利用者:Susuka/sandbox 6
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華頂宮家 | |
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家祖 |
華頂宮博経親王 (伏見宮邦家親王の第12王子) |
種別 | 皇族(宮家) |
出身地 | 山城国 |
主な根拠地 |
山城国 東京府東京市芝区三田台町 (現:東京都港区三田) 神奈川県鎌倉郡鎌倉町 (現:神奈川県鎌倉市浄明寺) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
華頂宮(かちょうのみや)は、日本の皇室における宮家の一つ。博経親王によって創設された。当初は博経親王一代限りの宮号であったが、特旨による宮号の継承を経て、明治22年(1889年)、皇室典範の制定とともに宮家としての世襲が認められる。
大正13年(1924年)3月19日、4代博忠王が嗣子を残さず薨去したことにより宮家としては断絶。大正15年(1926年)12月7日、弟の博信王が臣籍降下して華頂侯爵家を創設、宮家の祭祀を継承した。
系図
北朝3代天皇 崇光天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伏見宮 栄仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伏見宮 貞成親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
102代天皇 後花園天皇 | 伏見宮 貞常親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
〔現皇室〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伏見宮 邦家親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
初代華頂宮 博経親王 | 伏見宮 貞愛親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2代華頂宮 博厚親王 | 3代華頂宮 博恭王[注釈 1] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
〔伏見宮家〕 | 4代華頂宮 博忠王 | 5代 博信 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
華頂侯爵家
華頂家 | |
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家祖 |
伏見宮博信王 (伏見宮博恭王の第3王子) |
種別 | 華族(侯爵) |
出身地 | 京都 |
主な根拠地 |
山城国 東京都 神奈川県鎌倉市 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
伏見宮博恭王三男(華頂宮博忠王弟)の伏見宮博信王が、大正15年(1926年)12月7日に20歳で海軍少尉の時に臣籍降下し、華頂侯爵家を創設し、同時に華頂宮家の祭祀を承継した。なお、王が「華頂宮5代目」とならなかったのは、皇室典範とその準則により、宮家を皇族としてそのまま継承することが禁じられていたことによるものである。王は、伏見宮家からの初の臣籍降下となることから、慣例により侯爵を賜った。
華頂博信侯爵は、昭和4年(1929年)に鎌倉市浄明寺2丁目にハーフティンバー様式の洋館を建設。臣籍降下後の邸宅であり正確には宮邸だったわけではないが一般に「旧華頂宮邸」と呼ばれる。当初は常住を予定していたが、華頂侯爵夫妻(華頂博信侯爵夫人は閑院宮載仁親王第4王女華子女王。後に離婚)が実際にこの邸宅で暮らしたのは数年間だけだったという[1]。この邸宅は平成8年(1996年)に鎌倉市が取得し、平成18年4月に鎌倉市の景観重要建造物、同年10月に国の登録有形文化財に登録された。庭園部分は一般に公開されており、建物内部も春と秋に2日(合計で年に4日)だけ一般公開される[2]。
僭称者・華頂博一について
現在、YouTubeやTwitter(X)、Facebookなどで華頂博一や岡崎華頂、岡崎祐一[2]という名義で活動している人物がいる。この人物は、自身を「旧皇族 華頂宮当主」であるとし、「高祖父・伏見貞愛、曾祖父・伏見博恭、祖父・華頂博信、父・博祐[3]」、あるいは、岡崎祐一名義のFacebookでは「高祖父伏貞愛〔ママ〕 曽祖父伏見博恭 祖岡崎秀夫〔ママ〕 父岡崎博祐[4]」と自称している[3]。しかしながら、華族令による華族全1011家の系図を載せた『平成新修旧華族家系大成』などには、博一自身や、博一の父とされる博祐の名前は確認できないことから、北野康行や神林隆夫と同じ僭称者である[4]。
加えて、博一は伏見博明が代表を務める健全環境株式会社、日本文化振興会などの副代表を務めていると自称しているが、登記簿謄本ではその事実は確認できない。
脚注
注釈
- ^ 後に伏見宮家へ復籍。
出典
- ^ 鈴木博之 & 和田久士 2006, p. 49.
- ^ “華頂宮、東伏見宮…旧宮家ゆかりの邸宅、神奈川に点在 皇室と深い縁で結ばれてきた地域史”. 産経新聞. (2016年11月28日) 2023年7月30日閲覧。
- ^ Twitter「旧皇族 華頂宮チャンネル[1]」
- ^ 霞会館『平成新修旧華族家系大成』(霞会館、1996年)
外部リンク