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蕭荘

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蕭荘(りゅうしょう、548年561年)はの最後の第7代皇帝。即位は557年 - 560年

554年西魏が江陵を攻撃、元帝を殺害した際、当時7歳の蕭荘は民家に隠れ難を逃れた。後に王琳により発見され建康へと送られた。敬帝が即位した後は蕭荘は人質として北斉に送られている。

557年陳霸先により蕭方智が擁立されると王琳は北斉に対し蕭荘の帰還を要求する。北斉から帰還することとなった蕭荘は郢州にて王琳らにより皇帝に擁立され、長江中上流地区を拠点と定めた。その後蕭荘の南梁と陳霸先のは数度にわたる戦火を交えることとなった。

560年、王琳と陳朝の侯瑱が蕪湖で交戦した際、この機会を利用して北周が郢州を攻撃、王琳は破れ蕭荘も北斉へと亡命を余儀なくされる。南朝正統を自称する陳に対抗すべく、北斉藤は蕭荘を梁王に封じ梁朝復興に支援を行うが、北斉の滅亡により実現することはなかった。その後、後主北周によって殺されたことを聞いた蕭荘は、痛憤のあまり鄴にて死去したという。