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枚方市

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ひらかたし ウィキデータを編集
枚方市
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
市町村コード 27210-8
法人番号 8000020272108 ウィキデータを編集
面積 65.12km2
総人口 390,357[編集]
推計人口、2024年6月1日)
人口密度 5,994人/km2
隣接自治体 大阪府高槻市島本町交野市寝屋川市
京都府京田辺市八幡市
奈良県生駒市
市の木
市の花
市の鳥 カワセミ
枚方市役所
市長 伏見隆
所在地 573-8666
大阪府枚方市大垣内町(おおがいとちょう)二丁目1番20号
外部リンク 枚方市

枚方市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

特記事項 世帯数:166,242戸(2007年11月30日)
総人口のうち男性が199,540名、女性210,680名
市の花「菊」・市の木は1967年制定
市の鳥は2002年制定、市の花「桜」は2007年制定
ウィキプロジェクト
ファイル:Hirakata city-office.jpg
枚方市役所

枚方市(ひらかたし)は、日本大阪府北東部、北河内にあり、京都府奈良県の府県境に位置する2001年4月1日特例市に移行した。京街道宿場町七夕伝説やひらかたパークがある。

1980年代までは隣接の寝屋川市との結び付きが強かったが1990年代以降は同じく隣接の交野市との結び付きの方が強くなっている。

概要

人口約41万人。市西部は枚方市から京橋までノンストップ特急が走る京阪電気鉄道京阪本線、市東部はJR片町線(学研都市線)京橋北新地尼崎と結び、市中心部は国道1号線で大阪市と密に結ばれた大阪のベッドタウンである。枚方市駅周辺にはラポールひらかた(総合福祉会館)・メセナひらかたなど、数々の交流施設がならぶ。2006年1月7日には高度救命救急機能を備え、日本一ゆったりした超巨大病院ともいわれる関西医科大学付属枚方病院が開院し、北河内全域をカバーできる医療施設として活用されている。現在・今後のまちづくりとして、京阪奈の中心都市にふさわしい質の高いまちを目指し、このエリアの持つ自然、文化、歴史を感じながら、人々が集い、交流できる拠点形成を目指す、枚方市駅周辺整備基本構想が作成され、現在整備を進めているところである。コンセプトは、『歴史と文化が薫る、川に開かれたまち』。

枚方市の特徴

京阪電鉄のCMで「ひらパー」というネーミングが関西一円に浸透し、いまではこちらの呼び名が主流になってしまった。この遊園地は枚方市の現在におけるシンボルであり、多くの人に親しまれている。また、少子化による客員減少のため、大規模な再開発が予定されている(詳細はひらかたパーク参照)。

2005年まで続いた「ひらかた大菊人形」が廃止されたことでも知られる。

日本一暑いまち

夏になると、ニュースやワイドショー、新聞などで日本一暑いまちとして度々登場している。市もこれを町おこしに利用しようとしている。しかし、実際は日本一暑い日が3回程度あっただけであり、冬は積雪もある(詳細は気候の欄)。

枚方発祥のもの

CDやDVDのレンタルで有名なTSUTAYAの1号店や、オムライスや洋食で有名なポムの樹が枚方発祥である。

七夕伝説の語り継がれる地

枚方から隣接する交野市にかけての一帯には、平安の昔「交野ヶ原」(かたのがはら)と呼ばれていた頃から伝わる七夕伝説がいまに残されている。天の川を間に、別れ別れになった織姫牽牛が、年に一度、七夕の夜に逢って愛し合うという七夕の話である。

名称に対する誤読・誤記

「枚」を「ひら」と読むケースが少ない(かつては枚岡市(現・東大阪市の一部)があった)ため、関西以外の在住者からはしばしば「まいかた」等に誤読される。また、字面から「方」という誤植・誤記も散見される。

地理

枚方市は、大阪市と京都市のほぼ中間にあたる大阪府北東部、大阪市から京都市に向って約20kmの淀川左岸に位置する。東西12.0km、南北8.7kmの三角形を成しており、面積は65.08km²となっている。 東の生駒山地と西に流れる淀川に囲まれており、市の東側は生駒山地に至る山地、市の中心部から西は大阪平野の北東端となっている。

地形

市の地形は標高によって大きく4つに区分される。 市の東端部は標高100m以上の山地地区となっており、山並が生駒山地に連なっている。 山地地区の西側は標高50m~100mの山麓地区となっており、長尾丘陵が広がる。 山麓地区の西側は標高20m~50mの丘陵地区となっており、天野川を挟んで東の枚方台地と西の香里丘陵が広がっている。市域の大部分がこの丘陵地区となっている。 淀川および淀川に流入する河川の付近は標高20m以下の淀川低地地区となっており、河川の氾濫原が広がっている。

