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大塚・歳勝土遺跡

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 大塚・歳勝土遺跡は1973年の発掘調査で明らかになりました。大塚遺跡は、弥生時代中期の環濠集落であることが確認され、また歳勝土遺跡は、弥生時代から古墳時代にかけてのお墓である方形周溝墓群が発見され、お墓であることが明らかになりました。このように集落とお墓が一体となって発見され完全な形で発見されることはまれで、その全体像が明らかになり1986年に国指定の遺跡に指定されました。現在、歳勝土遺跡と大塚遺跡の3分1の面積にあたる約33000平方メートルが保存され発見された遺構のうち竪穴住居址27軒を保存し、うち7軒復元し、高床倉庫と考えられる掘立柱建物10棟検出され、うち1棟を復元し、環濠250メートルを復元し保存しています。歳勝土遺跡は、発見された遺構25基の方形周溝墓を保存し、うち5基を復元して保存しています。  大塚・歳勝土遺跡は学校の教科書にも載っているくらい有名で貴重な遺跡です。また周辺を整備して横浜市歴史博物館と一体的に理解しやすい歴史を体験できるよう大塚・歳勝土遺跡公園として整備されています。