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近未来政治研究会

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近未来政治研究会きんみらいせいじけんきゅうかい)は、日本政党自由民主党派閥。 通称、山崎派。 会長は山崎拓

沿革・概要

1998年政策科学研究所(旧渡辺派)から分裂した山崎拓らが結成した。憲法改正に熱心な派閥で、過去に派閥のメンバー全員で改憲論や政策集の単行本を出版している。

旗揚げ当初は山中貞則が山崎の後見役として在籍していたが、山崎が小渕恵三に対抗して1999年の総裁選に強行出馬したのを機に離脱。しかし以降は山崎を中心に鉄の結束を誇り、加藤の乱でも当時閣僚であった保岡興治を除いてわずか一名の脱落者(稲葉大和)しか出さなかった。

小泉内閣では山崎が自民党幹事長として主流派入りするが、2003年総選挙では山崎のスキャンダルが響き落選。落選後は非議員となった山崎が同派の会長に復帰していたが、2005年4月24日補欠選挙で当選、議員復帰を果たした。

小泉政権下での近年の急激な勢力拡大もあってか、他派閥出身者や野党からの出戻り組も少なくないが、派閥の旗揚げ以来、山崎や派の幹部である保岡、関谷勝嗣亀井善之(故人)らの面倒見が良かったため、他派に比べても依然纏まりがある。しかし、2006年の自民党総裁選では、反安倍晋三志向の山崎に対して、一部が安倍支持に動いた為、その結束力にも綻びが出ていると言われる。

北朝鮮問題については独自の動きを見せる。2006年1月、山崎拓会長が側近の田野瀬良太郎と電撃訪朝。青山繁晴によれば、山崎は安倍政権に代わって「加藤紘一を首班とする、北朝鮮に宥和的なリベラル政権」の樹立に言及し、北朝鮮側も強い関心を示したと言う。訪朝には政府・与党内から強い不満が噴出した。

近未来政治研究会役員構成

近未来政治研究会所属議員

衆議院議員(36名)
山崎拓(12回、福岡2区)  野田毅(12回、熊本2区) 保岡興治(11回、鹿児島1区) 深谷隆司(9回、東京2区)
甘利明(8回、神奈川13区) 小杉隆(8回、東京5区) 大野功統(7回、香川3区) 木村義雄(7回、香川2区)
武部勤(7回、北海道12区) 遠藤武彦(6回、山形2区) 渡海紀三朗(6回、兵庫10区) 稲葉大和(5回、新潟3区)
佐藤剛男(5回、比例東北) 田野瀬良太郎(5回、奈良4区) 林幹雄(5回、千葉10区) 原田義昭(5回、福岡5区)
田中和徳(4回、神奈川10区) 平沢勝栄(4回、東京17区) 渡辺具能(4回、福岡4区) 石田真敏(3回、和歌山2区)
江崎洋一郎(3回、比例南関東) 金子恭之(3回、熊本5区) 木村勉(3回、東京15区) 森山裕(2回・参院1回、鹿児島5区)
坂本哲志(2回、熊本3区)※ 山際大志郎(2回、神奈川18区) 大前繁雄(2回、兵庫7区) 武田良太(2回、福岡11区)
古川禎久(2回、宮崎3区) 安次富修(1回、比例九州) 亀井善太郎(1回、神奈川16区) 篠田陽介(1回、比例東海)
広津素子(1回、比例九州) 福田峰之(1回、比例南関東) 平将明(1回、東京4区) 冨岡勉(1回、比例九州)

※坂本哲志は自民系無所属。

参議院議員(3名)
岡田広(2回、茨城県 山内俊夫(2回、香川県 小泉昭男(1回、神奈川県

かつて近未来政治研究会に所属していた人物

  • 森田健作(俳優、元参議院議員、元衆議院議員)
    2003年埼玉県知事選挙に立候補しようとした際、山崎に説得され断念。同年の総選挙には出馬せず、国政から身を引いた。2005年千葉県知事選挙に出馬するが、落選。
  • 自見庄三郎(参議院議員、前衆議院議員、現国民新党所属)
    初当選以来、渡辺美智雄と山崎の腹心。かつて山崎が派閥を立ち上げる以前に結成していた政策集団のほとんどに名を連ねる側近中の側近だったが、2005年の「郵政国会」で郵政民営化反対の方針を貫き、山崎派所属議員でただ一人反対票を投じた。その後の選挙で落選し、造反組に対する勧告に従って離党。2006年国民新党から国政復帰する方針を表明し、翌年の第21回参議院議員通常選挙比例代表区で国民新党唯一の比例議席を獲得した。なお、山崎とは離党後も一個人の立場で親交があった。
  • 船田元(衆議院議員)
    山崎派発足時は山崎の腹心で、派内の憲法改正論議でも熱心だったが、いわゆる「政界失楽園」のあおりで落選したことを契機に退会。現在は津島派所属。
  • 畑恵(元参議院議員)
    船田との結婚に対する批判を受け、自民党が2001年の選挙では比例代表候補名簿から除外。これに反発して東京選挙区から無所属で立候補するも結果落選。

関連項目