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陝甘総督

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

陝甘総督(せんかんそうとく、満洲語ᡧᠠᠨᠰᡳ
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ᡴᠠᡩ᠋ᠠᠯᠠᡵᠠ
ᠠᠮᠪᠠᠨ
、転写:šansi g'ansu -i uheri kadalara amban)は、朝の地方長官の官職である。陝西省甘粛省総督として管轄地域の軍政・民政の両方を統括した。

沿革

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  • 1644年順治元年)、陝西総督が設置される。総督府は固原に置かれ、四川省も管轄した。
  • 1657年(順治14年)、総督府が漢中に移される。
  • 1664年康熙3年)、山陝総督と改称され、山西省も管轄するようになり、総督府は西安に移される。
  • 1675年(康熙14年)、陝甘総督と改称され、山西省は管轄から外れ山西総督が別に設置される。
  • 1680年(康熙19年)、山陝総督に名称が戻される。山西総督が廃止され、山陝総督に山西省の管轄も戻る。
  • 1723年雍正元年)、陝甘総督と改称される。山西省は管轄から再び外れ、総督が置かれることなく山西巡撫が管轄することとなる。
  • 1731年(雍正9年)、陝西省と甘粛省のみを管轄し、四川省が管轄から外される。
  • 1736年(雍正13年)、再び四川省を管轄し、川陝甘総督と改称される。
  • 1754年乾隆19年)、総督府が蘭州に移され、甘粛巡撫が廃止され総督が兼任する。
  • 1759年(乾隆24年)、甘粛総督が設置され、粛州に総督府がおかれ、陝西省も管轄する。川陝総督府は四川に移される。後に陝甘総督は復活し、蘭州に総督府を置き、巡撫を兼任した。
  • 1882年光緒8年)、新疆省が設置され、陝甘総督が管轄する。

歴代陝甘総督

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  • イェンギシャン(尹継善)(1748年-1749年)
  • 瑚宝(フボー)(1749年)
  • イェンギシャン(1750年-1751年)
  • 黄廷桂(1751-1753年)
  • イェンギシャン(署理,1753年)
  • 永常(ユンチャン)(1753年-1754年)
  • 劉統勛(署理,1754-1755年)
  • 黄廷桂(1755-1759年)
  • ウダシャン(呉達善)(1759年)
  • 楊応琚(1760年-1766年)
  • ウダシャン(呉達善)(1766年-1768年)
  • 明山(ミンシャン)(1769年-1771年)
  • ウダシャン(1771年)
  • 文綬(ウェンシェウ)(1771年-1772年)
  • 海明(ハイミン)(1772年)
  • レルギェン(勒爾謹)(署理,1772年)
  • レルギェン(1772年-1776年)
  • 畢沅(署理,1776年)
  • レルギェン(1776年-1781年)
  • 李侍尭(1781年-1784年)
  • 畢沅(署理,1783年)
  • フカンガン(福康安)(1784年)
  • 慶桂(キングイ)(署理,1785年)
  • 永保(ユンボー)(署理,1786年)
  • 勒保(レボー)(署理,1787年)
  • 勒保(1788年-1795年)
  • 宜綿(イミン)(1795年-1796年)
  • 陸有仁(暫署,1796年-1797年)
  • 英善(インシャン)(代署,1797年)
  • 宜綿(1797年-1799年)
  • 恒瑞(ヘンシュイ)(署理,1799年)
  • 松筠(スンユン)(1799年-1800年)
  • 長麟(チャンリン)(1800年-1801年)
  • 恵齢(フイリン)(1801年-1804年)
  • ナヤンチェン(那彦成)(署理,1804年)
  • ウェシブ(倭什布)(1804年-1806年)
  • 全保(チュワムボー)(1806年-1807年)
  • 方維甸(署理,1806年)
  • 長齢(チャンリン)(1807年-1809年)
  • 蔡廷衡(護理,1807年)
  • 和寧(ヘニン)(署理,1809年)
  • 松筠(1809年)
  • ナヤンチェン(1810年-1813年)
  • 長齢(1813年-1814年)
  • 先福(シャンフ)(1814年-1817年)
  • 高杞(ガオキ)(署理,1814年)
  • 和寧(署理,1817年)
  • 長齢(1817年-1822年)
  • 朱勲(署理,1821年)
  • ナヤンチェン(1822年-1825年)
  • 長齢(1825年)
  • 鄂山(オシャン)(署理,1825年)
  • 楊遇春(署理,1825年-1826年)
  • 鄂山(署理,1826年)
  • 楊遇春(1827年-1835年)
  • 鄂山(署理,1830年)[12]
  • フスンゲ(瑚松額)(1835年-1840年)
  • ネルギンゲ(訥爾経額)(1840年)
  • フスンゲ(瑚松額)(署理,1840年)
  • エンテヘンゲ(恩特亨額)(署理,1840年-1841年)
  • エンテヘンゲ(1841年-1842年)
  • フニャンガ(富呢揚阿)(1842年-1845年)
  • 恵吉(フイギ)(1845年)
  • 鄧廷楨(署理,1845年)
  • ブヤンタイ(布彦泰)(1845年-1849年)
  • 林則徐(署理,1845年)
  • 楊以増(署理,1847年)[13]
  • キシャン(琦善)(署理,1849年)
  • キシャン(1849年-1851年)
  • サインガ(薩迎阿)(暫署,1851年)
  • 裕泰(ユタイ)(1851年)
  • シュヒンガ(舒興阿)(署理,1851年)
  • シュヒンガ(1851年-1853年)
  • 易棠(署理,1853年)
  • 易棠(1854年-1856年)
  • 楽斌(ロビン)(1856年-1860年)
  • 常績(チャンジ)(護理,1856年)
  • 林揚祖(署理,1859年)
  • 林揚祖(二次署,1860年)[14]
  • 福済(フジ)(署理,1860年)
  • 楽斌(1860年-1861年)
  • 麟魁(リンクイ)(1862年)
  • 沈兆霖(署理,1862年)
  • シリン(熙麟)(1862年-1864年)
  • 恩麟(エンリン)(護理,1862年)
  • 楊岳斌(1864年-1866年)
  • ドゥヒンガ(都興阿)(署理,1864年)
  • 恩麟(護理,1864年)
  • 左宗棠(1866年)
  • ムトゥシャン(穆図善)(署理,1866年)
  • ムトゥシャン(1867年-1869年)
  • 左宗棠(1869年-1880年)
  • 楊昌濬(1880年-1881年)
  • 曽国荃(1881年)
  • 譚鍾麟(1881-1888年)
  • 楊昌濬(1888-1895年)
  • 陶模(署理,1895年)
  • 陶模(1896年-1899年)
  • 魏光寿(署理,1899年)
  • 魏光寿(1900年)
  • 崧蕃(スンファン)(1900年-1905年)
  • 何福堃(護理,1900年。二次護,1901年)
  • 李廷簫(代護,1900年)
  • 升允(シェンユン)(1905-1909年)
  • 長庚(チャンゲン)(1909-1911年)