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ムーンライトながら

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ムーンライトながらは、東海道本線東京駅大垣駅間を運行している夜行快速列車である。東海旅客鉄道(JR東海)373系電車9両編成(3両編成を3本連結)で、1日1往復運転する。

指定席が設けられ、列車愛称が付けられたのは1996年平成8年)3月16日のダイヤ改正のことで、それまで利用者の間では終着駅の名前から大垣夜行などと呼ばれていた。

JR東海373系を使用する快速「ムーンライトながら」(東京駅にて撮影)
下り終着の大垣駅では米原・大阪方面の普通列車に接続する

運転形態

夜行列車であるが、臨時列車を含めて車内灯の消灯・減灯は実施しておらず、全列車全区間が禁煙である。列車は上り・下りとも熱海・浜松両駅で運転士車掌の交替が行われる。

下り

東京駅から豊橋駅までは全車両が指定席、豊橋駅から大垣駅までは全車両が自由席となる。また、名古屋駅で7~9号車が切り離される。これは、当該車両が豊橋駅発の飯田線特急伊那路」に充てられるためである。このため、下りの「ムーンライトながら」に大幅な遅れが発生した場合、同駅で接続列車を用意して乗り換えを促し、車両の切り離しを行う場合がある。

下記の臨時列車にも共通することだが、青春18きっぷシーズンにおいて下り列車の終着駅である大垣駅では、「ムーンライトながら」の到着ホームと後続列車の発着ホームが同一でないため、「ムーンライトながら」が到着してドアが開くと同時に後続列車の席を確保するため跨線橋に乗り継ぎ客が殺到し、駅構内が混雑することがある。

また、下り列車の編成は、夜間に静岡駅始発の上り普通列車として静岡車両区から出庫回送を兼ねた送り込み列車で東京駅まで運ばれる。

停車駅(2007年3月現在)
東京駅 - 品川駅 - 横浜駅 - 大船駅 - 小田原駅 - 熱海駅 - 三島駅 - 沼津駅 - 富士駅 - 静岡駅 - 浜松駅 - 豊橋駅(以降は三河塩津駅尾頭橋駅を除いて各駅に停車)

名古屋都市圏における始発列車の役割も兼ねているため、比較的近年度に開設され、ホームの有効長が不足する三河塩津駅と尾頭橋駅を除く豊橋以西では各駅停車となる。

上り

大垣駅から東京駅までの全区間全車両が指定席である。下り列車と異なり、車両の増解結は行われない。尚、名古屋駅では最後部1号車の大垣寄り乗降扉付近に新聞が積み込まれ、浜松駅まで新聞輸送の一端を担っている。

停車駅(2007年3月現在)
大垣駅 - 穂積駅 - 岐阜駅 - 尾張一宮駅 - 名古屋駅 - 金山駅 - 大府駅 - 刈谷駅 - 安城駅 - 岡崎駅 - 蒲郡駅 - 豊橋駅 - 浜松駅 - 静岡駅 - 沼津駅 - 熱海駅 - 小田原駅 - 大船駅 - 横浜駅 - 品川駅 - 東京駅

下り列車の場合と同様に、東京駅へ到着した上り列車の編成は静岡車両区への回送を兼ね、静岡駅行下り普通列車となる。

臨時列車

JR東日本183・189系で運用される快速「ムーンライトながら91・92号」

春休みゴールデンウィーク夏休み冬休みといった多客時には、臨時列車として「ムーンライトながら91号」(下り・東京発大垣行)及び「ムーンライトながら92号」(上り・大垣発東京行)を東日本旅客鉄道(JR東日本)所有の183系・189系を使用して運行する。両列車とも共に全車・全区間が指定席であり、定期列車と停車駅も異なるので、注意が必要である。しかし、近年は運行日が減少しており、春期と冬期は週末のみの運行が多くなっている他、夏季もお盆の時期までの週末を中心とし、一部の平日の運行がなくなっている。2007年3月のダイヤ改正まで「ムーンライトながら91号」は品川始発だったが、現在は定期列車と同じく東京始発となっている。

