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イヴァ・ビトヴァ

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イヴァ・ビトヴァ(Iva Bittová, 1958年7月22日 - )は、チェコ出身。アバンギャルドロマのヴァイオリニスト、歌手、作曲家。「イヴァー・ビットヴァー」と表記されることもある。1970年代中頃、女優として何本かのチェコ映画に出演した後、1980年代初期から、ヴァイオリニスト兼歌手としての活動をメインとする。1986年からレコーディングをはじめ、1990年頃には、そのユニークな歌唱、演奏テクニックが、国際的に認められるようになる。以降、ヨーロッパアメリカ日本で定期的に公演し、8枚を越すアルバムを発表する。

音楽活動と並行して、時々だが、今なお映画にも出演している。2003年に、Zena役で出演した映画「ジェラリ」は、第76回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。

経歴

ビトヴァはモラヴィア北部のブルンタール郡(当時はチェコスロバキア)で生まれた。3人姉妹の次女で、一家は音楽一家だった。父親のコロマン・ビトは南スロバキア出身の有名なロマのミュージシャンで、フォークおよびクラシック音楽のアンサンブルで、ギター、トランペット、ダブルベースを演奏していた。母親のリュドミラ・ビトヴァ(旧姓マサロヴァ)はプロのヴォーカル・グループで歌っていた。子供時代、ビトヴァはオパヴァでバレエとヴァイオリンのレッスンを受け、ズディエニェク・ネイェドリのシレジア劇場で子役も勤めた。1971年、一家はブルノに移る。ビトヴァはブルノの音楽学部で学ぶが、次第に音楽から演劇に興味が移っていった。それから10年間、ビトヴァは女優として、映画やブルノのテレビ・ラジオ番組に出演する。

1980年代初期になって、音楽に戻り、ブルノのヤナーチェク・アカデミーの教授、ルドルフ・シュチャストニーの下でヴァイオリンを学ぶ。同時に、演劇大学でヴォイス・トレーニングをし、独特の歌唱・演奏スタイルを身につける。1985年、チェコのロック・グループ「デュナイ」のパーカッショニスト、パヴェル・ファイトとのコラボレート・アルバム「Bittová + Fajt 」を発表。スラヴ音楽やロマ音楽が融合したオルタナティブ・ロックだった。1986年にはソロでEPを数枚出し、一方でデュナイとの共演も続けた。1987年、ファイトと組んだセカンド・アルバム「Svatb(The Wedding)」がReview Recordsから世界発売されると、ビトヴァの人気はブレイクした。まず、イギリスのパーカッショニストで、Recommended Recordsのオーナーのクリス・カトラーがこのアルバムに注目し、「Bittová + Fajt 」を世界向けに再リリース。続いて、同じイギリスの、アバンギャルド音楽のギタリスト、フレッド・フリスが、自身の映画「ステップ・アクロス・ザ・ボーダー」(1990年)に、ビトヴァとファイトを出演させた。これが二人のはじめての国際的な露出となり、さらに東欧圏外へのツアーも行った。

1991年、ビトヴァは彼女にとって最初のソロ・アルバムとなる「Iva Bittová」を、続いて、初のアメリカ・リリースとなった「リヴァー・オヴ・ミルク 」を発表。1997年には、クラシック音楽にも進出し、一連のコンサートを催し、またドロテア・ケレロヴァとヴァイオリン・デュオを組んで、バルト−クのアルバムを出した。同年、ウラジミール・ヴァーツラヴェクと共に、二枚組のアルバム「Bílé Inferno(White Inferno)」を発表。その成功により二人は即興演奏グループ「チコリ」を結成する。

ビトヴァは、フレッド・フリス、クリス・カトラー、トム・コラら各国のアバンギャルド・ミュージシャンと共演し、またソロ・コンサートを世界中で行っている。パヴェル・ファイトと結婚し、現在、二人の息子、マトウッシュ、トニクと、ブルノ近郊のLelekovice村に住んでいる。

