コンテンツにスキップ

岩元禄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Chuta (会話 | 投稿記録) による 2007年5月11日 (金) 14:28個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

岩元 禄(いわもと ろく 1893年 - 1922年12月24日)は日本の大正期の建築家逓信省で斬新なデザインの作品を設計したが、病気のため早世した。

経歴

1893年(明治26年)、鹿児島に出生。幼少時に父が死去し、兄・岩元禎が一高教師となったのに伴い、上京。青山小学校府立一中一高を経て、1915年(大正4年)東京帝国大学工科大学建築学科に入学。

1918年に卒業し、逓信省に入った。絵画、彫刻、音楽と多趣味であり、建築の芸術性を追求した。1921年に竣工した京都中央電話局西陣分局は、裸婦像をモチーフにした独創的なデザインで、岩元の代表作。

同年、東大助教授に就任したが、間もなく結核を発病。療養生活に入り、翌年死去。

作品

  • 京都中央電話局西陣分局(1921年)現NTT西陣別館、重要文化財[1] [2]
  • 東京中央電話局青山分局(1922)取壊し

その他

  • 一高のドイツ語教師である兄の岩元禎は、夏目漱石の小説『三四郎』に登場する「偉大なる暗闇」こと広田先生のモデルだと言われる。