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最近の結果:
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大会名
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ポイント
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順位
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年
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NHK杯
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182.83
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7位
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2007
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ロシア杯
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206.13
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3位
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2007
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アンドレイ・ヴラジーミロヴィチ・グリアゼフ(ロシア語: Андрей Владимирович Грязев、{{{2}}}ラテン翻字: Andrei Vladimirovich Griazev、1985年7月26日 - )は、ロシアのペルミ出身の男性フィギュアスケート選手。2004年世界ジュニア選手権チャンピオン、2007年ロシア選手権チャンピオン。
経歴
- ロシアのペルミ州ペルミに生まれた。4歳のときにペルミでスケートを始め、11歳でアレクセイ・ミーシンに師事するためサンクトペテルブルクへ拠点を移した。2000-2001年シーズンよりジュニアグランプリに参戦し、2001-2002年シーズンにはジュニアグランプリ2大会で優勝。期待された同シーズンの世界ジュニア選手権では14位と惨敗を喫した。その事がきっかけでミーシンチームから去り、故郷ペルミに戻った。後の師であるタチアナ・タラソワも認める才能はあるが、重圧に弱く波がある選手なのはこの頃からだった。
- しかしその後はコーチが見つからず、ペルミで自己練習に励む日々でスケートを辞めようかと考えていた時もあったという。兄弟子のアレクセイ・ヤグディンによると、その時彼の母が自分に助けを求めて彼から師であるタラソワに見てもらえるように頼み彼女も引き受けたらしい。(頼んだのはヤグディンの兄弟子だったアレクセイ・ウルマノフという説もある)ちなみにヤグディンとグリアゼフはミーシンチームに在籍していた時からの友人で、憧れの人もウルマノフと同じである。
- そして2002-2003年シーズンよりヤグディンとタラソワのチームへ移籍。2003-2004年シーズンの世界ジュニア選手権では優勝を果たした。翌2004-2005年シーズンよりシニアに完全転向し、2006-2007年シーズンにはロシア選手権で優勝。
- 2007-2008年シーズン、ISUグランプリシリーズの初戦となるロシア杯で自己最高得点を更新し3位。2戦目のNHK杯ではショートプログラムで11位となるなど大きく出遅れ、フリースケーティングで巻き返したものの総合7位に終わった。
エピソード
- 1999年9月のプルシェンコ親善ツアーで日本人ファンがサンクトペテルブルクに来訪した時、当時14歳の彼がミーシンチーム有望の選手として紹介されていた。
- ジュニア時代のISUプロファイルの趣味欄には、読書、音楽鑑賞とともに木彫り(woodcarning)と書かれていた。2つ上の兄と一緒にやっていたという。しかし渡米した後のインタビューではやる暇がないと語っており、現在はコンピュータゲームに変わり、木彫りは書かれていない。
主な戦績
外部リンク