かつては1989年(平成元年)末から2003年(平成15年)5月のゴールデンウィークまで同区間で臨時列車が運行されていた。この臨時列車は普通列車の扱いとして誰でも乗車でき、利用者の間では「臨時大垣夜行」「大垣夜行救済臨」「垣臨」などと呼ばれ、使用車両は165系モントレー色169系三鷹色167系が使用されていた。停車駅は概ね現在の「ムーンライトながら91号・92号」と同じだが、大垣行のみ品川~小田原間は各駅に停車していた。

「ムーンライトながら91号」は定期列車より1時間ほど早く大垣に到着し、「ムーンライトながら92号」は定期列車より5分ほど遅れて東京に到着する。これらの列車は、前述した臨時列車(通称:臨時大垣夜行)の置き換えとして2003年夏に運行を開始した。

なお、下記にもある通り臨時列車自体はそれ以前にも運行されていたが、市販の時刻表に初めて記載された年(1989年)をもって初出とした。

かつては4・5号車が喫煙車とされていたが、2007年3月21日以降に運行される列車は全席禁煙となった。定期列車と同じく熱海・浜松両駅で車掌の交代が行われる。

停車駅
  • 下り(91号)
東京駅 - 品川駅 - 横浜駅 - 平塚駅 - 小田原駅 - 熱海駅 - 三島駅 - 沼津駅 - 富士駅 - 静岡駅 - 浜松駅 - 豊橋駅 - 名古屋駅 - 尾張一宮駅 - 岐阜駅 - 穂積駅 - 大垣駅
  • 上り(92号)
大垣駅 - 穂積駅 - 岐阜駅 - 尾張一宮駅 - 名古屋駅 - 金山駅 - 大府駅 - 刈谷駅 - 安城駅 - 岡崎駅 - 蒲郡駅 - 豊橋駅 - 浜松駅 - 静岡駅 - 富士駅 - 沼津駅 - 熱海駅 - 小田原駅 - 横浜駅 - 品川駅 - 新橋駅 - 東京駅
  • 2007年3月現在、上り列車は国府津駅で熱海駅から乗務している運転士と交代するための運転停車を行う。

利用状況

かつて、ピーク時には客室通路からデッキにまで乗客があふれていた(浜松駅にて撮影)
2007年3月18日のダイヤ改正までは、下り列車で指定席券を入手できなかった乗客は一部の号車が自由席となる小田原駅で列を作って乗車していた
ムーンライトながらの車内。車掌は車内改札をしている(2007年3月3日、上り「ムーンライトながら」で撮影)

「ムーンライトながら」は人の流動が多い区間を走行し、また快速列車であることから指定席券乗車券のみで乗車できるため、安価な移動手段として人気がある。また、青春18きっぷ鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷでの乗車も可能なことから、特に青春18きっぷの利用可能期間は指定席券の入手が大変困難で、発売開始から2~3分で完売になることも多い。なお、車端部のコンパートメント席は指定席券の予約システム「マルス」において別列車扱い(指定券や主要駅の指定券券売機画面にはムンライトながら(コ)と表示される)となっており、購入時に特に指定しなければ発券されない。このため、多客時には通常の座席が先に満席になる場合が多い。

なお、小田原や熱海から下り列車の指定席券を購入する際、発売開始日を「乗車日の1か月前」と誤認し、同日の10時には既に完売という状況も多々ある(指定席券の発売開始は「乗車する列車が始発駅を発車する日の1か月前の10時」であるため)。また毎年8月中旬と12月下旬に東京都内で開催されるコミックマーケットの開始日前夜発の上りと終了日発の下りは特に指定席券が取りにくいと言われ、1分と経たないうちに完売することが多い。

