コンテンツにスキップ

ハンニバル・レクター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。赤鉛筆 (会話 | 投稿記録) による 2004年12月2日 (木) 19:00個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (+link)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ハンニバル・レクターHannibal Lecter)は、作家トマス・ハリスの複数の作品に登場する架空の人物。精神科医、連続猟奇殺人犯。殺害した人間の臓器を食す異常な行為から「人食いハンニバル」(Hannibal Cannibal)と呼ばれる。


注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。



1938年リトアニア生まれ。彼自身の認識によると、父方の祖先はイタリアの名門貴族、フィレンツェマキャヴェッリ家とミラノヴィスコンティ家の血を受け継ぐジュリアーノ・ベヴィサングエという12世紀トスカーナの人物に遡る。また母方もやはりヴィスコンティ家の末裔らしい。スイスの高名な画家バルテュスとは従兄弟の関係であると言われる。先天的に多指症という障害があり、両手の指が6本ずつある。

1944年第2次大戦中、ドイツ軍に家族を惨殺される。特に最愛の妹ミーシャを目の前で殺された体験が、彼の異常な人格を決定的にしたとされる。

成人後アメリカに渡り医学を修得。しばらくは病院の救急外来嘱託医などをしていたが、1970年ごろに独立、精神科を開業した。その治療手腕は評判となり、多くの有名人や上流階級の人間が患者となった。こういった人種との享楽的な付き合いや非常識ぶりが、彼の眠っていた欲望や凶暴性を目覚めさせたらしく、自分の患者を殺害してはその肉を食うという連続異常猟奇殺人が始まった。

1975年3月22日、患者であったボルティモア・フィルハーモニック・オーケストラのフルート奏者、ベンジャミン・ルネ・ラスペイルを殺害した際には、彼の臓器を調理しゲストとして招いたオーケストラの理事たちに振舞った。

1978年FBIの捜査顧問であったウィル・グレアムに犯行を突き止められたが、グレアムに瀕死の重傷を負わせて逃亡。それからの9日間で更に3人を殺害している。

1980年、ようやく逮捕され9人に対する第一級殺人罪で起訴された。ところが拘置されていた精神病院で、拘束を解かれた一瞬の隙を突いて看護婦に噛み付き、その顎を噛み砕いた。あまりの凶暴かつ異常な行動に、裁判所はチェサピーク州立病院ボルティモア精神異常犯罪者診療所への終身拘束を決定。狭い独房に閉じ込められることになったが、料理書からファッション誌まで多数の書籍を購読、最厳重監視病棟の囚人の身ながら、臨床精神病理学会誌や精神医学会誌に論文を発表するなど、世間に影響を与え続けた。

1981年、グレアムは連続殺人犯フランシス・ダラハイドの捜査協力をレクターに求めてきたが、レクターは逆にダラハイドをけしかけてグレアムと家族を襲わせた。命は助かったものの、グレアムは顔をズタズタに切り刻まれる重症を負った(『レッド・ドラゴン』)。このように、レクターには他人を心理的に操作して犯罪を犯させる驚異の能力があるとされる。

1983年、連続誘拐殺人犯ジェイム・ガムの捜査協力を求めてきた、当時FBIアカデミーの学生であったクラリス・スターリング捜査官の訪問を受ける。娘が誘拐されてしまったマーティン上院議員への情報提供の見返りとして特殊監房に入ったが、2人の看守を殺害して逃亡。スターリングが事件を解決する頃には南米に逃れた(『羊たちの沈黙』)。かの地で州立病院のチルトン院長を殺害したようである。

1990年、レクターはダンテ研究者のフェル博士という偽名でフィレンツェに現れる。捜査していたパッツィ刑事をヴェッキオ宮殿で殺害。しかしアメリカに帰国したところを、大富豪でかつての被害患者、メイスン・ヴァージャーに拉致される。スターリングが逮捕寸前まで追い詰めたが、彼はヴァージャー、次いでスターリングのライバル、司法省のクレンドラーも殺害し、更にスターリングを誘拐しまたもや行方をくらますことに成功した。スターリングまでもがレクターに洗脳されてしまったとの噂もある(『ハンニバル』)。


登場作品

  • 『レッド・ドラゴン』(Red Dragon) - 1981年
  • 『羊たちの沈黙』(The Silence of the Lambs) - 1988年
  • 『ハンニバル』(Hannibal) - 1999年
  • Behind the Mask』 - 2005年?(執筆中)