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プラダを着た悪魔

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プラダを着た悪魔』(The Devil Wears Prada)は、2003年4月に刊行されたローレン・ワイズバーガーによるアメリカ合衆国の小説作品、及び2006年脚色されたアメリカ合衆国映画作品

概要

ジャーナリスト志望の主人公が悪魔のような最悪の上司の下で直向きに頑張る姿を描いた物語。そんな主人公の姿が同世代の女性から受け、ベストセラー小説の一つとなった。現在までにこの小説は27ヶ国語に翻訳されている(日本語版は早川書房より発行。訳は佐竹史子)。

著者のワイズバーガー自身も主人公と同様、「ヴォーグ」で編集長アシスタントをしていた経歴を持つ。この作品は彼女の実体験が基となっているとされ、同誌のカリスマ編集長アナ・ウインターAnna Wintour)が作中に登場する編集長のモデルであるという噂がある(実際にアナのファッション界の君臨ぶりは、鬼編集長として噂になるほどである)。だが、著者はその噂を否定している。また、編集長が運転手付きのリムジンで移動、アシスタントが数名、お洒落な個室があるのは当たり前など、日本のファッション雑誌の編集長では考えられないような待遇も描かれている。

映画版は編集長ミランダ役にアカデミー賞女優のメリル・ストリープ、主人公アンドレア役には「プリティ・プリンセス」シリーズのアン・ハサウェイが配役され、2006年6月30日より全米で拡大公開された。原作のテイストをふまえた愉快な作品に仕上がっている。興行収入は1億2000万ドルを越え、ストリープとハサウェイにとっては自身最高のヒット作となっている。

映画版の大ヒットを受け、20世紀FOXのテレビスタジオが原作のテレビシリーズ化権を獲得。30分のテレビシリーズとして製作し、もし実現すれば2007年より放送される予定であるという。

あらすじ

名門ブラウン大学(映画版ではノースウェスタン大学)を卒業し、ジャーナリストを目指すために田舎からニューヨークへとやってきたアンドレア・サックスは、幸運にも何百万の女性の憧れとする仕事・ファッション雑誌「ランウェイ」の編集部へと就職した。しかもその編集長でファッション業界に対し絶大な影響力を誇るミランダ・プリーストリーのアシスタント職である。だが、ミランダは自分の身の回りの世話をアシスタントに押し付けるなどの横暴を発揮する最悪の上司であり、今までに何人もがこの仕事を辞めていたのであった。ファッションには何の興味がなかった彼女であるが、本来の目的となる文芸誌での仕事への足がかりとして、彼女の悪魔のような要求に耐えていく。

映画版

プラダを着た悪魔
The Devil Wears Prada
監督 デビッド・フランケル
脚本 アライン・ブロッシュ・マッケンナ
製作 ウェンディ・フェネルマン
製作総指揮 カレン・ローゼンフェルト
ジョー・カラッシオロ・ジュニア
出演者 メリル・ストリープ
アン・ハサウェイ
スタンリー・トゥッチ
サイモン・ベイカー
エミリー・ブラント
エイドリアン・グレニアー
音楽 セオドラ・シャピロ
撮影 フロリアン・バルハウス
編集 マーク・リヴォルシー
配給 20世紀FOX
公開 2006年6月30日 (アメリカ)
2006年11月18日 (日本)
上映時間 110分
製作国 アメリカ
言語 英語
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2006年公開。監督は「Sex and the City」や「バンド・オブ・ブラザーズ」などのHBO作品で演出を努めたデビッド・フランケル。衣装も「Sex and the City」のパトリシア・フィールドが手掛け、俳優達の着ているその衣装も話題となった。

撮影は2005年10月から12月に掛けてニューヨークパリで行なわれた。

週末3日間の興行収入は2753万7244ドルで第2位。同日公開作の「スーパーマン リターンズ」に次ぐ記録である(ちなみにこの映画の上映館数はその半分であった)。

メリル・ストリープの演技は批評家から絶賛を受け、自身14回目となるアカデミー賞候補となる。

第63回ヴェネチア国際映画祭第19回東京国際映画祭で特別招待作品として上映されている。

キャスト

スタッフ・他

  • 劇中使用楽曲
オープニングクレジットのケイティー・タンストールの「Suddenly I See」を始め、マドンナの「Vogue」やU2アラニス・モリセットなどの楽曲が使われた。

日本におけるこの映画の情報

日本では全米公開より約5ヶ月遅れての公開となる。日本版の宣伝ポスターの一つにはモデルの押切もえの足をあしらった物を使っている。プロモーションには、出演者だけでなく、衣装担当者も来日。映画のプロモーションで衣装担当者が来日するのは稀である。

  • 恋に仕事にがんばるあなたの物語
  • こんな最高の職場なら、死んでもいい!
  • こんな最悪の上司の下で、死にたくない!