ビトヴァの音楽

ビトヴァの音楽は、ロックと、彼女が「私の個人的なフォーク・ミュージック」と語る[1]東欧音楽とのブレンドである。彼女のヴァイオリン演奏は、たとえばバンジョーのように弦を撥で弾き鳴らしたりと、さまざまなテクニックが混在している。また、発声も伝統的な歌い方の音域を超えて、甲高く、喉の奥から絞り出すノイズのようである。体全体を使ってのパフォーマンスは、演劇で培った技術の賜物である。[1]オール・ミュージック・ガイドのライターは、「なんといっても彼女の魅力は、独創的な声の使い方、アバンギャルドと童歌との境界線上に位置するメロディで、世界中に多くのファンを生んだ」[2]


ディスコグラフィ

コラボレーション

With パヴェル・ファイト
  • 1985年「Bittová + Fajt 」(LP、Panton)
  • 1987年「Svatba(The Wedding)」(LP、Review Records)
With デュナイ
  • 1989年「The Danube」(LP、Panton)
  • 1996年「Pustit Musš(You Must Let Go)」(CD、Rachot Behemot)
With ドロテア・ケレロヴァ
  • 1997年「Béla Bartók: 44 Dueta pro Dvoje Housle(44 Duets for Two Violins)」(CD、Rachot Behemot)
With ウラジミール・ヴァーツラヴェク
  • 1997年「Bílé Inferno(White Inferno)」(2枚組CD、Indies Records)
With シュカンパ四重奏団
  • 1998年「Classic」(CD、スプラフォン)
With オランダ管楽アンサンブル
  • 2000年「吸血鬼の踊り」(CD、N.W.E.)
With アンドレアス・クロペル
  • 2001年「Echoes」(CD、スプラフォン)
With チコリ
  • 2001年「Čikori i」(CD、Indies Records)
With ミロシュ・ヴァレント
  • 2004年「ヤナーチェク:歌によるモラヴイア民俗詩」(CD、スプラフォン)
With DJ Javas
  • 2004年「The Party」(CD、Indies Records)
With ミロシュ・ヴァレントマレク・シュトリンツルソラメンテ・ナトゥラリブラティスラヴァ音楽院合唱団
  • 2006年「ゴダール:マテル-聖母-」(CD、ECM)
With バング・オン・ア・カン
  • 2006年「Elida」(CD、Indies Records)
With ジョージ・ムラーツエミール・ヴィクリツキーLolo Tropp
  • 2007年「Moravian Gems」(CD、Cube Metier)

ソロ

  • 1986年「Iva Bittová」(EP、Panton)
  • 1986年「'Balada pro Banditu(A Ballad for a Bandit)」(EP、Panton)
  • 1991年「Iva Bittová」(LP、Pavian)
  • 1991年「リヴァー・オヴ・ミルク」(CD、EVA Records)
  • 1994年「Ne, Nehledej(No, Do Not Seek)(CD、BMG)
  • 1995年「Kolednice(Carol singer)(CD、BMG)
  • 1996年「Divná Slečinka(A Strange Young Lady)(CD、BMG)
  • 1997年「Solo」(CD、Nonesuch Records)

フィルモグラフィ

  • 1976年「Ružové sny(Rosy Dreams)」
  • 1976年「Die Insel der Silberreiher(Island of the Silver Herons)」
  • 1977年「Jak se budí princezny」
  • 1978年「Balada pro Banditu(Ballad for a Bandit)」
  • 1983年「Únos Moravanky」
  • 1988年「Mikola a Mikolko」
  • 1991年「Něha(Tenderness)」
  • 2000年「The Man Who Cried」(クリスティーナ・リッチの声)
  • 2003年「ジェラリ」
  • 2007年「Tajnosti」

脚注

  1. ^ a b Iva Bittová”. Czech Music Information Centre. 2006年12月4日閲覧。
  2. ^ Couture, François. “Iva Bittová”. AllMusic.com. 2006年12月4日閲覧。

外部リンク