人類館事件
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人類館事件(じんるいかんじけん)、「学術人類館事件」と呼称する場合もある。1903年に大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会の便乗商売として、民間業者が会場外に作った「学術人類館」において、沖縄、朝鮮、アイヌ、台湾高砂族、インド、マレー、ジャワ、アフリカの人々を、民族衣装姿でそれぞれの民族住居に住まわせ展示され、見世物として観覧させた事件である。
特に、沖縄出身の言論人太田朝敷が「学術の美名を藉りて以て、利を貪らんとするの所為」であると抗議し、沖縄の地元紙である琉球新報も差別的であるとして同調、沖縄県全体に非難の声が広がり沖縄出身者の展覧を止めさせた。
当時の世情として太田朝敷や沖縄県民は、大日本帝国の一員であり本土出身者と同じ日本民族だとの意識が広まりつつあったため、他の民族と同列に扱うことへの抗議でもあった。