山田宏
山田 宏 やまだ ひろし | |
---|---|
ファイル:YamadaHiroshi.png | |
生年月日 | 1958年1月8日(66歳) |
出生地 | 東京都八王子市 |
出身校 | 京都大学法学部 |
所属政党 |
(新自由クラブ→) (自由民主党→) (日本新党→) (新進党→) (無所属→) (日本創新党→) 日本維新の会 |
称号 | 法学士 |
公式サイト | 山田宏ホームページ |
選挙区 |
(旧東京4区→) 比例東京ブロック(東京19区) |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
1993年7月19日 - 1996年9月27日 2012年12月16日 - 現職 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1999年4月27日 - 2010年5月31日 |
選挙区 | 杉並区選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1985年7月23日 - 1993年7月6日 |
山田 宏(やまだ ひろし、1958年1月8日 - )は、日本の政治家。日本維新の会所属の衆議院議員(2期)。
東京都議会議員(2期)、東京都杉並区長(3期)、日本創新党党首、大阪市特別顧問、大阪府特別顧問を歴任した。
経歴
東京都八王子市生まれ。東京都立国立高等学校、京都大学法学部卒業後、松下政経塾に入塾した(第2期生)。松下政経塾の同期には長浜博行、松原仁、嶋聡、海老根靖典、河内山哲朗、神藏孝之、近藤康夫らがいる。
熊谷弘衆議院議員の秘書を経て、1985年の東京都議会議員選挙に新自由クラブ公認で出馬し、史上最年少で当選する(松下政経塾出身者では小野晋也に次いで2番目に政界入り)。新自由クラブ解散後は自由民主党に所属しながらも、松下政経塾の創設者である松下幸之助の意向を受け、「政経塾新党」構想の具体化を模索。そんな中、松下政経塾の評議員を務めていた細川護煕元熊本県知事から新党への参加を請われ、1993年に自民党を離党して日本新党に入党。なお、日本新党結成に加わったメンバーには松下政経塾同期生の長浜博行や野田佳彦、樽床伸二、前原誠司、中田宏らがいる。
1993年の東京都議会議員選挙には出馬せず、後に山田の後任の杉並区長に就任する田中良を支援した。同年の第40回衆議院議員総選挙に旧東京4区から日本新党公認で出馬し、当選。党立法調整委員長(国会対策委員長)に就任する。
1994年、日本新党の解党により新進党結党に参加。新進党では1995年の党首選挙で鳩山邦夫擁立の中心的役割をになった[1]。1996年の第41回衆議院議員総選挙には小選挙区比例代表並立制導入に伴い東京8区から出馬したが、自民党の石原伸晃に敗れ、落選した。その後、再び新党結成に向けて動き、日本新党に参加した野田、長浜、中田らに加え市村浩一郎、海老根靖典、河井淳一、小田全宏、勝又恒一郎、河村たかし、中村時広らが参加して「志士の会」を結成するが、その後の第18回参議院議員通常選挙での民主党の躍進が影響し、新党結成の動きは頓挫する。
1999年、杉並区長に初当選。当初はあくまでも衆議院の議席奪回を狙っていたため区政には関心を示さなかったが、年配の女性支援者から「国を変えるのは地方自治体でもできる」という趣旨の手紙を受け取り、杉並区長選への出馬を決断した。2003年に再選[2]、2007年に3選された。国政では、かつての対立候補だった石原伸晃を支持した。
2010年4月18日には地方自治体の首長経験者らで日本創新党を結成、党首に就任した。5月31日には、第22回参議院議員通常選挙の東京都選挙区へ出馬するため杉並区長を辞職[3][4]。選挙戦では日本創新党から公認を受けたが落選した。
2012年2月、大阪市特別顧問に就任。2012年4月、大阪府特別顧問に就任。
2012年9月、日本創新党を解党し、日本維新の会に参加する。また、東京維新の会設立に伴い、相談役に就任。11月に東京維新の会代表に就任。