丘陵地区の地層は、約200万年前から数万年前の間に繰り返された氷河期と間氷期に堆積した大阪層群と呼ばれる地層の内、第2海成層から第7海成層にあたる地層と数種類の火山灰層から成り、東洋象やムカシニホンシカなどの化石が発掘されている。

市内を流れる河川の多くは東の生駒山地に端を発す。一級河川である船橋川穂谷川、天野川も同様に、生駒山地から平行して市内を西流し、淀川に合流したあとに大阪湾に流れ込む。

生駒山地と大阪平野の境界付近には生駒断層帯と呼ばれる活断層帯が有り、生駒断層帯に含まれる田口断層、交野断層、枚方断層が市内を南北に縦断する。田口断層は市北部の男山山地西縁から南南東に伸びたのち南南西に屈曲している。交野断層は生駒山地の西縁を南北に、また枚方断層は香里丘陵西縁から南方に伸び、交野断層と枚方断層はそれぞれ四條畷市付近で生駒断層に連なる。

気候

瀬戸内海式気候区に属し、比較的温暖で降水量は少ない。また夏はヒートアイランド現象の影響により大阪市付近で熱せられた空気が、大阪湾沿岸部からの海風に乗って流入し、枚方市付近で生駒山系に阻まれる。そのため大阪市内よりも気温が高くなる傾向が有る。33℃以上の時間は1980年代は40~80時間/年だったが1990年代後半からは150時間/年前後である。

年間降水量1,062mm、日最大降水量67mm、平均気温16.2℃、最高気温38.3℃、最低気温-2.9℃(以上2001年

歴史

枚方の地名は古く、日本最古級の文献である古事記日本書紀風土記などに登場している。

6世紀~10世紀

  • 507年(継体天皇元年) 2月4日 (旧暦) 継体天皇が樟葉宮(くずはのみや)で即位。
  • 512年(継体天皇6年) 山背国(やましろのくに) 筒城宮(つつきのみや)(現在の京田辺市)に遷都。
  • 530年(継体天皇24年) 日本書紀に枚方が比攞哿駄(ひらかた)として初出。
  • 750年天平勝宝2年) 百済寺建立。
  • 935年承平5年) 紀貫之が「土佐日記」にて渚の院を記す。

