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天王寺詣り

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天王寺詣り(てんのうじまいり)は上方落語の演目名


あらすじ

自身の不注意から愛犬を死なせてしまった喜六、知り合いの甚兵衛に「今日は彼岸やさかいに」と言われ、犬の供養のため二人で四天王寺に行く。境内は露店が店を並べ賑わっている。境内のあちこちを見学し、引導鐘(インドガネ=境内にある鐘で、気持ちをこめてつくと死者が成仏するという)をついてもらうと、何と犬の唸り声が聞こえてきた。喜六は「坊さん!引導鐘三遍までと聞いてんねん。三遍目、わたいに突かせておくんはなれ!」と頼み、心をこめてつくと「クワーン!」と犬の鳴き声。「ああ。無下性(ムゲッショウ=乱暴)にはどつけんもんや。」


概論

「犬の引導鐘」という別の題もある。ストーリーは単純であるが、彼岸の四天王寺境内のにぎわいをスケッチした点に特色がある。玩具を売る者、竹駒、鮨屋、覗きからくり、阿保陀羅経読みなどを演じ分けなければならない。また、石の鳥居、亀の池の紹介など名所旧跡のガイド説明の点もあり、演者にはかなりの力量が求められる。

笑福亭松鶴のお家芸で、五代目松鶴が臨終に際し息子の六代目に直接教えたネタと言われている。(実際は六代目はその場にいなかったとの説もある。)

クスグリも沢山あるが、中でも秀逸なのが、経木に死者の名を書く時、「次は誰やねん。」「ヘエ、俗名笑福亭松鶴。」「・・俗名笑福亭松鶴・・・おい、これだれや。」「あんた、知りまへんかいな。あの眼のギョロっとした噺家。」「ほお。あの松鶴。かわいそうにあいつ死んだか。」「いや。まだ達者でやすねん。」「これ、そら何するんじゃいな。生きてる者の名前、経木に書いてどうすんねん。」「へえ。ここらが現代で。」「何の現代ってことあるかい。・・・これでは松鶴が災難じゃ。」「日イ、いつにしときまひょ。」「せんでもええ。」(六代目松鶴演の場合)という、演者自身の名を使う件である。「地獄八景」の「◎◎、近日来演としたアる。」と同じパターンである。ここでは必ず大爆笑となる。

覗きからくり(昭和60年代まで四天王寺で演じられていた。)、露天商の売り声、さらに今は歌われなくなったわらべ唄「天王寺の蓮池で 亀は甲干すハゼ食べる。引導鐘ボンと突きゃ ホホラノホイ」が唄われたりするなど、貴重な民俗資料でもある。

五代目、六代目松鶴のほか、五代目桂文枝、四代目桂文紅らも演じていた。大阪のローカル色豊かな演目なので東京ではあまり演じる者がいないが、かの地で上方落語を演じた二代目三遊亭百生は、サゲが東京の人には分からないので、阿保陀羅経を演じる演出を取り「馬鹿馬鹿しい天王寺詣りでした。」とさげていた。現在は「無下性・・」のサゲを東京でも行っている。