コンテンツにスキップ

若隼人幸治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。202.71.50.42 (会話) による 2005年4月2日 (土) 09:30個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

若隼人 幸治わかはやと こうじ1971年1月3日-)は 宮城野部屋所属の鹿児島県熊毛郡中種子町出身の元十両力士。本名は稲子幸治(いなご こうじ)。趣味は、野球観戦とパチンコ。好物は[UCC]]缶コーヒー

幼い頃から相撲を始め、小学校では地区の相撲大会で連続優勝するなど活躍を見せた。中学校では柔道部に所属したが、力士に憧れていたため相撲も続けていた。3年生の時に宮城野部屋から4度の勧誘があり、その熱意に打たれて卒業とともに入門した。1986年3月場所に本名の『稲子』で初土俵を踏んだ。決して早くは無かったが順調に番付を上げて行った。後に『若隼人』と改名し幕下に昇進してからは三段目との往復が何度かあったが幕下に定着し、1994年11月場所に新十両に昇進した。1996年3月場所には西十両3枚目間で番付を上げ、幕内の土俵にも上がり、同じ鹿児島県出身の元大関で幕尻まで番付を落としていた霧島一博|霧島との一番でも白星を挙げ、8勝7敗と勝ち越した。翌場所は東十両3枚目という番付であったが5勝10敗と負け越し入幕の夢は叶わなかった。それ以降も、幕下に陥落することもあったが十両上位で活躍していた。しかし1999年9月を最後に十両から陥落。再起を図り2000年7月場所に四股名を『若勇闘 幸治』(わかはやと こうじ)と改めたが、効果が出ず西幕下6枚目まで番付を戻した後番付が下降する一方で四股名を再び若隼人に戻したが、2001年11月場所には三段目まで陥落した。同場所は勝ち越し翌1月場所と3月場所には幕下に復帰したが負け越し、5月場所には再び三段目に陥落。7番相撲で勝ち越しを掛けたが負け越し、その相撲を最後に現役を引退した。引退後は神田で飲食店を経営している。

四股名は薩摩隼人からではなく、本人が尊敬している北勝鬨準人|北勝鬨の本名久我準人(くが はやと)の準人から由来している。