11世紀~17世紀

19世紀~第二次大戦


第二次大戦後

  • 1947年(昭和22年) 8月1日 市制施行。枚方町が枚方市に。面積40.62km²、人口41,041人。
  • 1950年(昭和25年) 市民病院開院。
  • 1952年(昭和27年) 大阪陸軍造兵廠枚方製造所(旧陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所)が小松製作所に払い下げ決定。百済寺跡特別史跡指定。大阪府立図書館枚方ブックステーション開設、国道2号線が国道1号線に改称。枚方事件発生。
  • 1955年(昭和30年) 10月15日 津田町合併。人口約5万人。
  • 1956年(昭和31年) 中宮第一団地、中宮第二団地完成。東京第二陸軍造兵廠香里製造所跡に香里団地造成開始。
  • 1958年(昭和33年) 香里団地入居開始。
  • 1962年(昭和37年) 交通安全都市宣言。
  • 1963年(昭和38年) 国道170号が制定(4月1日)。枚方高校開校。枚方市教育委員会が枚方テーゼを宣言。人口が10万人を超える。
  • 1964年(昭和39年) 国道1号が一部(中振~招提間)開通。
  • 1965年(昭和40年) 枚方市民会館開館。枚方ブックステーションが枚方市図書センターとして市民会館3Fに移転。
  • 1966年(昭和41年) 国道1号枚方バイパス全面開通。
  • 1967年(昭和42年) 市の花「菊」、市の木「柳」、市旗制定。
  • 1968年(昭和43年) (新)枚方大橋開通。
  • 1970年(昭和45年) 国道307号が制定(4月1日)。野外活動センター開設。枚方中学校開校。人口が20万人を超える。
  • 1971年(昭和46年) 枚方市民憲章制定。精神衛生都市宣言。市民会館大ホール完成。
  • 1972年(昭和47年) 樟葉駅前にくずはモール街開業。
  • 1973年(昭和48年) 枚方市立図書館発足。自動車文庫「ひなぎく号」運行開始。
  • 1974年(昭和49年) 中村市(高知県、現・四万十市)友好都市提携。
  • 1975年(昭和50年) ひらかたサンプラザビル完成。暴力排除都市宣言。
  • 1976年(昭和51年) 人口が30万人を超える。
  • 1979年(昭和54年) 国鉄片町線藤阪駅開設。
  • 1980年(昭和55年) 2月20日 枚方市立第一中学校(当時)の生徒5人による京阪電車置石脱線事件
  • 1982年(昭和57年) 国道168号が枚方市まで延長(4月1日)。非核平和都市宣言
  • 1983年(昭和58年) 総合体育館開館。
  • 1984年(昭和59年) 枚方八景制定。
  • 1987年(昭和62年) 別海町(北海道)、塩江町(香川県、現・高松市)、上海市長寧区中華人民共和国)友好都市提携。
  • 1989年(平成元年) 平和の日制定。京阪ケーブルテレビジョン(現ケイ・キャット)放送開始。
  • 1990年(平成2年) 岡本町再開発ビル「ビオルネ」完成。陸上競技場開設。
  • 1992年(平成4年) 第71回全国高校ラグビー大会で啓光学園高校が初優勝。枚方市高齢社会憲章制定。
  • 1993年(平成5年) 人権尊重都市宣言。枚方市駅高架化完成。
  • 1994年(平成6年) 健康・福祉推進都市宣言。
  • 1995年(平成7年) ローガン市(オーストラリア)友好都市提携。人口が40万人を超える。
  • 1996年(平成8年) ひらかたパーク改装完成。倉敷紡績枚方工場が徳島市に移転。
  • 1997年(平成9年) 名護市(沖縄県)友好都市提携。エフエムひらかた開局。
  • 1999年(平成11年) 第78回全国高校ラグビー大会で啓光学園高校が優勝。大滝村(北海道、現・伊達市)、天川村(奈良県)、波佐見町(長崎県)市民交流都市宣言。少年野球チーム枚方リトルがリトルリーグ世界大会で優勝。
  • 2000年(平成12年) 第79回全国高校ラグビー大会で東海大付属仰星高校が初優勝
  • 2001年(平成13年) 特例市移行。
  • 2002年(平成14年) 第81回全国高校ラグビー大会で啓光学園高校が優勝。市の鳥「カワセミ」制定。
  • 2003年(平成15年) 第82回全国高校ラグビー大会で啓光学園高校が2連覇。第二京阪道路部分開通、枚方東IC使用開始。枚方市駅・樟葉駅に特急が終日停車開始(平日昼間時・土休日終日)。
  • 2004年(平成16年) 第83回全国高校ラグビー大会で啓光学園高校が3連覇。CHOYA枚方工場が東大阪市に移転。
  • 2005年(平成17年) 第84回全国高校ラグビー大会で啓光学園高校が4連覇。くずはモール街がKUZUHA MALLに全面改装。関西外国語大学片鉾学舎跡に生涯学習兼地域交流施設「輝きプラザきらら」「中央図書館」開館。ひらかた大菊人形展閉幕。
  • 2006年(平成18年) 倉敷紡績枚方工場跡に関西医科大学付属枚方病院開院。中央図書館市駅前サテライト。第28回全国選抜高校テニス大会で男女共に長尾谷高校が初優勝。
  • 2007年(平成19年) 第86回全国高校ラグビー大会で東海大付属仰星高校が7大会ぶり2度目の優勝。2月9日市の花「桜」制定。第29回全国選抜高校テニス大会で長尾谷高校が団体戦女子2連覇。7月31日中司宏市長が談合疑惑で逮捕8月21日中司宏は、副市長を経由して市長辞職届を議会議長あてに提出。辞職期日が記載されてないため、9月10日に退職することになった。

