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矢内一雄

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矢内 一雄やない いちお1931年昭和6年)1月14日 ‐ )は、日本政治家群馬県伊勢崎市市長

経歴

群馬県立佐波農業学校(現:群馬県立伊勢崎興陽高等学校)を卒業後、米穀検査員となる。その後、父義雄の後を継ぎ農業に従事。農業の傍ら前橋市立工業短期大学(現:前橋工科大学)建築工学科第二部で学び、二級建築士の資格を取得。1964年、矢内建設(当初は有限会社、後に株式会社)を設立し社長に就任、民間住宅建設などを専門とする(後に土木分野にも進出)。1987年、伊勢崎市議会議員当選(1期)。1992年に群馬県議会議員に転進。1997、2期目の途中、現職の高橋基樹氏に挑戦する形で伊勢崎市長選に立候補するも苦杯を嘗める。その後、地元の地区長(波志江一丁目)を務めるなどして充電。高橋氏退陣を受けての2001年2月の伊勢崎市長選に再出馬、70歳で初当選を果たした。建築業界から政界へ進出するきっかけとなったのは、伊勢崎巴ライオンズクラブ会長時代の経験であると自ら語る。一男一女がいるが、いずれも独立し別居。妻幸代と二人暮らし。

大観覧車建設騒動

矢内一雄の市政運営の手法は地味ではあるが堅実だと評価されることが多い。平成の大合併によって人口20万になった新伊勢崎市の初代市長に就任(2005年1月)後も、スタンドプレーを苦手とするため、たとえば群馬県太田市清水聖義市長と較べてマスメディアへの露出度は遥かに低かった。その矢内一雄の名前が、2006年突如TVの全国放送に登場するようになった。大観覧車騒動がそれである。伊勢崎市北関東自動車道に 新たなPAを誘致するため、波志江町に「環境ふれあい公園」整備計画を高橋基樹前市長時代から進めていた。その目玉が大観覧車(高さ88メートル)である。皮肉なことに計画が市議会で承認された頃から、地元住民の間で反対運動が湧き上がった。観覧車によって周辺住民のプライバシーが脅かされるというのがその理由である。やがて、巨大遊戯施設建設は税金の無駄遣いであると論点を移し、伊勢崎市全体におよぶ反対運動へと発展した。署名活動が開始された時点で、大観覧車発注は市議会の承認を得ていた(建設費用約10億円のうち7億円が合併特例債によって賄われることが前提)が、北海道夕張市の 財政破綻報道に象徴されるように、自治体によるハコモノ行政への批判がマスコミを賑わせた時期でもあり、東京のマスメディアが大挙取材に押しかける騒ぎとなった。市長や市幹部がマスコミ報道に不信感を抱き、取材拒否するという姿勢に出たため、却ってマスコミの反発を買い、税金無駄遣いの好例としてTVのワイドショーでも取り上げられる事態に立ち至った。それに伴い住民による反対運動が盛り上がり、2万名以上の反対署名が集まった。こうしたなか、事前交渉に おいては合併特例債の発行にゴーサインを出していた総務省も慎重な姿勢に転じ、2007年1月、矢内市長は観覧車建設延期を発表せざるをえなくなった。これは実質的な建設計画撤回である。現在、伊勢崎市は観覧車建設を受注した業者(泉陽興業)との間で、契約解消に向けた話し合いを行っているが、違約金の支払いなどをめぐり交渉は難航しているものと思われる。

関連項目

外部リンク