映画と小説の相違点(ネタバレあり)

  • アンドレアは小説ではブラウン大学卒だが、映画ではノースウェスタン大学卒である。また出身がオハイオからコネチカットに変わっている(しかし彼女が父親と会うとき、その父親はオハイオからくることになっている)。彼女の仕事の志望が、作家からジャーナリストに変わっていて、髪の毛がブロンドからブルーネットになっている。
  • 小説と大きく違うのはリリーの役まわりである。小説ではコロンビア大学でロシア文学を学ぶ大学生だが、映画では画廊で働いている。彼女の役割は小説ではもっと大きく、アンドレアとの過去についての細部が長く描かれている。またアンドレアと対照的な自由奔放な性格として描かれている。小説でも映画でもアンドレアが仕事でもらったデザイナーの贈り物を喜んでいる。リリーは小説ではクリスチャンを追っかけるようにアンドレアに励ますが、映画では二人が仲良くしているのを見て腹を立てる。小説では彼女がアンドレアのルームメートだが、映画ではネイトがルームメイトである。小説中で彼女は勉強のストレスからバーで男あさりをするようになり、アル中になる。アンドレアがパリにいる間に彼女が自動車事故に合い、そこから小説はクライマックスへ向かう。ネイトは小説中ではアレックスと言う名前で、映画ではシェフをやっているが、小説では"Teach for America"の人としてサウスブロンクスで4年生を教えている。彼は映画ではアンドレアと住んでいるが小説ではそうでなく、最終的には別れて友達の関係になる。
  • エミリーは小説ではもっと登場し、ミランダに対してもっとひねくれた態度を取る。時々、ミランダにやったと言った仕事をやってないことがある。全体に彼女はもっと好意的に書かれている。映画ではリリーでなく、エミリーが交通事故にあう。
  • 小説でも映画でも、アンドレアは"本"とミランダのドライクリーニングを彼女の家に届けなければならない。小説ではミランダと行儀の悪いキャシディー、キャロラインが夕食をとっている最中にアンドレアが中に入りいきなり話し始める。当然これでミランダは恥をかくことになる。このシーンは映画では、シンプルになっている。娘たちがアンドレアをだますために彼女を二階に案内しようとし、それに付いて行ったアンドレアはミランダが夫と議論しているところに出くわしてしまう。
  • 全体に小説では、ミランダははなはだしく冷たく、毒舌で、アンディと距離がある。映画では二人の間にもっと生き生きした関係やある種の理解がある。
  • Dougの役は小説にはない。
  • 小説ではクリスチャンの苗字はコリンスワースである。アンドレアとは寝ていないが映画ではそうでない。しかし本の最後のほうまで彼とアンドレアは浮ついた関係を続けている。
  • アンドレアのケーブルニットのセーターが結局はどれだけ雑誌のページの高級婦人服から影響を受けているかをミランダが説明する。またナイジェルはランウェイ誌がかなりの多くの人にとって何を象徴しているかを説明する。これらは映画にあるが小説にないことである。
  • ハリーポッターの本(出版されてない本の原稿でない)を手に入れるアンドレアの努力は小説ではもう少しうまくいかない。双子が別々のコピーを欲しいと彼女は知っていたが、実際にはひとつしか届けられない(電車にでなくパリに)。ミランダは彼女をそのことで叱る。それに映画で出てくるのはシリーズ7巻だが、小説では彼女は4巻を手に入れるようにいわれる。(双子が読んでる原稿のアップには"ハリーポッター、7巻"とある。)
  • 小説では双子はニューヨーク、ブロンクスの"Horace Mann School"に通っているが、映画ではニューヨーク、マンハッタンの"ドルトン・スクール"に通っている。
  • 小説では、ミランダの家で、どこに本とドライクリーニングおけばいいかアンドレアはそれほど混乱しない。(小説では"Fifth Avenue"のペントハウスだが映画ではタウンハウスである。)
  • Tibor Feldmanが演じたIrv Ravitzは映画で何シーンか出てくるが、小説では触れられているだけである。
  • 小説ではナイジェルはかなり長身でイギリス人で黒人であり、アンドレアが認めるくらいのセレブである。しかし映画でナイジェル(スタンリー・トゥッチ)は、白人で普通の背でロードアイランド出身である。それから本の中で彼はそんなに几帳面でなく、彼の几帳面なのは、エミリーのおかげである。
