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ヒジュラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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インドのアウトカーストとしてのヒジュラ

インドにおける去勢者集団。アウトカーストな存在で、女装して、宗教儀礼に携わることにより生活している。その総数は、何万人とも何十万人とも言われるが、実数は不明である。
ヒジュラとは、ウルドゥー語で「半陰陽、両性具有者」を意味し、実際先天性半陰陽の者もいると言われているが、ほとんどは青年期以降に自らの意思でヒジュラの集団に加入し、そこで完全去勢を行った者たちである。
ヒジュラの集団は、通常は3人から15人ほどで、ひとつの家族のように生活している。リーダーはグルと呼ばれ、構成員はお互いを女性名で呼び合う。
ヒジュラは聖なる存在として、ヒンドゥー教の寺院で聖職者の役割をしたり、一般人の家庭での新生児の誕生の祝福のために呼ばれる一方で、カルカッタニューデリーなどの大都会では、男娼として売春を生活の糧にし、不浄のものと軽蔑されている者もいる。
ヒジュラの去勢手術はニルヴァンと呼ばれ、ヒジュラの仲間の手により、麻酔、止血、縫合など一切なく、原始的な方法で行われる。しかし最近では、病院で医師の手により全除精術を受ける場合もあるという。

イスラム用語としてのヒジュラ

ヒジュラ(ヘジラとも音写, هِجْرَة)とは、本来アラビア語で移住を意味し、特に「ある人間関係を断ち切り、新しい人間関係を構築する」というニュアンスを持つ。
イスラム教用語としては、西暦622年前後に、ムハンマドとその信者達が メッカでの布教を諦め、アビシニア(エチオピア)やヤスリブなどへと移住した事を指す。とくに、ヤスリブへの場合は聖遷と訳される。
当初イスラム教の教えはムハンマドの故郷メッカでは大多数の人々には受け入れられず、イスラム教徒はひどい迫害を受けた。そのため、一旦メッカでの布教活動を断念せざるを得なくなった。
その後、メディナでの布教で勢力を大きくしたイスラム教徒は、メッカに戻り、ここを占領し、ムハンマドは生地であるメッカを再び拠点とした。これ以後、メッカは聖地としてムスリム達の信仰の拠り所となった。
なお、預言者が故郷で迫害を受けることは、宗教伝説において繰り返し登場するモチーフであり、元型である。

参考文献

  • 石川 武志(著) 「ヒジュラ―インド第三の性」 青弓社 ISBN 4-7872-7056-7
  • セレナ・ナンダ(著)蔦森 樹 カマル・シン(訳)「ヒジュラ(男でも女でもなく)」 青土社 ISBN 4-7917-5778-5

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