2012年11月、第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会から、中・高時代を過ごした東京19区(国分寺、小平、西東京、国立市)で立候補することが決まった。このことについて山田は、同月17日のブログで「私は、長年お世話になりました杉並区でと希望しておりましたが、党本部からの要請で東京第19区となり、特に杉並区民の皆様には本当に申し訳なく思っております。」と述べている[5](山田は国分寺市立第三中学校・都立国立高校の卒業生である)。
2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では小選挙区で落選。比例東京ブロックにて復活当選。衆議院予算委員会理事を務める。
2013年5月23日、日本維新の会を除名された西村真悟の後任として海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員長に就任。
政策・主張
- 保守派であり、教育問題・歴史認識問題などで積極的な行動・発言をしている。衆議院議員時代には石原伸晃と選挙で争ったが、政治信条の面では伸晃の父石原慎太郎や杉並区議の松浦芳子に非常に近い立場にある。
- 教育問題に関して力を入れ、学校校庭を芝生にした。また杉並区独自に教員を採用し養成する「杉並師範館」を開設した。
- 2005年8月、杉並区教育委員会が中学校歴史教科書として「新しい歴史教科書をつくる会」編集の教科書を採択した際に積極的に賛成した。
- 2007年7月13日にアメリカ大使館に手渡された慰安婦問題に関する米下院決議案の全面撤回を求める要望書に、賛同人として名を連ねている[6]。
- 2009年6月16日 、新興宗教の統一協会関係者が代表を務めるNPO法人のイベントで、講演を行っていたことが報じられた[7]。このNPOが主催するイベントでは、統一協会系のNGO団体である天宙平和連合用の受付を会場に設けるなどしていた[要出典]。山田は「統一教会と関係があると分かっていれば、講師を断っていた」としている[7]。
- 在日外国人への地方参政権付与に反対の立場を取る[8]。
- 2012年2月26日、大阪市内で開いた支援団体のパーティーで講演し、河村たかし名古屋市長が「南京事件はなかった」と述べたことに賛同し、自らも南京事件がなかったと発言している[9]。
- 日本のTPP参加に賛成[10]。
- 日本の核武装について、検討すべきでないとしている[10]。
- 女性宮家の設立に反対[10]。
- 毎日新聞2010年参院選候補者アンケートでは「選択的夫婦別姓」に対し「反対」と回答した[11]。
杉並区長時代の主な政策
- 2002年3月、レジ袋税条例。同様の法定外目的税は全国初。5年後に買い物客に占めるレジ袋辞退率60%が達成されれば、課税の実施は見送られることになっていた。目標は達成されなかったものの、区の方針転換もあり、条例は2008年廃止。以後もマイバッグの啓蒙運動などは行われている。
- 2002年8月、住民基本台帳ネットワークへの接続を拒否(現在は選択制に移行中)。
- 2003年3月、区長多選自粛条例を全国で初めて制定し、区長は3期12年を超えた在任を自粛するよう努めることを定めた。
- 2004年3月、「杉並区防犯カメラの設置及び利用に関する条例」。防犯カメラの運用基準を全国で初めて条例で規定。
- 2006年4月、杉並区独自の教員養成塾「杉並師範館」を開設。
- アニメーション産業振興。杉並区役所には「産業経済課アニメ係」があり、アニメを地域振興・地場産業として捉えたのは自治体としては初[1]。
- 拉致問題への取り組み。
- 横田滋の録音メッセージを役所全体に流し、杉並区の取り組みを全職員に説明した。管理職には全員ブルーリボン着用を義務づけ、一般職員にも任意でブルーリボンシールを名札に貼付させる。
- 区役所で写真パネル展開催、杉並公会堂にて1000人区民大集会開催〔ゲストに家族会から横田滋夫妻、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会会長・飯塚繁雄、事務局長・増元照明参加。特定失踪者問題調査会グッズの共同販売実施〕、映画「めぐみ―引き裂かれた家族の30年」上映とパネル展〔セシオン杉並〕、署名運動、ブルーリボン区民普及運動を展開。