なお、青春18きっぷの利用可能期間以外は、ビジネスマンなどの乗客、特に東海道新幹線の最終列車に乗り遅れた人が乗車する場合などが多く、名古屋駅で東海道新幹線に乗り継ぐ利用客も見られる。このため、青春18きっぷの利用可能期間外でも金~日曜日を中心に満席になることが多々ある。


設定時から2007年3月ダイヤ改正前まで

下りは途中の小田原から自由席となる車両があったため、「ムーンライトながら」の指定席券を取る場合、希望の区間が満席でも下りなら小田原まで、上りなら熱海までの指定券は残っている場合も多かった。指定券を確保できる確率を増すため、鉄道ファンなどの間ではこの区間の指定券を第2希望として設定としておくという方法が知られていた他、指定券を確保できなかった乗客も一部の車両が自由席となっていた小田原駅から乗車することができたことから、同駅には指定券を購入しなかった、あるいは満席で購入できなかった客の行列が、東海道線の普通列車もしくは新宿方面からの小田急小田原線の乗客を中心にできることがあった。しかし、青春18きっぷの利用可能期間には小田原から自由席となる4~9号車も指定席区間からの乗客で既に満席になっており、乗車しても着席できない場合がほとんどであった。それと共に、上り列車は全区間において定期券での乗車が可能であるが、そのため岐阜・名古屋・金山→岡崎・蒲郡・豊橋間で同列車をホームライナーの代わりとして愛用するサラリーマンも多い。


また、夜行利用以外に運転区間両端での始発・最終列車としての一面もあった。下り列車では東京→小田原間に限り定期券での利用が不可能であるものの、東海道新幹線、東海道線の普通列車、小田急小田原線からの小田原乗り換えで熱海・沼津への帰宅客や、豊橋・岡崎などから名古屋方面へ向かう通勤客の利用も多かった。また、上り列車では、朝一番に東京に到着でき、かつ各線の始発列車に接続することが可能であったことから、沼津・熱海・小田原などから羽田空港成田空港上野駅以北などへ向かう乗客の利用も見られた。このため、4~9号車は下りは小田原駅から、上りは熱海駅から自由席として利用客の便宜を図っていた。ただし成田空港へは沼津・小田原から直行バスも運行されている。

現在

2007年3月18日のダイヤ改正により、9両編成の全車指定席区間が下りは東京~豊橋間(豊橋~大垣間は全車自由席)に、上りは大垣~東京間の全線に拡大することから、このダイヤ改正以降、下り列車・上り列車を問わず事実上首都圏~中京圏を移動の際は指定券を持っていないと「ムーンライトながら」への乗車ができなくなった。併せて9両編成全車が全区間禁煙車となる。また、臨時快速「ムーンライトながら91・92号」については下りの91号の始発が品川駅から東京駅に変更され、下り・上り共に大船駅が通過となった。

また、東京駅では下りの発車時刻が33分繰り上がり(23:43発が23:10発に)、上りの到着時刻が23分繰り下がる(4:42着が5:05着)。これにより東京駅側での滞在時間が約19時間から約18時間となり、結果的に約1時間減ることとなった。さらに、定期列車については下りが平塚駅国府津駅、上りは富士駅川崎駅新橋駅が新たに通過駅となる。また、下りは同日から開業する野田新町駅が新たに停車駅となる。

さらに、青春18きっぷで東京駅から「ムーンライトながら」を利用する場合、日付が変わる最初の停車駅が横浜駅から小田原駅となり、東京駅から乗る際に運賃としてそこまでの区間の乗車券を購入する場合はそれまでの450円ではなく、1,450円が必要となった。

なお、2007年3月18日のダイヤ改正前日の17日発は形式上定期列車は運休となり、臨時扱いで上りは「ムーンライトながら70号」、下りは「ムーンライトながら71号」として運転された。使用車両は定期列車と同じであった。これらの発車時刻は改正前のままで、深夜日付が変わる頃に改正後のダイヤになる。そのため、70号は富士駅、川崎駅、新橋駅を通過したが、71号は平塚駅、国府津駅、および新設の野田新町駅にも停車した。


