星野勇三
表示
星野 勇三(ほしの ゆうぞう、1875年 - 1964年11月2日)は、日本の農学者、遺伝学者。農学博士。称号は北海道帝国大学名誉教授・羽黒町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。山形県東田川郡羽黒町(現・鶴岡市)出身。
人物
北海道の果樹産業に貢献するとともに、日本にメンデルの法則を紹介した人として知られる。札幌市の大通公園の花壇創設者であり、山形県酒田市の日和山公園の設計者でもある。
イネを用いてキセニア現象を明らかにするなどの農学研究の傍ら、同郷山形県庄内地方出身の学生の育英事業にも力を注ぐ。現在財団法人札幌荘内寮として存続している。
経歴
- 1875年(明治8年) - 山形県羽黒町手向(「トウゲ」と読む。現・鶴岡市羽黒町手向)に生まれる。
- 1897年(明治30年) - 札幌農学校予科を卒業。
- 1901年(明治34年) - 札幌農学校卒業。同期に有島武郎がいる。欧州・米国へ留学。
- 1907年(明治40年) - 同校教授[1]。
- 園芸学講座の初代教授を務める。この園芸学研究室の卒業生に、青森りんごの祖であり戦後北大総長となる島善鄰がいる。
- 1915年(大正4年)11月30日 - 農学博士学位記授与[2]。
- 1936年(昭和11年) - 北海道帝国大学農学部長。
- 1938年(昭和13年) - 退官。同年名誉教授。(財)八紘学院(現・北海道農業専門学校)の学院長に就任する。
- 1962年(昭和37年) - 山形県羽黒町初の名誉町民となり、現在山形県鶴岡市名誉市民。
- 1964年(昭和39年)11月2日 - 死去。
栄典・授章・授賞
- 位階
- 勲章等
著作物
- 「最近果樹栽培講義. 上巻」(1915年)博文館
- 「最近果樹栽培講義. 下巻」(1917年)博文館
- 「蔬菜花卉果樹栽培便覧」(1917年)北海道園芸会
- 「荘内寮と星野」(1969年)札幌荘内寮
脚注
参考資料
- 『広報つるおか』 2006年1月15日号