区域の変遷

変遷の歴史

  • 旧国郡
    • 河内国茨田(まった)郡
      • 枚方村、岡新町村、三矢村、泥町村、岡村、伊加賀村
      • 中振村、出口村、走谷村
    • 河内国交野郡
      • 津田村、野村、春日村
      • 茄子作村、田宮村、山之上村、村野村
      • 尊延寺村、杉村、穂谷村
      • 長尾村、藤阪村
      • 甲斐田村、中宮村、田口村、片鉾村
      • 渚村、坂村、小倉村、下島村、上島村、宇山村、養父村、禁野(きんや)村
      • 招提村
      • 楠葉村、船橋村
    • 摂津国嶋上郡
      • 磯島村
  • 1868年(明治元年)5月2日 天領に大阪府を設置(府藩県三治制)。
  • 1868年(明治元年)6月 大阪府から和泉国を分離し堺県を設置。
  • 1869年(明治2年)1月20日 河内国に河内県、摂津県を設置。
  • 1869年(明治2年)8月2日 河内県が堺県に併合。
  • 1871年(明治4年) 市域の藩領が全て堺県に併合(廃藩置県)。
  • 1874年(明治7年)8月 磯島村が摂津国嶋上郡から河内国交野郡に編入。
  • 1881年(明治14年)2月7日 堺県が大阪府に合併。
  • 1889年(明治22年)4月1日 茨田郡枚方町、蹉跎(さだ)村、交野郡津田村、川越村、氷室村、菅原村、山田村、牧野村、招提村、樟葉村が誕生(郡区町村編制法の施行)。
    • 大阪府茨田(まった)郡
      • 枚方町(← 枚方村、岡新町村、三矢村、泥町村、岡村、伊加賀村)
      • 蹉跎(さだ)村(← 中振村、出口村、走谷村)
    • 大阪府交野郡
      • 津田村(← 津田村、野村、春日村)
      • 川越村(← 茄子作村、田宮村、山之上村、村野村)
      • 氷室村(← 尊延寺村、杉村、穂谷村)
      • 菅原村(← 長尾村、藤阪村)
      • 山田村(← 甲斐田村、中宮村、田口村、片鉾村)
      • 牧野村(← 渚村、磯島村、坂村、小倉村、下島村、上島村、宇山村、養父村、禁野村)
      • 招提村(← 招提村)
      • 樟葉村(← 楠葉村、船橋村)
  • 1896年(明治29年) 茨田郡、交野郡、讃良(ささら)郡が合併し北河内郡に。
  • 1935年(昭和10年)2月11日 牧野村、招提村が合併し殿山町に。
  • 1938年(昭和13年)11月3日 枚方町、蹉跎(さだ)村、川越村、山田村、殿山町、樟葉村が合併し枚方町に。
  • 1940年(昭和15年)11月15日 津田村、氷室村、菅原村が合併し津田町に。
  • 1947年(昭和22年)8月1日 枚方町が枚方市に(市制施行)。
  • 1955年(昭和30年)10月15日 津田町を合併。

合併協議会

寝屋川市交野市との合併が協議され、京阪間の政令指定都市の誕生を目指したが、白紙に戻った(平成の大合併)。大阪、京都のベットタウンとして発展をしてきた3市は、京都市、大阪市に埋没して昼間の賑わいが乏しく特色の出し切れない街になっている。政令市になることで、知名度を上げ、予算を集中的に配分することで文化施設あるいはJリーグなどのシンボルを誘致する事も期待され、また百貨店など産業の集積も期待された。

地方公共団体としての枚方市

行政

副市長:木下誠

清掃工場建設にからむ談合疑惑の中で、2007年8月21日、市長・中司宏より市長退職申出書が提出され、市議会議長が受理した。申出書に退職期日が記載されていないため、市長は20日後の9月10日に退職した。

歴代枚方市長

枚方町長
津田町長
  • 三嶋健男 (1947年から)
  • 三宅一郎 (1948年から)
  • 三宅一郎 (1952年から1955年まで)枚方市への合併に伴い退任
市制施行後
  • 初代   寺嶋宗一郎(1947年から)旧枚方町長、市制施行に伴い市長就任
  • 第二代  寺嶋宗一郎(1951年から)
  • 第三代  畠山晴文 (1955年から)
  • 第四代  寺嶋宗一郎(1959年から)
  • 第五代  寺嶋宗一郎(1963年から)
  • 第六代  山村富造 (1967年から)
  • 第七代  山村富造 (1971年から)
  • 第八代  山村富造 (1975年から)
  • 第九代  北牧一雄 (1975年から)
  • 第十代  北牧一雄 (1979年から)
  • 第十一代 北牧一雄 (1983年から)
  • 第十二代 北牧一雄 (1987年から)
  • 第十三代 大塩和男 (1991年から)
  • 第十四代 中司宏 (1995年から)
  • 第十五代 中司宏 (1999年から)
  • 第十六代 中司宏 (2003年から)
  • 第十七代 中司宏 (2007年から)談合事件で引責辞任
  • 第十八代 竹内脩 (2007年9月23日~現職)

財政

1995年決算から実質収支が赤字になり1999年度には累積赤字が29.8億円と膨らんだ。財政再建準用団体への転落も危惧される中で財政再建を進められ、2002年度決算で黒字化を果たした。市税収入の前年度割れが続く中、2002年度から2004年度まで3年連続して、実質収支の黒字を計上している。

歳入の大半を占める市税収入は、長引く不況の影響により1997年の651億円をピークとして2004年度まで7年連続して減収が続いており、2004年度の市税収入は544億円である。歳入不足を補うために市債が発行されており、その総額は2004年度までに約148億8800万円に上る。