車両運用

定期列車と臨時列車は下り列車では並び(浜松駅)と追い抜き(豊橋駅)、上り列車では追い抜き(沼津駅)を行う。

定期列車に使用される373系は3両で1編成となっており、3本の編成を連結した9両で運転されている。昼間は大垣側では3分割され、うち2編成は東海道本線の「ホームライナー」で豊橋まで送り込み、飯田線特急伊那路」に使用される。残りの1編成は大垣~米原間の普通列車に充当され、2往復している(平日のみ)。また前述の通り、東京側では373系の所属する静岡車両区と東京を行き来する間合い運用として東京~静岡間の普通列車に充当している。なお、2007年3月18日のダイヤ改正で同じ373系を使った特急「東海」が廃止されたため、東海道本線東京口で373系が見られるのはこの「ムーンライトながら」とその折り返し・送り込み用の普通列車のみとなった。

臨時列車には、修学旅行列車などの臨時列車を受け持つ田町車両センターの10両編成(H101・H102)が使用される。この編成は元々松本電車区長野総合車両所に所属していた「あずさ」編成の車両をかき集めて編成したため、車両により設備に差が出ている。H101編成の2・3号車は簡易リクライニングシート、10号車は2編成ともデラックス車、その他の車両は座席のみデラックス車と同等のリクライニングシートに取り替えた車両である。この設備差がインターネット上などで知れ渡りつつあり、駅の窓口で申し込むと号車指定もできるため、2・3号車の人気が低い一方、グレードの高い10号車を指定して申し込む客もいる。ただし、10号車は大垣での乗り換えが不便(跨線橋まで最も遠い)というデメリットもある。

愛称の由来

鵜飼いを図案化したヘッドマーク

「ながら」は、終点大垣駅に着く前に西岐阜駅穂積駅間で渡る「長良川」にちなみ、以前から夜行列車ムーンライト山陽」などで使用されていた「ムーンライト」の称を冠させた。なお、これ以前より単に「ムーンライト」を称していた新宿駅村上駅間運行の夜行快速列車は「ムーンライトえちご」に改称した。

ヘッドマークは、長良川名物の「鵜飼い」を図案化したものである。ただし、臨時列車にはヘッドマークはなく、単に「快速」のみが表示される。

なお、単に「ながら」という列車愛称はかつて東京駅~大垣駅間を走る臨時準急列車の愛称として使用されていたこともあり、それ以降は名古屋駅~大垣駅間を走るホームライナーの名称として使われていた時期もあった。「東海」の項目も参照のこと。

東海道本線夜行普通列車沿革

戦前

1889年(明治22年)7月に東海道本線新橋駅神戸駅間が開業した。この時下記の時刻で設定された1往復の夜行列車が東海道本線夜行列車の起源といえる。しかし、当時の列車は特に夜行を意識していたものではなく、列車の速度が遅いため、東海道本線全線を走ろうとすると、どうしても夜間帯にも走行しなければならないという理由で運転されていたと考えられる。

新橋1645→名古屋440・500→大阪1140・1145→神戸1250
神戸1730→大阪1830・1836→名古屋104・109→新橋1340

その後、大正昭和初期になると東海道本線には1日5~7往復の夜行普通列車が設定(東京~名古屋間または名古屋~大阪間が夜行になっていた)される。東京駅から大阪駅の他、参宮線鳥羽駅山陽本線姫路駅岡山駅下関駅までを結ぶ列車が現れ、設備の面では食堂車寝台車を連結された列車も存在するなど、黄金期を迎えた。1934年(昭和9年)12月の丹那トンネル開通に伴うダイヤ改正時の概況を示すと、下記の通りになる。

