コンテンツにスキップ

夏侯威

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。トキオ・ポーロ (会話 | 投稿記録) による 2007年8月27日 (月) 19:45個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

夏侯威かこうい、204?~252?)は、武将夏侯淵の四男(演義では次男)。季権(季權)

略要・人物

男気のある人物で、父に劣らぬ勇将だった。ある年に彼が泰山太守として赴任した時に泰山の名門御曹司の羊祜と出会って、相互に語り合った結果に夏侯威はこの青年が只者ではないと評価して、兄・夏侯覇にそのことを話し合った。やがて、(兄・夏侯覇の娘)を羊祜に嫁がせたという。

後年に蜀漢との戦いで活躍し、荊州刺史を務めた。兄の夏侯覇司馬懿に反乱を起こして、雍州刺史の郭淮に敗れて止むなく蜀漢に亡命した。その時に夏侯覇の諸子が司馬懿によって楽浪郡に流罪された後も、彼は引き続き司馬懿に仕えて忠実に役目を遂行したという。

ある日、人相を見る朱建平という人物が、夏侯威の寿命は49歳の時災難があり、それを乗り越えれば70歳まで生きられるだろうと予言した。49歳の時、12月になると病にかかり、夏侯威は覚悟を決めた。ところが、病は快方に向かっていったので、50歳になる(数え年では新年ごとに年齢を増やす)前日、回復祝いの酒宴を開き「朱建平の戒めた時期も、確かに無事に過ごせた」と言った。ところが、その日の深夜に病が再発し、死去したという。

宗族

妻妾

  • 曹夫人 (曹真の末妹)

  • 夏侯駿
  • 夏侯荘

  • 夏侯湛
  • 夏侯淳
  • 夏侯琬
  • 夏侯瑫
  • 夏侯謨
  • 夏侯總
  • 夏侯瞻
いずれも夏侯荘の子。

なお、晋の元帝の母は夏侯荘の子である。

曾孫

  • 夏侯承(夏侯淳の子)