2005年4月現在のラスパイレス指数は98.7(全国自治体平均98.0)であり、1997年4月時点の107.3(1998年、1999年は不明)、2000年4月時点の105.8、2001年4月時点の103.5、2002年4月時点の103.3、2003年4月時点の102.1、2004年4月時点の99.1と、全国的に高水準だったラスパイレス指数の低下に人件費の削減が進んでいる事が現れている。

議会

  • 議員定数:34
  • 会派別構成
    • 公明党議員団(8名)
      • 池上公也、大隈恭隆(議長)、岡林薫、有山正信、小野裕行、出井宏、大森由紀子、森裕司
    • 民主連合議員団(7名)
      • 松浦幸夫、鷲見信文、三島孝之、野村生代、大塚光央、桝田義則、福留利光
    • 日本共産党議員団(6名)
      • 西村健史、中西秀美、伊藤和嘉子、石村淳子、広瀬ひとみ、野口光男
    • 自民党清和会(4名)
      • 千葉清司、出来成元、堀野久兵衞、高野寿陛
    • 自由民主党議員団(3名)
      • 榎本正勝(副議長)、前田富枝、岡沢龍一
    • 改革市民会議(3名)
      • 池上典子、高橋伸介、伏見隆
    • 民主市民議員団(3名)
      • 河西正義、堀井勝、西田政充

広域事務

  • 枚方寝屋川消防組合

消防

枚方寝屋川消防組合が枚方市と寝屋川市の消防を担当している。

  • 枚方消防署
  • 枚方東消防署

府の機関

行政

警察

  • 大阪府警察枚方警察署 - 枚方市と交野市を管轄し、2006年12月現在 管轄内人口約48万人で全国一
  • 交野市倉治一丁目に枚方市東部と交野市を管轄する枚方第二警察署を建設予定

郵便局

国の機関

  • 財務省国税庁大阪国税局枚方税務署
  • 財務省国税庁税務大学校大阪研修所
  • 国土交通省近畿地方整備局浪速国道事務所
  • 国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所
  • 国土交通省近畿地方整備局淀川ダム統合管理事務所
  • 国土交通省近畿地方整備局近畿技術事務所
  • 厚生労働省大阪労働局北大阪労働基準監督署
  • 厚生労働省大阪労働局枚方公共職業安定所(ハローワーク)
  • 厚生労働省社会保険庁大阪社会保険事務局枚方社会保険事務所
  • 枚方簡易裁判所
  • 法務省大阪法務局枚方出張所

経済

産業

枚方の近代産業は、大正時代に開業した日本メリヤス株式会社と蝶矢シャツ製造所に始まった。

また戦前から戦中に掛けて、枚方市は軍需産業が盛んであった。明治時代に開設された陸軍禁野火薬庫に始まり、昭和に入ると陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所、東京第二陸軍造兵廠香里製造所が開設された。 戦後これらの軍事施設は民間に払い下げられ、大阪陸軍造兵廠枚方製造所(旧陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所)は小松製作所大阪工場に、禁野火薬庫と東京第二陸軍造兵廠香里製造所は、住宅団地としてそれぞれ日本住宅公団中宮団地、香里団地へと生まれ変わった。

戦後、企業誘致により市内に多くの企業団地が作られた。枚方中小企業団地(現枚方企業団地)、枚方既製服団地(現枚方紳士服団地)、枚方家具団地などにさまざまな事業所などが集まり、これらの工業団地が枚方の高度経済成長を支える原動力となった。企業誘致に際して立地を一箇所に集約しなかったため、これらの企業団地はある程度のまとまりがあるものの、市内に点在する形となっている。

しかし産業構造の変化や宅地化の進展により、近年これらの事業所が市外へ移転する事が増えている。枚方の近代産業の先駆けである倉敷紡績枚方工場(旧日本メリヤス)が1996年に、CHOYA枚方工場(旧蝶矢シャツ製造所)が2004年に、それぞれ市外へ移転した。 地域産業の活性化を図るべく、人材育成、起業支援に併せて、津田サイエンスヒルズ(関西文化学術研究都市 氷室・津田地区)への企業誘致などが進められている。

枚方市駅周辺

ビオルネ

ビオルネビブレ近鉄百貨店京阪百貨店・京阪枚方ステーションモール・ひらかたサンプラザ1号~3号・TSUTAYAビルなどの商業施設がならぶ。現在では、北口にさまざまな飲食複合ビルや、TSUTAYAのレンタル館を核とした枚方デパートメントビルがオープンするなど、関西医大病院の開院によって、北口の活性化が進んでいる。