下り
(717)名古屋2310→大阪455・500(姫路着650)
(23)東京1530→名古屋2351・2347→大阪524・529(下関着1930)
(35)東京1930→名古屋242・248→大阪627・632(岡山1033着)
(241)東京2230→名古屋604・609(鳥羽着930) ※二等寝台車連結
(37)東京2320→名古屋754・800→大阪1145 ※二等寝台車・食堂車連結
(39)東京2340→名古屋825・831→大阪1311
上り
(34)大阪1535→名古屋2016・2022→東京500
(36)大阪1623→名古屋2109・2115→東京525 ※二等寝台車・食堂車連結
(22)(下関発500)大阪1750・1757→名古屋2149・2155→東京600
(242)(鳥羽発1848)名古屋2208・2212→東京625 ※二等寝台車連結
(38)大阪1847→名古屋2352・2357→東京1010
(40)大阪2320→名古屋401・407→東京1305
(42)(岡山発2000)大阪2350・2355→名古屋530・536→東京1425

1942年(昭和17年)11月に関門トンネルが開通し、下りでは東京駅~長崎駅久留米駅間、上りに至っては鹿児島駅~東京駅間を直通運転する列車(34列車・当時1493.1km・所要41時間25分、時刻は下記)も設定された。東京と九州を結ぶ普通列車が他にも何本か設定されるなど、運行区間と本数においては最も充実した時代といえた。しかし、その後は太平洋戦争の戦況が悪化し、軍需用貨物列車増発のため旅客列車が削減されていくようになり、1944年4月には寝台車の連結も廃止される(食堂車の消滅時期は不明)。

(34)鹿児島2100→博多704・730→広島1537・1542→大阪011・020→名古屋533・541→東京1425

終戦時、東海道本線には下り6本、上り7本の夜行列車が設定されていた。但し、特急急行列車削減の代替という側面(この当時、特急列車は全廃、急行列車は他の線区含めて、東京~下関間の1往復のみとなっていた。)もある。また、設定はされていても、実際は空襲による路線・車両の被害などで運転されなかった列車も多いという。

戦後

戦後は終戦時以上に受難の時代を迎える。特に1945年(昭和20年)秋~1948年(昭和23年)は車両や設備の荒廃、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による車両の接取(連合軍専用列車も参照)、労働者不足などが原因の燃料の石炭不足などで列車が削減され、時刻表に掲載された通りに列車を運転できない事態も多く発生した。

特に1947年(昭和22年)初頭には冬の石炭不足で列車が大幅に削減され、急行列車が全廃されてすべて普通列車になり、東海道本線の夜行列車は東京駅~門司駅間の1往復、東京駅~沼津駅間の下り臨時列車1本(夜行といえるか否かは微妙な時刻)、そして上りの名古屋駅~東京駅間1本のみとなった。

1947年(昭和22年)6月には、復員・引揚列車を兼ねた列車(列車番号8000番台。普段は一般旅客列車として運転するが、復員・引揚客のある時は一般旅客の乗車制限を行う列車。)が登場する。この列車の混雑は激しく、座るためには列車の発車の相当前から始発駅で並ぶ必要があった。しかし、切符が販売制限されていたということもあり、座れるかどうかより列車に乗れるかどうかの方が問題だったといわれている。

下り
(8015)東京1455→名古屋2336・2345→大阪523(復員)
(8017)東京2240→名古屋746・754→大阪1306・1325→広島2324・2340→早岐1341(復員)
(847)東京020→沼津307
上り
(714)名古屋2032→東京525
(8012)南風崎1612→広島520・530→大阪1502・1535→名古屋2115・2125→東京555(復員)
(8014)南風崎100→広島940・955→大阪1750・1805→名古屋2220・2230→東京628(不定期復員)
(8016)大阪2258→名古屋400・410→東京1304

世情が落ち着くのに応じて輸送力も回復していくが、戦後は急行・準急列車の増発が中心となり、長距離普通列車はそれほど増発されなくなった。その中で1956年11月には東海道本線の全線電化が完成し、この時のダイヤ改正で夜行普通列車は下り4本・上り3本(東京駅~門司駅・大阪駅間)に増発、戦後の最盛期を迎える。

