コンテンツにスキップ

軍事機密

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。203.138.86.148 (会話) による 2007年5月27日 (日) 19:45個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (chcat)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

軍事機密(ぐんじきみつ)は、軍事上の秘密の事、或いはその軍事上の秘密に等級をつけ重要度を区別した時の名称の一つ。軍機と略す。作戦兵器の構造・性能や部隊の配置・編制・人事やそれについて記したなど敵国に知られると不利に成り得る情報について秘密の度合い、範囲を予め指定し管理した。諜報はその軍事上の秘密情報を入手する事であり、その情報を入手する為に活動する人を軍事探偵、諜報員或いはスパイと呼んだ。また、この秘密漏洩を防ぐ行為を防諜という。

軍機保護法

日本では明治32年(1899年)に公布され、昭和12年(1937年8月14日に全面改正された「軍機保護法」によって規定された。この法律によって、陸海軍大臣の定めた軍事上の秘密に対する、漏洩・探知・収集等について罪を規定され、最高刑は死刑であった。第1条に軍事機密とは「作戦、用兵、動員、出師其ノ他軍事上秘密ヲ要スル事項又ハ図書物件」とされ、第8条では軍港軍用航空機飛行場等の軍事施設の撮影・模写等が規制された。軍部での情報の取扱には秘密の重要度により5段階に区分し、上から「軍機」・「軍極秘」・「極秘」・「秘」・「部外秘」に分かれていた。天皇の裁可を経て参謀総長軍令部総長が発する大陸命大海令は、具体的な作戦について記されている事から最高の「軍機」とされた。ゾルゲ事件リヒャルト・ゾルゲ尾崎秀実はこの法律によって処罰された。終戦により軍機保護法は廃止されたが、自衛隊法日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法等によって秘密漏洩についての罪が規定されている。

軍事機密は戦時・平時によって範囲が変わり、平時には公開されていた情報も戦時には機密に指定される事があり、その一つに気象情報がある。気象情報は航空作戦を行う際に重要な情報となり、作戦の成否に関わる事から戦時に於いては秘匿される。日本では太平洋戦争の始まった昭和16年(1941年12月8日からラジオ新聞での天気予報は行われなくなった。この状態は終戦まで続き、再開されたのは昭和20年(1945年8月22日からであった。実に3年8ヶ月もの間市民には天気予報を把握できなくなったわけだが、毎年の様に台風の被害がある日本では戦時中に2000人を越す被害を出したと言う。これは軍用資源秘密保護法によって規定されていたが、明治32年公布の軍機保護法には定められて居らず昭和12年の改正によって指定区域内での気象観測が制限され、昭和13年(1938年)に新たに軍用資源秘密保護法が制定された事によって気象情報全般の規制が行われる事となったもの。この他、昭和19年(1944年12月7日に発生した東南海地震の被害状況についても軍事機密とされ一般に公開される事は無かった。

検閲

軍事機密の漏洩を防ぐ為に新聞や雑誌出版物に対する取り締まりが行われる事がある。これを「検閲」といい、出版・発行する前に予め軍部又は警察等の政府機関によって審査される。明治42年(1909年5月6日に公布された新聞紙法(明治42年法律第41号)では第27条に「陸軍大臣、海軍大臣及外務大臣ハ新聞紙ニ対シ命令ヲ以テ軍事若ハ外交ニ関スル事項ノ掲載ヲ禁止シ又ハ制限スルコトヲ得」と定めており、盧溝橋事件直後の昭和12年(1937年)7月13日に陸軍は「今回の事変に関する動員、派兵及これに伴ふ部隊人馬器材等の移動並にこれを推知せしむるが如き記事、写真は陸軍省発表以外一切これを新聞紙に掲載せざる様」と通達し、7月31日には陸軍が昭和12年陸軍省令第24号によって規制し、同年8月海軍も続いた。報道各社への説明は陸軍省新聞班が行い、実際の検閲には内務省図書課と派遣された憲兵、それと警視庁係官によって行われた。許可された写真の冒頭に「陸軍省許可済」と掲載する事が決められ、不許可写真は警視庁に証拠として押収された。部隊号・指揮官の官職氏名は掲載できず、大佐以上の高級将校の写真・参謀が複数移っている写真や軍旗の写っている部隊の写真は不許可とされた。省令施行後に更に規制され、「我が軍に不利なる記事」が禁じられた。昭和12年8月には軍旗保護法が改正され、秘密漏洩罪の適用範囲が拡大され新聞記者等にも適用される可能性が出来た。昭和16年1月新たに新聞紙等掲載制限令が制定され規制は更に強化されることとなった。

昭和十二年陸軍省令第二十四号

陸軍省令第二十四号
新聞紙法第二十七条ニ依リ当分ノ内軍隊ノ行動其ノ他軍機軍略ニ関スル事項ヲ新聞紙ニ掲載スルコトヲ禁ス 但シ予メ陸軍大臣ノ許可ヲ得タルモノハ此ノ限ニ在ラス

附則

本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
 昭和十二年七月三十一日

陸軍大臣 杉 山 元
昭和十二年海軍省令第二十二号

海軍省令第二十二号
新聞紙法第二十七条ノ規定ニ依リ当分ノ内艦隊・艦船・航空機・部隊ノ行動其ノ他軍機軍略ニ関スル事項ヲ新聞紙ニ掲載スルコトヲ禁ス 但シ予メ海軍大臣ノ許可ヲ得タルモノハ此ノ限ニ在ラス

附則

本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

海軍大臣 米 内 光 政

防諜

軍事機密を漏洩させない為の対策を防諜というが、これは平時から行われる。通信文を第三者に判読されない様に予め指定した暗号を用いる事が代表的だが、この他にも作戦指令書等の軍機書類の保管にあたっては特別な扱いを行った。旧日本軍では軍機書類の表紙は夫々、軍機は紫、軍極秘と極秘は赤、秘はピンク、部外秘は白で作られ、これらを「赤本」と総称した。保管には専用の機密図書箱に入れられ施錠された。文書は海中に沈むように表紙に鉛を仕込み、水で文字が消えるように特殊なインクを使用された。昭和19年(1944年)3月31日に起った海軍乙事件では福留繁参謀長ら連合艦隊司令部将校の搭乗機が墜落しゲリラに捕獲されたが、この時積載していた暗号書が米軍の手に渡っていたという。

関連項目