サプライサイド経済学
サプライサイド経済学(英: Supply-side economics)は、供給側(サプライサイド)の活動に着目したマクロ経済学の一派で、供給力を強化することで経済成長を達成できると主張する。ただし、この主張が成り立つ為には生産したものが全て需要されると言う非現実的なセイの法則が成り立つ必要がある。この学派に対しては、大部分の経済学者から理論の正当性などに関する強い疑問が呈されている。
後に第41代アメリカ合衆国大統領となったジョージ・H・W・ブッシュは、1980年の共和党予備選において、サプライサイド経済学を「ブードゥー経済学」と揶揄した。
目的
マクロの経済活動は総需要と総供給の均衡によって決まるが、サプライサイド経済学においては、そのうちの総供給側に着目する。 総需要曲線と総供給曲線の交点において国民所得と物価水準が決定されるが、
- 所与条件一定の下で総供給曲線を右側にシフトさせると、国民所得が増加し、物価水準が低下する。
- 所与条件一定の下で総需要曲線を右側にシフトさせると、国民所得が増加し、物価水準が上昇する。
このうち、前者がサプライサイド経済学のねらいである。
政策
総供給曲線の右側シフト(供給力強化)のため、次のような政策をとる。
- 民間投資を活性化させるような企業減税
- 貯蓄を増加させ民間投資を活性化させるような家計減税
- 民間投資を阻害したり非効率な経済活動を強いたりする規制の、緩和・撤廃(規制緩和)
- 財政投資から民間投資へのシフトを目的にした「小さな政府」化
このような政策の結果として、潜在成長率が高まれば政策は成功とみなされる。
歴史
アメリカでは、1970年代の政策迷走の時代を経て、「強いアメリカの復活」を標榜するレーガン政権が誕生する。政権は経済再生策として、サプライサイド経済学に大きく傾倒したレーガノミックスといわれる一連の政策を発表した。
アメリカ経済は1983年に戦後最悪の不景気を脱出したが、現在ではその復活は、ケインズ的な減税とマネタリスト的な金融緩和によるポリシーミックス政策による消費の拡大が要因であり、レーガノミックスの成果ではなかったとされる。実際、1980年代の実質民間投資の伸びは1970年代の伸びを大きく下回っている。この間、短期的利益を追求する資本家(ヘッジファンド、時価会計)が利益を投資に振り向けなかったので、政策のねらいとは裏腹に供給力の増大は起こらなかった。また、イラン・イラク戦争やアフガン戦争のための軍事費が増大したため、サプライサイド政策の実施としても中途半端なものであった。その結果、アメリカ経済は慢性的な財政赤字及び経常収支赤字の二つの赤字、いわゆる双子の赤字に陥ることとなった。
しかし、1990年代にアメリカ経済は低い物価上昇と高めの実質成長を達成した。背景には、技術革新と規制緩和による民間投資の大きな伸びがある。この民間投資の伸びにより、財政バランスは改善。1998年には財政黒字へ転換した。
サプライサイド経済学に基づく政策は、意図せざる経路により影響を残している。
主なサプライサイダー
- ロバート・バートレー(ウォール・ストリート・ジャーナル論説欄担当)
- アーサー・ラッファー(経済学者)
- ロバート・マンデル(経済学者)
- ジュード・ワニスキー(ジャーナリスト)
- アーヴィング・クリストル(ジャーナリスト)
- ジョージ・ギルダー(ジャーナリスト)
関連項目
参考資料
- ポール・クルーグマン「経済政策を売り歩く人々 エコノミストのセンスとナンセンス」日本経済新聞社