下り
(111)東京1420→名古屋2304・2330→大阪510・535(門司着2202)
(129)東京2150→名古屋529・540→大阪1027
(131)東京2335→名古屋721・730→大阪1229
(421)東京2340→名古屋1010・1020→大阪1450
上り
(130)大阪1622→名古屋2100・2110→東京455
(132)大阪1810→名古屋2226・2235→東京540
(112)(門司発726)大阪2257・2330→名古屋415・425→東京1253

しかし、これ以降は特急・急行列車の増発のため、徐々に削減されていく。1961年10月には大規模なダイヤ改正(通称「サンロクトオ」)により特急・急行が増発される傍らで、2往復(東京駅~姫路駅・大阪駅間)に削減される。

下り
(143)東京1456→豊橋2158・2201→名古屋2338・2357→大阪450・507(姫路着652)
(145)東京2330→豊橋458・502→名古屋630・637→大阪1047
上り
(144)(姫路発1255)大阪1444・1450→名古屋1945・1954→豊橋2122・2124→東京456
(146)大阪2350→名古屋411・432→豊橋619・629→東京1327

1967年10月には、東京駅~大阪駅間の1往復(下りは東京~名古屋間、上りは大阪~名古屋間が夜行運転)と豊橋駅~東京駅間の上り列車1本のみとなる。しかし、東海道新幹線が開業した後であっても利用客は多く、特に繁忙期には数時間並ばなければ座れないことも多かったといわれる。

下り
(143)東京2330→豊橋458・504→名古屋633・642→大垣735・736→大阪1058
上り
(144)大阪2350→大垣327・327→名古屋428・447→豊橋635・641→東京1345
(350M)豊橋2201→東京440

大垣夜行時代

167系「(臨時)大垣夜行」9375M 2001年3月、大垣駅

前述の夜行普通列車は、東海道本線の普通列車で唯一の客車列車となっていたことから、合理化のため1968年(昭和43年)10月のダイヤ改正(「ヨンサントオ」)において廃止することが決定していた。しかし、そのことが新聞などで発表されると廃止反対の要望書が国鉄本社などに多く寄せられ、またこの列車には荷物・郵便輸送の役割もあったため、急行形電車を使用して存続することになった。

電車化に際し、運転区間が大垣駅(下りは翌1969年10月まで枝線の美濃赤坂駅行)までに短縮され、一般に大垣夜行と呼ばれることとなる。大垣発着となったのは、ここに車両基地大垣電車区があり、運用上好都合なためである。なお、上りは前述の豊橋駅~東京駅間の列車を大垣発に延長した格好となった。この列車の人気は高く、特に青春18きっぷの販売が開始されると、その利用可能期間となる夏・冬・春の繁忙期にはラッシュ時の通勤列車並みもしくはそれ以上に混雑する列車となった。

下り
(143M)東京2330→豊橋440・446→名古屋622・629→大垣659・705(美濃赤坂着727)
上り
(144M)大垣2032→名古屋2116・2118→豊橋2237・2238→東京435
  • 学生運動が盛んだった頃には関東・関西の運動家が往来するのによく利用されていた。このため、当時は公安警察の私服警官が必ず乗り込んでいたといわれる。
  • 電車化後しばらくの間は客車時代の番号を踏襲した143Mと144Mを名乗ったが、後に他の普通電車と同じ体系(3**M) に変更されている。
  • かつては、上り列車に限り清水駅(深夜1:10過ぎ)と浜松駅~静岡駅の各駅に停車していた時期もあった。
  • 青春18きっぷの販売が開始される前はグリーン車から席が埋まっていたが、青春18きっぷの販売が開始されてからは普通車から席が埋まるようになり、特に下りの始発駅である東京駅では数時間前から行列が出来ていた。

