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ミナルディ・M192

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミナルディ・M192
カテゴリー F1
コンストラクター イタリアの旗 ミナルディ
デザイナー アルド・コスタ
(テクニカルディレクター)
ルネ・ヒルホルスト
(空力ヘッド)
先代 ミナルディ・M191B
後継 ミナルディ・M193
主要諸元
シャシー カーボンファイバーケブラー モノコック
サスペンション(前) プッシュロッド式
サスペンション(後) プッシュロッド式
エンジン ランボルギーニ 3512,
NA 3.5リッター, 700馬力, 80度 V12 ミッドエンジン
トランスミッション ミナルディ / XTrac製, 前進6速 + 後進1速, MT
重量 505kg
燃料 アジップ
タイヤ グッドイヤー
主要成績
チーム ミナルディF1チーム
ドライバー ブラジルの旗 クリスチャン・フィッティパルディ
イタリアの旗 アレッサンドロ・ザナルディ
イタリアの旗 ジャンニ・モルビデリ
初戦 サンマリノの旗 1992年サンマリノグランプリ
出走優勝ポールFラップ
12000
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ミナルディ・M192Minardi M192)は、ミナルディ1992年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。チーフデザイナーのアルド・コスタと、空力専門家のルネ・ヒルホルストの共作[1]。決勝最高成績は6位。

概要

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開発と経緯

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1992年、前年限りでミナルディへのフェラーリV12エンジン供給は終了となり、チームはフォードV8とランボルギーニV12の中からランボルギーニを選択した。前年からのF1界でのトレンドに合わせノーズ先端をやや持ち上げてリフトノーズ化し、ジョーダン・191風のトーショナルウィングを装着したスタイリングが特徴である[1]

シーズン序盤はM191Bで参戦し、4月22日-24日に行われたイモラ合同テストでM192がシェイクダウンされた[1]。コスタは「このマシンは空力性能を大幅に向上させるため、360時間にわたる風洞実験を行った。モノコックのカーボンファイバー素材の検討に時間をかけた結果、現行レギュレーションぎりぎりの軽量マシンに仕上げることが出来た。」と自信を語った[1]

搭載するランボルギーニV12エンジンは、第2戦ブラジルGPから従来型よりも小型化と軽量化が施された「1992/A」バージョンが投入され、M192全体の軽量化にも一役買った。

サスペンションは、テクニカルスポンサーのトキメックと共同でアクティブサスペンションの開発を開始し、開発の進展次第で実戦投入にも対応できるようM192は設計された[1]

1992年シーズン

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M192のデビュー戦は第5戦サンマリノGPとなった。ジャンニ・モルビデリとF1ルーキーのクリスチャン・フィッティパルディがドライブしたが、両名ともリタイアした。モルビデリは多くのレースで完走したが最高位は第8戦フランスGPで記録した8位で、ポイントを獲得することはできなかった。フィッティパルディは3度の予選落ちも経験したが、第15戦日本GPで決勝6位に入り1ポイントを獲得した。

第8戦フランスGP予選中にフィッティパルディが首を痛めたため負傷欠場し、第9戦から第11戦の3レースではアレッサンドロ・ザナルディが代役として出場したが、予選落ち2度にリタイア1度といずれも完走することはできなかった。中でも第11戦ハンガリーGPではチーム全体が苦戦しており、モルビデリとザナルディ2台揃っての予選落ちであった[2]

ミナルディはフィッティパルディが獲得した1ポイントにより、コンストラクターズランキング11位でシーズンを終えた。

F1における全成績

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(key) (太字ポールポジション

シャシー エンジン タイヤ No ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1992年 ランボルギーニ
3512
3.5 V12
G RSA
南アフリカの旗
MEX
メキシコの旗
BRA
ブラジルの旗
ESP
スペインの旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
1 11位
23 ブラジルの旗 クリスチャン・フィッティパルディ Ret 8 13 DNQ DNQ DNQ 12 6 9
24 イタリアの旗 ジャンニ・モルビデリ Ret Ret 11 8 17 12 DNQ 16 Ret 14 14 10
23 イタリアの旗 アレッサンドロ・ザナルディ DNQ Ret DNQ

デモラン

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2012年3月に行われた鈴鹿サーキット開業50周年感謝イベントでは、ミナルディに在籍したことのある中野信治がM192をドライブして、鈴鹿サーキット東コースでデモンストレーション走行を行った[3]

参照

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  1. ^ a b c d e ミナルディM192、スペインGPでデビュー Racing On No.121 35頁 1992年6月15日発行
  2. ^ Hungarian Grand Prix - OVERALL QUALIFYING Formula1.com 1992年8月16日
  3. ^ "アレジがF1マシンで走った「鈴鹿サーキット50周年ファン感謝デー」 ". Car Watch.(2012年3月6日)2013年5月12日閲覧。