ミャンマー民族民主同盟軍
ミャンマー民族民主同盟軍 | |
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缅甸民族民主同盟军 ミャンマー内戦に参加 | |
ミャンマー民族民主同盟軍軍旗 | |
活動期間 | 1989年3月11日 | –現在
活動目的 |
コーカン民族主義 フェデラル連邦主義 大中華思想 |
創設者 | 彭家声 |
指導者 | 彭德仁 |
本部 | ミャンマー・シャン州コーカン地区ラオカイ |
活動地域 | シャン州 |
兵力 | 10,000人以上 |
上位組織 | ミャンマー民族正義党 |
前身 | ビルマ共産党 |
関連勢力 |
関係国 関係勢力 |
敵対勢力 |
敵対国 |
ウェブサイト | http://kokang123.blogspot.com/ |
テロ組織指定者 | |
ミャンマー政府[1] |
ミャンマー民族民主同盟軍(ミャンマーみんぞくみんしゅどうめいぐん、中国語: 緬甸民族民主同盟軍, 英語: Myanmar National Democratic Alliance Army、略称:MNDAA)は、ミャンマー北東部シャン州のコーカン地区を拠点とする、中国系住民コーカン族の武装勢力である。
歴史
MNDAA黎明期
1989年3月11日、ミャンマー民族民主同盟軍はビルマ共産党から分離独立する形で彭家声によって設立された[2]。同月17日、MNDAAはサルウィン川西岸のモンコーを占領した。同年4月14日、MNDAAは軍事政権との停戦に応じ、シャン州第一特区として高度な自治権を持った領域が認められた。そして、彭家声は特区主席に就任した。
MNDAAの混乱
1992年11月29日、MNDAA副総参謀長であった楊茂良はワ州連合軍の支持を得てクーデターを起こし、彭家声をコーカンから放逐した (1992年コーカン内戦)。楊派と彭派の内紛は死者・負傷者合わせて200人余りを出す惨事となった[3]。
1995年8月1日、モンコーの県知事であったアチャン族のモンサラは楊茂良に叛旗を翻し、モンコー地区防衛軍を設立した。カチン独立軍とカチン防衛軍の支援を受けたモンコー地区防衛軍をMNDAA楊派は攻略することが出来ずに撤退した[4]。
同年11月、彭家声の弟、彭家富率いるMNDAA彭派はワ州連合軍とシャン州東部民族民主同盟軍の支持の下、チンシュエホーを占領し、中央政府に向けて混乱を収束させるように声明を出した[5]。MNDAA楊派は中央政府に権力を返上し、MNDAA彭派が権力の座に戻ることとなった(1995年コーカン内戦)[6]。
2009年コーカン軍事衝突
2009年3月11日には、建軍20周年を記念する軍事パレードが行われた。
同年、軍事政権は2008年憲法との整合性を取るために、MNDAAに対して国軍傘下の国境警備隊への転換を要求した[7]。
2009年7月には国境警備隊への改編に関する交渉が破談になり、国軍はコーカン地域を包囲するように軍隊を展開して圧力をかけ始めた[8]。しかし、同地区で長年われていたケシ栽培が規制され、経済的に厳しい状況に置かれたこともあり、MNDAAには軍事的余裕がなかったとされる[9][10][11]。
2009年8月8日、ミャンマー警察が武器修理工場の摘発を行ったところ、MNDAAとの軍事的緊張が生じた。同月24日、MNDAAの白所成らは国軍側に離反し、彭家声らを批判する声明を出した。軍事政権は同月25日に白所成を主席とする「シャン州第一特区臨時管理委員会」を承認した。同月26日、特区主席の彭家声はチンシュエホーからワ州へと逃亡した。27日にはMNDAA彭派と国軍の間で戦闘が起きたが、29日午前8時を以て国軍は完全に彭派の拠点を制圧し、戦闘が終了した。この一連の衝突により、中国側の南傘口岸には31,000人を超える避難民が押し寄せた[12](2009年コーカン軍事衝突)。
MNDAA再建後
2014年12月、彭家声は中国の環球時報の取材に応じ、コーカンの奪還に向けた意欲を語った[13]。
2015年コーカン衝突
2015年2月には支配地域奪還を狙った侵攻を開始し、2015年2月27日の時点で「中越国境地帯の紛争、激化」[注 1]とロシアメディアは伝えている[14]。それによれば、2月10日には難民化した10万人が中国に越境し、2月17日には現地に非常事態宣言が発令された。一部メディアからは、中国政府が背後で武器提供や傭兵提供をミャンマー政府は指摘しており、中国政府はそれを否定するコメントを発している[15][16][17]。ミャンマーにクリミア型侵略などとも報じられている。
2015年の侵攻以降は、MNDAAはコーカン地区の北端にてミャンマー政府軍との戦闘を継続しており、紅岩地区に拠点を築いた。遊軍がコーカン地区中部のコンジャン (拱掌)、ターシュエタン (大水塘)付近に出没し、政府軍へのゲリラ戦を行っていた。
2016年11月20日にタアン民族解放軍、アラカン軍、それにカチン独立軍と共に北部同盟を結成し、ここからカチン独立軍を除いた3勢力で2019年に三兄弟同盟を結成している[18]。