樟葉駅周辺

京阪電気鉄道によって開発された沿線最大級のショッピングモール・くずはモールが2005年にオープンし、それにあわせて京阪本線の特急列車が停車するようになり、一時は沈滞化していた樟葉周辺も活気付くことができた。商圏は京阪本線沿線だけではなく、駐車場2000台を確保したことによって、京都方面など広域に設定されている。樟葉周辺は樟葉パブリック・ゴルフ・コース、超高層マンション、ローズタウン、その他商業施設など大半が京阪による開発であり、このくずはモールが繁盛することによって周辺の関連施設による収益も増えた。

国道1号線沿い

交通量が多く、多方面から集客できるため、アミューズメント性に富んだ商業施設・飲食施設が多く立ち並ぶ。高野道周辺にはラウンドワンフォレオひらかた(核店舗は「シネプレックス枚方」「GOLF5」「スポーツデポ」等)等がある。また、その他商業施設が相次いでオープンする。

主な企業

本社
事業所、関連施設

伝統産業

東部地域では伝統産業である河内そうめん業と酒造業が行われている。

河内そうめん

河内そうめんは、奈良の「三輪そうめん」や兵庫の「揖保の糸」などと共に知られる手延べそうめんである。 天和年間(1681~1683)に大和国三輪から伝えられた素麺製造技術が基になっている。 耕地の少ない旧交野郡津田村を中心として農閑期の副業として栄え、最盛期には約80軒で生産されていた。遠く近江や尾張にまで販路を広げていたが、近年は生産農家の高齢化が進み後継者不足が問題となっており、2003年現在では津田地域に三軒、穂谷地域に一軒を残すのみとなっている。 残念ながら出荷量が限られているため市販されていない。 津田には河内そうめんの発展に貢献した山下政右衛門(後に政太)の碑「山下翁頌徳碑」が残る。

酒造

生駒山系の良質な地下水を生かして酒造も行っており、1970年代は池尻酒造(津田元町、「成功正宗」)、小北酒造場(藤阪元町、「菊人形」「寿賀天杯」)、重村酒造場(穂谷、「富士霞」「穂谷」「淀菊」)、田中酒造場(尊廷寺、「谷川」)、津田酒造(津田元町、「枚方自慢」「みや鶴」)という5つの造り酒屋が存在した。津田酒造のみや鶴は1995年の全国新酒鑑評会において金賞を受賞する実績を残している。

しかし1990年代半ばまでに重村酒造場を残し、その他は全て廃業した。住宅地図[1]において酒造業としての記載が最後に残されているのは、池尻酒造は1979年[2]、田中酒造場は1983年[3]、小北酒造場は1992年[4]、津田酒造は1994年[5]となっている。

  1. ^ 吉田地図 精密住宅地図 枚方市(南部)
  2. ^ 1980年版から酒造業の記載無し
  3. ^ 1986年版から酒造業の記載無し
  4. ^ 1994年版から敷地内に賃貸アパートが記載
  5. ^ 1996年版は「津田ショッピングセンター(仮)」が記載。同地が平和堂 アル・プラザ枚方として開業後は、酒販店「みや鶴」として出店

姉妹都市・提携都市

国内

海外

地域

教育

枚方市では、ベッドタウン化により1950年代から1970年代に掛けて急激に人口が増加した。そのため小中学校の不足が深刻化し、各地の小中学校には臨時のプレハブ教室が大量に作られる事態となった。児童の増加に対応するため新設校の設立や増築が進められ、1980年代には教室の不足が解消された。

小学校の児童数は1980年代を頂点として一転して減少に転じ、次第に少子化傾向が顕著になるに従い学級数が減少した。空き教室の増加も問題となり、1999年に学校の統廃合が行われた。しかし、少人数による利点・長所を生かし、原則として今後統廃合はされない見通しである。2004年には中学校校区の弾力化が行われ、小学校最終学年で志望中学の希望調査が行われる。

また、市立学校全てにコンピュータールームの導入、ALTによる英語教育、少人数授業などには古くから積極的である。

小学校

  • 市立(45校)
  • 私立(1校)

中学校

  • 市立(19校)
  • 私立(2校)

高等学校

大学・大学校

医療・保健・福祉施設

  • 保健センター
  • 老人福祉センター「楽寿荘」
  • 関西医科大学付属枚方病院
  • 枚方市民病院
  • ラポールひらかた
  • 総合福祉センター

文化施設

ホール・集会場

  • 枚方市市民会館
  • 枚方公園青少年センター
  • サプリ村野
  • メセナひらかた会館
  • 市民ギャラリー
  • くずはアートギャラリー
  • 地域活性化支援センター
  • 市民ふれあいセンター
  • 教育文化センター