1986年11月1日国鉄最後のダイヤ改正が実施され、荷物列車がほぼ全廃となったことから、上り列車に関してスピードアップが行われる。これにより、名古屋駅の発車時刻が新幹線の東京駅行最終「ひかり」の発車した約1時間後となり、列車の需要拡大につながった。

改正前
(340M)大垣2101→名古屋2142・2144→東京439
(ひかり170号)名古屋2141→東京2346
改正後
(340M)大垣2215→名古屋2257・2259→東京442
(ひかり288号)名古屋2202→東京2352

1987年3月末には、4月1日分割・民営化を前に殺到した「国鉄お名残乗車」の客をさばくため、田町電車区の167系8両による臨時列車が突発で設定された。これが「臨時大垣夜行」(現在の「ムーンライトながら91・92号」)の起源のようである(諸説あり、詳細は不明)。この列車はその後も多客期に品川(東京)~名古屋間に設定され、1989年(平成元年)12月からは時刻表にも掲載されるようになり、平成の初め頃までは朝の通勤時対策として豊橋~名古屋間のみを運転される日もあった。なお、設定当時の「臨時大垣夜行」は近郊形の113系による運行であった。同電車を使用した列車のうち、JR東日本の車両で運行したものは自社管理区間で使用する車両を充当したことからグリーン車も連結されていた。なお、1990年(平成2年)8月の旧盆の6日間だけは定期の列車が米原駅まで延長運転されたこともあるが、その際に米原駅がパニック状態となり、同駅の在来線部分を管轄する西日本旅客鉄道(JR西日本)から苦情が出たこともあってこの時限りで中止された。

1994年になると、臨時大垣夜行も波動用の急行形車両を使用するようになる。当時の東京駅は東北新幹線ホーム増設工事のため東海道本線ホームが狭い仮ホームとなっており、混雑期に行列が危険な状態となってしまうため、定期・臨時ともに下り列車は品川駅始発で運転された。

ムーンライトながら

1996年3月に、前述のような混雑の解消、通勤客など短距離利用者と長距離利用者との分離、そして長距離利用者の着席確保を狙い、特急形車両である373系を使用した指定席列車となり、「ムーンライトながら」と命名された。この時に長らく連結されていたグリーン車は廃止となった。また、車両が急行形11両から特急形9両となり座席数が減少するため、お盆や年末年始など特に混雑が激しい時期のみ運行される場合が多かった臨時列車を、青春18きっぷが使用できる時期は学校の長期休業期間を中心に多くの日に運転、名古屋発着であった運転区間も大垣まで延長するようになった。

2001年夏にはJR東海所有の165系が事実上全廃されたのに伴い、一部の臨時大垣夜行が近郊形の113系10両編成で運行された。しかし、セミクロスシートで座席数が少ないことや、片側3扉で半自動扉が設置されていないことから、一部の乗客には不評だったともいわれている。そのため、以後は原則としてJR東海の車両は使用せず、すべてJR東日本の波動用急行形電車を使用するようになった。ただし、この頃までは最混雑時には続行で突発の臨時便が運行されたこともあり、これには急行形以外に115系や113系など近郊形電車も使用されていた。

2003年には、それまで使用していた田町電車区の167系が全廃されたため、2年ぶりにJR東海113系が運用に復帰、JR東日本は新前橋電車区の165系を使用し、1日おきに担当した。全車自由席の無愛称列車としてはこれが165系最後の運転となった。7月には、臨時大垣夜行は従来の車両持ち合いからJR東日本所有の波動輸送用の特急形車両(183・189系)を利用する指定席列車となり、「ムーンライトながら」の臨時増発列車として「91・92号」の名が与えられた。これは、定期列車がJR東海からJR東日本への片乗り入れの体制を取っていたことや、JR東日本の急行形車両も老朽化により廃車されたことによる。

2007年3月18日のダイヤ改正で、前述の通り「ムーンライトながら」の運行形態が変更され、運行時間の変更、全席禁煙化の他、停車駅も削減された。

関連項目