2021年2月にクーデターで成立した軍事政権とも対立しており、同じく軍事政権打倒を目指す民主派勢力と連携し2023年10月下旬より総攻撃を開始。シャン州内でアラカン軍、タアン民族解放軍とともに国軍と武力衝突し、軍の拠点や中華人民共和国へ通じる主要道路を占拠した[19]。その結果、ミャンマー北部の中国との国境近くや西部州における複数の軍事拠点や街を制圧する事態となったため、中国が仲介に乗り出し同年12月に軍事政権側との交渉を行った[20]。2024年1月10日から11日にかけて両者は中国の仲介で同国の昆明市にて和平交渉を行い、三兄弟同盟として軍事政権と一時停戦で合意。交渉を通じた問題解決を目指すこととなった[21]。
組織構造
特区政府時代、MNDAAは特区政府管理委員会の指揮下に置かれていた[22]。
旅団構成
MNDAAには以下の4個旅団が組織されている[23][24]。
- 第211旅団 – センウィーとクンロンで活動している。センウィーのアジアハイウェイの南北を移動している。
- 第311旅団 – コーカン地域のホンアイ(紅岩)、チンシュエホー(清水河)近くのナムパ山(南帕山)、モータイ(慕泰)、コンジャン(拱掌)周辺で活動している。
- 第511旅団 - モンコー地区で活動している。モンコー(勐古)、パンサイ(棒賽)、大モンボー (大勐博)、モンヤー(勐牙)、モンホン(勐洪)などサルウィン川西岸で活動している。
- 第611旅団 – 本来クカイ地区での活動を意図していたが、2021年クーデター後に編成が変更され、国民防衛隊、人民解放軍、バマー人民解放軍、ミャンマーロイヤルドラゴン軍、カレンニー諸民族防衛隊などの1000以上の兵士が訓練され、武装している。同旅団は多民族旅団と呼ばれており、アラカン軍大隊も含む最強の旅団である。
出典・脚注
注釈
出典
- ^ “Three Brotherhood Alliance wants terrorist label dropped for EAOs”. DMG. (2020年11月12日) 2024年2月15日閲覧。
- ^ NEITHER WAR NOR PEACE THE FUTUREOF THE CEASE - FIRE AGREEMENTS IN BURMA(TRANSNATIONAL INSTITUTE)
- ^ 魯成旺 2012, p. 451.
- ^ 魯成旺 2012, p. 452.
- ^ 魯成旺 2012, pp. 452–453.
- ^ 魯成旺 2012, p. 453.
- ^ 魯成旺 2012, pp. 453–454.
- ^ 魯成旺 2012, p. 454.
- ^ シャン州北部地域における麻薬撲滅に向けた農村開発プロジェクト(JICA)
- ^ ミャンマーに対するWFP(国連世界食糧計画)を通じた緊急食糧支援について(外務省)
- ^ 不透明さ増すミャンマー情勢(日本貿易振興機構)
- ^ 魯成旺 2012, pp. 454–455.
- ^ “蟄伏五年重出江湖 聴84歳“果敢王”講緬北局勢”. 環球時報. (2014年12月29日) 2024年2月28日閲覧。
- ^ 中越国境地帯の紛争、激化 - News - 国際 - The Voice of Russia - ウェイバックマシン(2017年10月12日アーカイブ分)
- ^ ミャンマーにクリミア型侵略? 中国系住民と共産党の「絆」(ニューズウィーク)
- ^ 「中国人傭兵が戦闘に参加」 コーカン族との戦闘でミャンマー国軍が批判(産経)[リンク切れ]
- ^ Myanmar Kokang Rebels Deny Receiving Chinese Weapons(Radio Free Asia)
- ^ 佐々木研「ミャンマーにおける現行和平プロセスの動向」『東洋文化研究所紀要』第178巻、東京大学東洋文化研究所、2021年2月、394(43)-366(71)、CRID 1390009683056631936、doi:10.15083/0002003224、hdl:2261/0002003224、ISSN 05638089、2024年6月18日閲覧。
- ^ “ミャンマー国軍、中国国境の要衝失う 少数民族武装勢力との戦闘で”. AFP (2023年11月2日). 2023年11月2日閲覧。
- ^ “ミャンマー軍事政権、中国の仲介で武装勢力と会談”. ロイター. (2023年12月12日) 2024年1月12日閲覧。
- ^ “ミャンマー少数民族武装勢力、軍事政権と一時停戦で合意”. ロイター. (2024年1月12日) 2024年1月12日閲覧。
- ^ 魯成旺 2012, p. 102.
- ^ Ko Oo (2023年3月4日). “ကိုးကန့်နှင့် နွေဦးတော်လှန်ရေး အပိုင်း ၂) [コーカンと春の革命 パート2]” (ビルマ語). Irrawaddy
- ^ Aye Chan Su (2023年10月23日). “မြန်မာပြည်ရှိ လက်နက်ကိုင်တော်လှန်ရေး အင်အားစုများ (အပိုင်း ၅) [ビルマの武装革命勢力(パート5)]” (ビルマ語). Irrawaddy
参考文献
- 魯成旺 (2012). 緬甸撣邦≪果敢志≫編纂委員会 . ed. 果敢志. 天馬出版. ISBN 9789624502084