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猪俣党

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猪俣党(いのまたとう)とは、武蔵国那珂郡(現在の埼玉県児玉郡美里町の猪俣館)を中心に勢力のあった武士団である。武蔵七党の一つ。小野篁の子孫であり、横山党の一族である。

一ノ谷の戦いで活躍した猪俣小平六範綱や、薩摩国平忠度清盛の弟)を討った岡部六弥太忠澄が有名。

猪俣小平六

猪俣党の頭領 猪俣小平六は、四代の子孫である。源義朝に仕えて軍功をあげた十六騎の雄将として知られている。また源頼朝にも仕え戦場で功績をあげたとされている。猪俣小平六は建久3年11月に死去、後に始まりの時代は不詳だが、一族の霊を慰めるため猪俣百八燈という行事が毎年行われている。

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