  • 表参道大鳥居・石造鳥居

境内社

建築

  • 本社本殿
享和三年に総欅銅葦屋根にて造営されたのち、明治二年に屋根の総葦替実施。その後も、雨漏りの修理を幾度と実施し、現在に至る[8]。大きさは三間四方[9]
  • 拝殿
安政元年の震災にて壊れ、明治二年に仮拝殿として改築。その後、明治四十五年に改築を始め大正初期に完成。後年雨漏りにより昭和四十五年に青銅屋根として現在に至る[10]。大きさは間口五間半、奥行四間[11]
  • 鳥居
高さ弐間三尺、明壱間四尺[12]。昭和十年に新築された鳥居があり、高さ十八尺八寸、明十一尺[13]
  • 境内神社
境内神社は四社あり、各社の大きさは1)葛木社間口四尺奥行き五尺、2)竈神社間口四尺奥行き五尺、3)天満宮間口壱間壱尺奥行き壱間三尺、4)琴平社間口五尺奥行き壱間[14]
  • 社務所
昭和十年に改築され、おおきさは間口二間半、奥行き九間三尺[15]

文化財

  • 紙本著色山王霊験記(重要文化財 昭和15年2月26日指定)[16]
    • 「山王縁起 十五巻」「日吉社縁起 十五巻」の絵巻のうち、巻第五の一巻に該当する[17]。この巻末に、弘安11年(1288年)初春(正月)22日に日枝神社(沼津市)の「後葉之亀艦」として調進されたとある[18]
  • 源頼朝公富士巻狩大釜
  • 太刀
  • 古鏡
  • 立花左近将監の石灯籠
  • 玉砥石
  • 長柄の銚子
  • 獅子頭の面

[19]

祭事

日枝神社の例祭は、当殿(トウドノ)と呼ばれる少年と御前女(オマエドノ)といわれる少女による特別神事である白砂運びの神事から始まる。かつては9月23日の朝に当殿が11個、御前女が10個の合計20個の平らな石を千本浜で拾い、錦の袋に入れて日枝神社に持ち帰る神事を執り行っていた。 しかし、交通事情の悪化により狩野川の堤防上の祭壇で執り行うようになった。 。直径5センチほどの石を円形に並べ、当殿と御前女がその石を交互に拾い錦の袋に入れる。その後、本殿に赴き三方に乗せた浜石を神前に献じる。

氏子町内では1723年に豪商樽井幸右衛門から奉納された宮神輿の渡御(とぎょ)が行われる。


  • 七五三詣り(11月15日)
  • 新嘗祭(11月下旬)
  • 師走の大祓式(12月31日)

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 日枝神社 - 静岡県神社庁
  2. ^ 沼津日枝神社 山王さん(公式サイト)
  3. ^ 沼津日枝神社 - 一休.com
  4. ^ 山王さんについて日枝神社
  5. ^ a b 静岡県日本史教育研究会 編『静岡県の歴史散歩(歴史散歩22)』山川出版社、2006年、91-92p
  6. ^ 静岡県郷土研究会 「静岡県神社志」 1941年 P201
  7. ^ 日枝神社鎮座九百年記念誌実行委員会 「山王日枝神社社史」 1996年
  8. ^ 鎮座八百八十年祭実行委員代表内野鹿造 「日枝神社鎮座八百八十年記念誌」 昭和51年9月23日 p.66
  9. ^ 沼津市教育委員会社会教育課 「三枚橋の民族」 1998年10月31日 p.92
  10. ^ 鎮座八百八十年祭実行委員代表内野鹿造 「日枝神社鎮座八百八十年記念誌」 昭和51年9月23日 p.66-67
  11. ^ 沼津市教育委員会社会教育課 「三枚橋の民族」 1998年10月31日 p.92
  12. ^ 沼津市教育委員会社会教育課 「三枚橋の民族」 1998年10月31日 p.93
  13. ^ 沼津市教育委員会社会教育課 「三枚橋の民族」 1998年10月31日 p.94
  14. ^ 沼津市教育委員会社会教育課 「三枚橋の民族」 1998年10月31日 p.93
  15. ^ 沼津市教育委員会社会教育課 「三枚橋の民族」 1998年10月31日 p.94
  16. ^ 紙本著色山王霊験記文化庁
  17. ^ 実行委員会『日枝神社鎮座九百年記念誌』1996年。 
  18. ^ 実行委員会『日枝神社鎮座九百年記念誌』1996年。 
  19. ^ 実行委員会『日枝神社鎮座八百八十年記念誌』1993年。 

参考文献

  • 静岡県日本史教育研究会 編『静岡県の歴史散歩(歴史散歩22)』山川出版社、2006年

外部リンク