NOMOベースボールクラブ
チーム名(通称) | NOMOクラブ、NOMO Baseball Club(野茂ベースボールクラブ) |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | クラブチーム |
創部 | 2003年 |
チーム名の遍歴 | NOMO Baseball Club(2003年~) |
本拠地自治体 | 大阪府堺市 |
練習グラウンド | 堺浜野球場 |
チームカラー | 青色、黒色 |
監督 | 清水信英 |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 1回 |
最近の出場 | 2005年 |
最高成績 | 初戦敗退 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 1回 |
最近の出場 | 2006年 |
最高成績 | 初戦敗退 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | 3回 |
最近の出場 | 2008年 |
最高成績 | 優勝1回 |
NOMO Baseball Club(ノモ・ベースボールクラブ)は、大阪府堺市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球チームである。野茂英雄によって設立された。
概要
社会人野球・新日鐵堺(現在休部)出身のメジャーリーガー・野茂英雄が、社会人野球界の縮小を憂い、また、若い野球選手たちに活動の場を提供するために、2003年に立ち上げたチームである。活動資金は野茂投手が大半を出資するほか、運営母体の特定非営利活動法人の会員からの会費・寄付によっている。
元プロ野球選手が理事・コーチに名を連ね、また練習グラウンドは新日鉄堺の野球場を使うことができるなど、クラブチームとしてはかなり恵まれた環境にある。
2005年、都市対抗野球阪和地区2次予選で、7年連続本大会出場を狙っていた松下電器を5-3で破るなど快進撃を続け、近畿予選で本大会最後の切符を争う三つ巴を制し、創部から2年で都市対抗野球初出場を決めた。同大会では初戦敗退に終わったが、同時に初出場を決めていた全日本クラブ野球選手権では初出場で初優勝を飾った。また同年、ドラフト会議で所属の柳田殖生が中日ドラゴンズから指名を受けて入団するなど、2005年は記念すべき年となった。
また、2006年には社会人野球日本選手権大会への初出場を決めた。前年の都市対抗野球、クラブ選手権と併せ、社会人野球史上初の「日本野球連盟主催3大大会すべてに出場したチーム」となった。
選手は日中はアルバイトをしながら(他企業の正社員として働いている選手もいる)、夜に野球に打ち込む日々を送っている。また、プロで活躍する選手の輩出を目指しているため、スカウトへの露出が高い独立リーグや企業チームに所属選手が移籍することについては寛容である。
設立・沿革
- 2003年 「NOMO Baseball Club」創部
- 2004年 大阪府よりNPO法人認可を受ける
- 2004年 都市対抗野球予選初参加、1次予選突破
- 2005年 都市対抗野球初出場(初戦敗退)、クラブ選手権初出場(優勝)
- 2006年 日本選手権初出場(初戦敗退)
主要大会の出場歴・最高成績
- 都市対抗野球 出場1回
- 日本選手権 出場1回
- クラブ選手権 出場3回、優勝1回(2005年)
- JABA高砂市長杯争奪大会 優勝1回(2006年)
主な在籍選手
主な出身プロ野球選手
- NPB
- 柳田殖生内野手(2005年、中日大学生・社会人ドラフト5巡目)
- 藤江均投手(2008年、東邦ガスから横浜ドラフト2巡目)
- 福元淳史内野手(2008年、巨人育成選手ドラフト4巡目)
- 杉原洋投手(2009年、横浜と契約)
- MLB
- 独立リーグ
- 宇高直志投手(2008年、紀州レンジャーズ)
- 碩野佑紀捕手(2008年、大阪ゴールドビリケーンズ)
- 平松陽介外野手(2008年、大阪ゴールドビリケーンズ)
元プロ野球選手の競技者登録
- 佐野慈紀コーチ(元近鉄、中日、独立リーグ・エルマイラ、オリックス、退部)
- 沼田浩投手(元日本ハム、退部)
- 光山英和コーチ(元近鉄、中日、巨人、千葉ロッテ、横浜、韓国・ロッテ)
- 鈴木俊雄コーチ(元ロッテ、台湾・味全、ミキハウス)
- 辻本聡外野手(元四国アイランドリーグ・高知、退部)
- 小池秀郎コーチ兼投手(元近鉄バファローズ・中日ドラゴンズ・東北楽天ゴールデンイーグルス、退部)
- 杉原洋投手(元千葉ロッテマリーンズ、横浜ベイスターズに入団したため退部)
- この他に、小池と同時に楽天を自由契約になった高村祐は小池と共に同クラブ練習参加(入部はせず)。小池、高村両投手は野茂と同じく近鉄ドラフト1位でプロ入り
その他
ユニフォームのデザインは、野茂が中学生以来のファンだというガンダムがモチーフになっている。