資料館

  • 旧田中家鋳物民俗資料館
  • 枚方宿鍵屋資料館

生涯学習市民センター

  • 蹉跎(さだ)生涯学習市民センター
  • 牧野生涯学習市民センター
  • 菅原生涯学習市民センター
  • 津田生涯学習市民センター
  • 生涯学習情報プラザ
  • 南部生涯学習市民センター
  • 御殿山生涯学習美術センター
  • 楠葉生涯学習市民センター
  • サンプラザ生涯学習市民センター

図書館

枚方市立図書館を参照

体育施設

  • 枚方市立渚市民体育館
  • 枚方市立総合スポーツセンター(総合体育館、陸上競技場
  • 枚方市野外活動センター
  • 王仁公園(テニスコート、運動広場、バレーボールコート、プール)
  • 中の池公園(運動広場)
  • 香里ヶ丘中央公園(運動広場)
  • 春日テニスコート
  • 藤阪テニスコート

公園

  • 市民の森(鏡伝池緑地) - 楠葉丘二丁目
  • 北山公園 - 北山一丁目

広域公園

  • 大阪府営 山田池公園 - 山田池公園、山田池南町、藤阪元町一丁目、藤阪元町二丁目、藤阪西町、藤阪南町一丁目

特殊公園

  • 特別史跡 百済寺跡公園 - 中宮西之町

運動公園

総合公園

  • 枚方公園(計画) - 枚方公園町
  • 王仁公園 - 王仁公園

地区公園

  • 中の池公園 - 東山二丁目
  • 招提今池公園(計画) - 招提中町二丁目
  • 中振中央公園(計画) - 北中振二丁目、東中振二丁目、南中振一丁目
  • 車塚公園 - 小倉東町、北片鉾町、上野三丁目

近隣公園

  • 牧野公園 - 牧野阪、宇山町
  • 香里ヶ丘南公園 - 香里ヶ丘十丁目
  • 桑ヶ谷公園 - 香里ヶ丘一丁目
  • 香里ヶ丘東公園 - 香里ヶ丘三丁目
  • 香里ヶ丘中央公園 - 香里ヶ丘四丁目
  • 阪今池公園 - 黄金野一丁目
  • 楠葉中央公園 - 楠葉並木二丁目
  • 楠葉東公園 - 楠葉朝日三丁目
  • 津田公園(計画) - 津田元町四丁目
  • 林池公園(計画) - 春日東町一丁目
  • 新春日公園(計画) - 春日野一丁目
  • 茄子作公園(計画) - 茄子作三丁目、茄子作四丁目
  • 堂山公園 - 堂山二丁目
  • 星ヶ丘公園 - 星丘二丁目
  • 交北公園 - 交北四丁目
  • 船橋川公園(計画) - 招提北町三丁目