杉並改革
杉並区は山田が区長に就任時(1999年)には約900億円の区債を抱え、貯金は20億円程度で財政危機状態にあった。そこで山田は「杉並改革」と称した行革に力を入れ、就任以来自身の給与の1割、賞与の5割を返上するとともに、区職員1000人削減計画をつくり、平成13年から22年4月の9年間で1000人削減を達成した。その結果、平成21年度末には借金が約5分の1に減り(平成23年度末で完済予定)、一方で貯金は11倍の219億円になった。
関西社会経済研究所の自治体経営ランキング調査によると2004年度で全国1位、2006年度で全国2位という結果を出すまでとなった。また節約などをする一方で特別養護老人ホームの入所待機の削減や区独自の救命救急体制の構築、区民の足となる「すぎ丸」路線の充実なども実現し、日経リサーチの行政サービス調査によると全国7位(2006年)という結果が発表され[12]、財政的にもサービス的にも高ランキングに位置する区となった。
また、次の目標として、日本で初めての「住民税の減税自治体」「住民税の無税自治体」を実現する「減税自治体構想」を発表し、「杉並区減税基金条例」を成立させた。これは毎年一定の予算額を積み立てし、30年から50年後には、その利子で区民税を3割から5割削減し、いずれ区民税はゼロにする、というものだった。
人物
- 趣味はダイビング。
- 尊敬する人物は松下幸之助と末次一郎。
- 野田佳彦元首相とは松下政経塾の先輩後輩(野田は第1期生、山田は第2期生)という間柄で親交があり、野田の首相在任期間にはよく相談に乗っていた[13]。
著書
- 単著
- 『一言(いちごん)申しあげます。~杉並改革~』(ぎょうせい、2004年7月 ISBN 4324073422)
- 『前人木を植え、後人涼を楽しむ ~杉並改革手帳~』(ぎょうせい、2006年12月 ISBN 4324081301)
- 『住民税が安くなる!?「減税自治体」実現への道』(ぎょうせい、2009年10月 ISBN 9784324088753)
- 『日本よい国」構想 ―豊かで、楽しく、力強い日本を!』(ワック、2010年4月 ISBN 9784898316238)
- 『世界の『楽市・日本』をつくろう~「日本よい国構想」Part2』(2012年4月)
- 『(DVD)政治は、国家経営だ』(神楽サロン出版、2012年4月 ISBN 9784905482024)
- 共著
- 『ニッポン創新!』(扶桑社、2010年6月 ISBN 9784594062385)
関連項目
脚注
- ^ 大下英治著「華麗なる鳩山一族」より[要ページ番号]
- ^ “現職区長6人全員当選 自民推薦候補が全勝”. 共同通信社. 47NEWS. (2003年4月28日) 2013年2月8日閲覧。
- ^ “杉並区長、5月末に辞表…参院選出馬の意向”. 読売新聞. (2010年5月25日) 2010年5月25日閲覧。
- ^ “山田宏・創新党首、参院選東京選挙区に立候補”. 読売新聞. (2010年5月30日) 2010年6月1日閲覧。
- ^ 公式ブログ「やまぞーが行くぞー」
- ^ 抗議書への賛同者一覧
- ^ a b “統一教会系NPOイベント、外務省が後援(1/2ページ)”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2009年6月16日) 2013年2月8日閲覧。
- ^ 外国人参政権が国民生活を壊す
- ^ 「南京事件はなかった」 山田宏・創新党首も発言
- ^ a b c “2012衆院選 東京ブロック 日本維新の会 山田宏”. 毎日jp (毎日新聞社) 2013年10月2日閲覧。
- ^ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。
- ^ 第5回行政サービス調査(日経リサーチ)
- ^ 野田首相の孤独を癒やす「維新の会」メンバー
外部リンク
公職 | ||
---|---|---|
先代 本橋保正 |
東京都杉並区長 1999年 - 2010年 |
次代 田中良 |
党職 | ||
先代 結成 |
日本創新党党首 初代:2010年 - 2012年 |
次代 解党 |