  • 彼とその他のランウェイの男性社員は小説では公然と、時には大げさなくらいにゲイである。映画では彼の役はゲイのようだが、一切それには触れられていない。そのほかの男性はストーリーから消えている。小説におけるこういった話は、映画では大幅になくなっている。
  • 小説ではナイジェルに新しい仕事は舞い込んで来ない。クリスチャンもランウェイから仕事がくることはない。
  • アンドレアもミランダもユダヤ教の家庭の生まれだ(ミランダは自分の名前をユダヤ的でないものに決して変えなかった。)。映画では登場人物の宗教と民族について触れられていない。
  • エミリーはイギリス人。小説では国籍に触れられていない。
  • 逆にミランダは小説でイギリス人。しかしストリープは彼女をアメリカ人として演じている。
  • 小説ではエミリーは一時性の単核球増多症になって、パリにいけない。映画ではアンドレアが慈善展覧会に来た客の名前を覚えていて、風邪で病気のエミリーは駄目だった時に、ミランダはアンドレアのほうが役に立つと心に決めた。ミランダはアンドレアに、あなたがパリに行けるかどうかは、エミリーに自分が代わりに行くことを宣告するかどうか次第だ、と言った。 しかも映画ではエミリーが解雇されることを匂わせている。だがアンドレアがエミリーにパリ行きを伝える前にエミリーは車にはねられる。
  • 本ではアンディはパーティーでミランダから友人の息子のベビーシッターをするように言われる。結局、息子とはクリスチャンのことだった。こういったことは映画ではおきない。
  • アンディには姉がいて子供を産んだが、その子が生まれてから数ヶ月会えなかった。ミランダがアンディの首にしっかりと縄をかけていたからである。
  • 小説ではミランダの夫は彼女を捨てない。二人は安定した幸せな夫婦である。
  • 小説ではミランダの仕事が危うくなることはない。映画ではそうなる。
  • 小説ではアンドレアは"Fuck you,Miranda.Fuck you."とミランダにいって仕事をやめるが、映画では噴水に携帯を投げ捨てる。小説では、これの原因は、ミランダの娘たちのパスポートが一週間前に期限が切れていたことをアンドレアが知らず、その事をミランダが責め、さらに娘たちにパスポートを与えて、今夜中にパリ行きの飛行機に乗せなければならないのにあなたのせいだ、とミランダが非難したことである。彼女はすぐにニューヨークに戻り、昏睡状態のリーリーを看病しに行った。ミランダは実際小説でその後あまり出てこない。彼女は何のコネも作ってくれない。アンドレアが作れる一番のコネはseventeenにいる女性という事で、ミランダを嫌う事で強化される。
  • アンドレアが最後にはセブンティーンで自伝的な短い話を書くという、もっとまじめな仕事に就くところで小説は終わる。その時Elias-Clarkのところへ戻って、会社の雑誌の書く割り当てについてほかの人と話し合った。代わりに映画では、彼女がずっとなりたいと思っていた報道の地位をNew York Mirrorで得た。(Village Voiceのパロディ)
  • 最後のほうで映画からは、ミランダが冷たく無情な外見とは裏腹に、アンドレアをとても尊敬しているような印象を得るし、アンドレアがミランダを好きになったとさえ感じられる。小説では、ミランダは彼女に雑誌で短編を書かせるように提案し、"The New Yoker"に働きかけるとはいえ、ミランダが本当は彼女をどう思っているのかは、分からない。小説でアンドレアはミランダのしたことのいくつかに感謝を示しているが、映画でしているほどではない。
  • 小説の最後のほうで、アンドレアとミランダの対立のせいでけんかがあったので、エミリーはアンドレアを知らない振りをしているように感じられる。しかし映画では、エミリーがアンドレアをとても尊敬して、気に入っていて、そして、彼女は第二アシスタントとして立派に仕事をしていたことを、新しいアシスタントがはっきりと知ることになる。
  • 映画ではアンドレアは親切にパリから届いた服をエミリーにすすめる。小説では服を古着屋に売って$38,000をもうけ、次の年の物書きとしての生活の糧とする。
  • 本ではミランダとアンドレアはHotel Ritzに泊まっている。映画ではPlaza Athénéeである。
  • 本ではミランダが好んで着けるエルメスの白のスカーフは続かないが、映画ではエミリーがタクシーに撥ねられたとき道路一面に白のスカーフが散らばる。

外部リンク