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天皇制ファシズム

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天皇制ファシズム(てんのうせい- )とは、第二次大戦前に「日本は天皇制によって特徴付けられたファシズム体制である」とする見方から、1930年代以降の大日本帝国において国家総動員法などにより確立された政治体制として共産主義者によって名付けられた造語。当時は発禁用語とされていた[1]。「日本ファシズム」ともいう [2]

概要

1935年頃を画期に「警察精神」の作興が進み労使関係・市民生活への警察の介入が深化した。警察は弾圧のみならず、社会的書体率の調整・統合・民衆動員などの機能を果たした。すなわち、イタリアドイツではファシスト大衆組織が担った役割を担った。日本の「下から」のファシズム運動は、軍部官僚などの既成権力への権力依存的特質を有していた。 [3]


天皇制ファシズムに関する意見

戦前の体制がファシズムであったことを肯定する側の見解

その見解によれば、大恐慌以降の危機に陥った資本主義を延命させるため[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。、外にあっては満州事変、日中戦争を展開して対外侵略を進め、天皇を中心とした国家体制を確立するため、政治的には政党内閣を否定し、思想的にはマルクス主義をはじめ反対派を弾圧し、経済的には統制経済化を進め、広い意味でファシズム化したとされる[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

『社会学小辞典』(有斐閣・1982年・増補版)の「天皇制ファシズム」の項には

日本の場合、イタリアやドイツなどのような「下から」の運動による国家権力の掌握ではなく、天皇制国家権力自体が「上から」なし崩し的にファシズム化していったので、天皇制ファシズムと呼ばれる。

とある。

1942年8月に文部省社会教育局は『国民同和への道』を刊行し、はじめて政府の教育方針として同和教育政策の理念・具体的方針を示した。同書は被差別部落の児童・青年を同和教育を通じて「皇国民としての純真な自覚に立たしめ、苦悩に堪え、艱難を忍び、臣道実践に邁進する強健なる心身」に「陶冶・鍛錬」するというものであった。これは旧水平社の「下から」の運動のエネルギーをも利用し、部落の児童・青年を他の児童・青年以上の「皇国民」として「陶冶・鍛錬」することを提示しており、この同和教育の指針を天皇制ファシズム教育の極限形態の一つとして把握する学説がある [4]

ファシズムであったことを否定する側の見解

「天皇制ファシズム」という用語を否定する意見として、次のようなものがある。

  • 日本の政治体制は「軍事的封建帝国主義」であると規定して、ファシズムとは認めない見解(コミンテルン、神山茂夫の説。軍事的封建的帝国主義とは、ヨーロッパ列強の帝国主義と帝政ロシアの帝国主義を区別してレーニンが用いた言葉)。
  • 日本の戦前の政治体制ナチスファシスト党のように全体主義体制を完成しておらず(ユートピアイデオロギーも見られず、私的組織(党)による政府・軍への攻撃も見られず、一元的な支配も実現していない)、全体主義的な動員も熱狂も生んでおらず、ファシズムではないとするもの。この立場からは戦前の日本について単に「軍国主義」と呼ばれることが多い。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。
  • 2度にわたる国体明徴声明には「我が国体は天孫降臨の際下し賜へる御神勅に依り昭示せらるる所にして、万世一系の天皇国を統治し給ひ、宝祚の隆は天地と倶に窮なし。」(第1次)「政教其他百般の事項総て万邦無比なる我が国体の本義を基とし、その真髄を顕揚するを要す。」(第2次)とあり、これは自由主義や社会主義のみならずファシズムを含めた外来の政治体制を排除する意図があるとする説(これは既成の右派である観念右翼日本主義者がファシズムを支持する革新右翼を攻撃する際にも用いられた)。[5]

脚注

  1. ^ 『小田切秀雄・他『昭和書籍雑誌新聞発禁年表(中巻)』(明治文献資料刊行会、1981年、485頁)
  2. ^ 『万有百科大事典』第11巻、小学館、1973年、494頁
  3. ^ 三輪泰史『日本ファシズムと労働運動』校倉書房、1988年。
  4. ^ 松浦勉「日本ファシズムの戦争教育体制と融和教育」「日本教育学会大会発表要旨集録」(日本教育学会)1991年8月28日参照。
  5. ^ 古川隆久『昭和戦中期の議会と行政』(吉川弘文館、2005年)

参考項目

文献

  • 尾川昌法「天皇制ファシズムと水平運動」「部落問題研究」1973年2月(通号36)
  • 宮地正人「天皇制ファシズムとそのイデオロ-グたち--「国民精神文化研究所」を例にとって」「季刊科学と思想」1990年4月(通号76)