石田紀子
石田 紀子(いしだ のりこ、1960年12月14日 - 1987年8月2日)は、日本の元女優、元タレントである。中原歩名義の活動時期もある。
生涯・人物
福岡市で出生し、弟が居る[1]。ドライブと映画鑑賞が趣味で、幼少時はCAを志望していた。視力は2.0で平衡感覚の良さが自慢と語っている[2]。
幼少時に父親の仕事の関係で千葉県に移住する。中学生時代はバレーボール部で活動[1]する。千葉県立木更津東高等学校在学中の1978年に、資生堂CMモデルのオーディションに応募して出場し、スカウトの目に留まり誘われる。高校卒業後の1979年に東映俳優センターに入所して同年にテレビドラマ『燃えろアタック』でデビューし、女優として活動する[1]。
1985年に、かねてより「日本初の女性ヘリDJを育ててみたい」と思っていたFM横浜「湘南ミュージックスカイウェイ」のディレクターと出会い、当番組のDJを約1年間務めた。役作りのために石田をTBSラジオのレポートドライバー「954ガール」に就かせてレポートの訓練に励みながら、合間を見てヘリコプターに乗せて実地訓練を積ませた[3]。ディレクターは「彼女は時々怖がって目をつぶることがあるが、そんな時でも平気な顔をしていた。ヘリDJになるために生まれてきたようなもので、彼女の天性のものだと思う」と語っている[3]。石田はこの仕事に就く以前はヘリコプターに乗ったことは全くなかった[2]が、1987年8月2日同番組最後の放送中に乗っていたヘリコプターが茅ヶ崎沖で墜落し死亡した。
『燃えろアタック』の監督であった奥中惇夫は、撮影当時はおとなしく「女優に向いていないのでは」と心配したが作品制作終了後も毎年欠かさず年賀状を送るなど律儀な印象もあり、石田の葬儀で両親の姿を見た際に涙ぐんだ[4]。
ラジオ番組・湘南ミュージックスカイウェイでの事故死
湘南ミュージックスカイウェイは、DJの石田が神奈川県西部の湘南地域上空をヘリコプターで飛行して湘南の今を紹介しながら、リスナーから寄せられたはがきのリクエストやお便りを読み上げるもので、生放送の体裁だが実際は事前に録音したものを放送しており、事故当日も5日前に収録したものを放送していた。生放送の雰囲気を醸すため、放送と同じ時間帯に番組と同じコースでヘリコプターを飛ばす試みが行われていた。
1987年8月2日の放送で石田が勇退して後継を斉藤仁子が務めることが決まっており、石田の最終フライトが放送される直前の夕方15時50分過ぎに茅ヶ崎西浜海岸上空を飛行していたヘリが墜落し、搭乗していた石田と番組スタッフは遺体で発見された。石田は番組の最後に「これから東京ヘリポートへ私の操縦で戻りたいと思います。私はこれから空に帰ります。女優業に戻ります」と挨拶をしてリスナーに別れを告げたが、結果的に石田の生前最期の挨拶ともなった。この事故を受け、斉藤が担当する予定だった翌週からの放送は急遽中止されてそのまま打ち切りとなった[5][3]。
出演
テレビ
- 燃えろアタック(1979年1月5日 - 1980年7月11日、テレビ朝日) - 夏川ゆか※中原歩名義
- 土曜ワイド劇場『復顔 整形美女の復讐』(1979年9月1日、テレビ朝日)
- Gメン'75 最終回スペシャル「サヨナラGメン'75 また逢う日まで」(1982年4月3日、TBS)
- 婦警さんは魔女(1983年、TBS)
- 時代劇スペシャル『十六文からす堂 江戸占い謎を斬る』(1982年7月16日、フジテレビ)
- 高校聖夫婦 第20話「落ちこぼれの愛」(1983年、TBS)
- おしん(NHK連続テレビ小説)- 第283話、第284話ゲスト
- 月曜ドラマランド『エプロンおばさんスペシャル』(1983年8月1日、フジテレビ)
- 大江戸捜査網 第608話「八丁堀情話 夫よ許して!」(1983年、テレビ東京・三船プロ)
- 火曜サスペンス劇場『遺された妻の疑惑』(1983年12月6日、日本テレビ)
- 不良少女とよばれて(1984年、TBS)
- 金曜女のドラマスペシャル『結婚前夜 -消えた殺人事件-』(1985年3月22日、フジテレビ)
- 水曜ドラマスペシャル『危険なふたり3・飛んで火に入る就職編』(1985年4月17日、TBS)
- 天使のアッパーカット (1986年、TBS) - 松岡公子
ラジオ
- 湘南ミュージックスカイウェイ(1986年 - 1987年、FMヨコハマ)
- など