コンテンツにスキップ

ボブ・ブーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Singing (会話 | 投稿記録) による 2007年11月10日 (土) 22:20個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (関連項目Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 野球選手#関連項目について(2)) により削除)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ボブ・ブーンRobert Raymond Boone , 1947年11月19日 - )はアメリカメジャーリーグで活躍した野球選手。捕手。右投右打。アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身。

人物・来歴

スタンフォード大学を卒業し、1969年のドラフトでフィラデルフィア・フィリーズから6巡目に指名され、入団。1972年9月10日にメジャーデビューを果たす。

打撃面では、本塁打は最多でも12、打点は66、打率は最高でも.286とそれほどの数字を残したわけではなかったが、卓越した守備力と強肩、リードでリーグを代表する捕手となる。1976年に初のオールスター出場を果たし、以後通算4回出場。1977年には年間わずか3回しかパスボールをしなかった。1978年ゴールドグラブ賞を受賞し、以後通算7回受賞。

1981年に、ストライキによるシーズン中断・短縮もあったが76試合の出場で.211の低打率に終わり、35歳の年齢もあってカリフォルニア・エンゼルスに放出されるが、新天地で息を吹き返し、この後1989年まで120~150試合の出場を続けた。特に、39歳の1986年から4年連続でゴールドグラブ賞を受賞。1989年カンザスシティ・ロイヤルズに移籍し、1990年限りで現役を引退。

捕手としての通算2,225試合出場は当時メジャー最多記録であったが、後年カールトン・フィスクに更新された。

現役引退後、1995年から1997年途中までロイヤルズで、2001年から2003年途中までシンシナティ・レッズで監督を務めた。しかし一度もシーズン勝ち越しをできず、いずれのチームでも最終年はシーズン途中で解任された。

現在はワシントン・ナショナルズでGM補佐兼球団副社長を務める。

親子三代メジャーリーガー

父は1950年代デトロイト・タイガース等で主に三塁手として活躍したレイ・ブーン。息子はシンシナティ・レッズシアトル・マリナーズ二塁手として活躍したブレット・ブーンフロリダ・マーリンズに所属する(現役の)アーロン・ブーン

つまり、ボブを含んで親子孫と三世代でメジャーでプレイした最初のファミリーとなった。四人全員がオールスターに出場した。

他の三代メジャーリーガーは下記の2組である。

ブーン・ファミリー通算成績

名前 現役年 主な守
備位置
試合 安打 本塁打 打点 盗塁 打率
レイ・ブーン(祖父) 1948年1960年 三塁手 1,373 1,260 151 737 21 .275
ボブ・ブーン(父) 1972年1990年 捕手 2,264 1,838 105 826 38 .254
ブレット・ブーン(兄) 1992年2005年 二塁手 1,780 1,775 252 1,021 94 .266
アーロン・ブーン(弟) 1997年~現役 三塁手 969 909 115 499 105 .264

※アーロンの成績は2006年終了時点。

受賞歴・記録

年度別打撃成績

球団 試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 塁打 四球 三振 盗塁 打率
1972年 PHI 16 51 4 14 1 0 1 4 18 5 7 1 .275
1973年 PHI 145 521 42 136 20 2 10 61 190 41 36 3 .261
1974年 PHI 146 488 41 118 24 3 3 52 157 35 29 3 .242
1975年 PHI 97 289 28 71 14 2 2 20 95 32 14 1 .246
1976年 PHI 121 361 40 98 18 2 4 54 132 45 44 2 .271
1977年 PHI 132 440 55 125 26 4 11 66 192 42 54 5 .284
1978年 PHI 132 435 48 123 18 4 12 62 185 46 37 2 .283
1979年 PHI 119 398 38 114 21 3 9 58 168 49 33 1 .286
1980年 PHI 141 480 34 110 23 1 9 55 162 48 41 3 .229
1981年 PHI 76 227 19 48 7 0 4 24 67 22 16 2 .211
1982年 CAL 143 472 42 121 17 0 7 58 159 39 34 0 .256
1983年 CAL 142 468 46 120 18 0 9 52 165 24 42 4 .256
1984年 CAL 139 450 33 91 16 1 3 32 118 25 45 3 .202
1985年 CAL 150 460 37 114 17 0 5 55 146 37 35 1 .248
1986年 CAL 144 442 48 98 12 2 7 49 135 43 30 1 .222
1987年 CAL 128 389 42 94 18 0 3 33 121 35 36 0 .242
1988年 CAL 1232 352 38 104 17 0 5 39 136 29 26 2 .295
1989年 KC 131 405 33 111 13 2 1 43 131 49 37 3 .274
1990年 KC 40 117 11 28 3 0 0 9 31 17 12 1 .239
通算 19年 2264 7245 679 1838 303 26 105 826 2508 663 38 50 .254

監督成績

年度 チーム 地区 年齢 試合 勝利 敗戦 勝率 順位/チーム数 備考
1995年 KC AL CENTRAL 47 144 70 74 .486 2 / 5 ストライキのため4月下旬開幕
1996年 KC AL CENTRAL 48 161 75 86 .466 5 / 5  
1997年 KC AL CENTRAL 49 82 36 46 .439 5 / 5 途中解任、順位は最終順位
2001年 CIN NL CENTRAL 53 162 66 96 .407 5 / 6  
2002年 CIN NL CENTRAL 54 162 78 84 .481 3 / 6  
2003年 CIN NL CENTRAL 55 104 46 58 .442 5 / 6 途中解任、順位は最終順位
通算 26年   815 371 444 .455    

エピソード

  • ゴールドグラブ賞を受賞できなかった1983年 - 85年はデトロイト・タイガースランス・パリッシュが獲得した。1989年のロイヤルズへの移籍は、フィリーズに移籍していたパリッシュがエンゼルスに移籍するための玉突き状態の移籍だった。
  • レッズ監督時代には、息子アーロンがレッズでプレイしていた。2002年には全162試合に出場し、26本塁打、87打点と活躍。