街区公園

以楽公園
  • 中宮公園 - 中宮東之町
  • 岡東公園 - 岡東町
  • 岡本町公園 - 岡本町
  • 春日公園 - 高田二丁目
  • 御殿山公園 - 渚本町
  • 伊加賀山公園 - 香里ヶ丘六丁目
  • 北谷公園 - 香里ヶ丘七丁目
  • 香里ヶ丘西公園 - 香里ヶ丘七丁目
  • 南谷公園 - 香里ヶ丘九丁目
  • 観月公園 - 香里ヶ丘十丁目
  • 蹉跎(さだ)山公園 - 香里ヶ丘八丁目
  • 淀見公園 - 香里ヶ丘八丁目
  • 末広公園 - 香里ヶ丘八丁目
  • 五常公園 - 香里ヶ丘六丁目
  • 以楽公園 - 香里ヶ丘六丁目
  • 桜公園 - 香里ヶ丘二丁目
  • 開成公園 - 香里ヶ丘二丁目
  • 観音山公園 - 香里ヶ丘四丁目
  • 二の宮公園 - 船橋本町一丁目
  • 中の谷公園 - 東山一丁目
  • 禁野車塚公園 - 宮之阪五丁目
  • 岡東中央公園 - 岡東町
  • 渚公園 - 渚栄町
  • 上島南公園 - 牧野北町
  • 上島東公園 - 牧野北町
  • 山原公園 - 東船橋二丁目
  • 船橋公園 - 東船橋一丁目
  • 面取公園 - 楠葉朝日一丁目
  • 七ッ松公園 - 楠葉朝日二丁目
  • 六反町公園 - 楠葉朝日三丁目
  • 金崎公園 - 楠葉朝日一丁目
  • うしろ谷公園 - 高野道二丁目
  • 釜ヶ谷公園 - 長尾東町二丁目
  • 長尾台北公園 - 長尾台一丁目
  • 長尾台東公園 - 長尾台二丁目
  • 長尾台南公園 - 長尾台二丁目
  • 村野公園 - 村野本町
  • さつき丘北公園 - 山之上西町
  • さつき丘中央公園 - 山之上西町
  • さつき丘南公園 - 山之上五丁目
  • 中振公園(計画) - 北中振三丁目
  • 伊加賀栄公園 - 伊加賀栄町
  • 出口公園(計画) - 出口三丁目
  • 坊主池公園 - 岡山手町
  • 養父東公園 - 養父東町
  • 御殿山西公園(計画) - 渚西一丁目
  • 代々池(だいだいいけ)公園 - 野村中町
  • 薬師谷公園 - 長尾谷町一丁目
  • 北谷川公園 - 長尾谷町三丁目
  • 藤阪東公園 - 藤阪西町
  • 藤阪西公園 - 藤阪西町
  • 車谷公園 - 長尾家具町二丁目
  • 笹谷公園 - 長尾家具町二丁目
  • 獅子口公園 - 長尾家具町四丁目
  • 東香里公園 - 東香里三丁目
  • 旭ヶ丘西公園 - 東香里南町
  • 旭ヶ丘中央公園 - 東香里南町
  • 天満公園 - 楠葉丘二丁目
  • 下田公園 - 楠葉並木一丁目
  • 須山中央公園 - 須山町
  • 走谷公園 - 走谷二丁目
  • 甲斐田公園 - 片鉾本町
  • 南中振公園(計画) - 南中振二丁目
  • 甲須公園 - 甲斐田新町、須山町
  • 香里園町公園(計画) - 香里園町
  • 宮之阪東公園 - 宮之阪四丁目
  • 印田町北公園(計画) - 印田町、星丘三丁目
  • 春日元町公園 - 春日元町一丁目
  • 香里の森公園 - 香里園山之手町
  • 平野公園 - 招提中町一丁目
  • 宇山東公園 - 宇山東町
  • あんご公園 - 東田宮一丁目
  • 出口ふれあい公園 - 出口一丁目
  • 翠香園ふれあい公園 - 翠香園町
  • 養父元町公園 - 養父元町
  • 印田町ふれあい公園(計画) - 印田町

主な住宅団地

交通

歌川広重「京都名所之内 淀川」

古くから大阪-京都の交通を支える要所であり、市内には主に4つの古い街道が有る。

現在の国道168号線は磐船街道と呼ばれ、枚方から交野を経由して奈良県に至る街道であった。古代、交野ヶ原と呼ばれた時代には、王朝貴族が遊猟をする際に使われたという。

東高野街道は、平安時代の官道である南海道を起源とする、中世の京阪間を結ぶ主要な街道であった。京都から高野山への巡礼街道であり、京都から洞ヶ峠を越えて枚方に入り、枚方台地の中央部を縦断した後、生駒山地沿いに南下、河内長野で西高野街道に合流し、高野山に至る。高野山に修行に向かう京の僧侶、参拝に向かう貴族、やがて武士や商人、一般庶民までも高野山に向かって歩いたという。現在は国道1号線(洞ヶ峠~出屋敷)、大阪府道枚方交野寝屋川線(出屋敷~茄子作)、大阪府道枚方富田林泉佐野線(茄子作~中野)に相当する。出屋敷周辺には、かつての面影が残されている。

山根街道は、洞ヶ峠から東高野街道と分岐して津田を経由し、私部に至る街道であり、山麓地区の村々を結ぶ街道として利用された。

1594年に文禄堤が整備され道路としても利用されるようになると、更に江戸時代にはこの道路を用いて京街道が整備された。京街道は東高野街道に代わって京阪間の幹線道路として利用されるようになり、枚方の発展に大きく寄与する事となる。

京街道は1932年に京阪国道として整備され、(旧)国道1号線と称されたのち、1966年に枚方バイパス(国道1号線)開通後は、大阪府道13号京都守口線として現在に到る。 現在は、枚方バイパス(国道1号線)が洞ヶ峠から市内を縦断しているが、主要な交差点が立体交差となっていない事も影響し渋滞が頻発している。建設が進められている第二京阪道路などによる渋滞緩和が計画されている。

江戸時代には京街道と共に淀川を利用した水運も盛んに利用されており、淀川を往来する舟運の要衝としても栄えた。

京都の伏見港と大阪の八軒家を結ぶ客船である三十石船を初め大小様々な船が行き交い、枚方浜、樟葉浜、樋之上浜、渚浜、磯島浜などの船着場が設けられていた。枚方浜は鶴屋という船宿が有った事から鶴屋浜とも呼ばれ、公用にも使われる重要な船着場だったという。 行き交う船に近づき餅や酒を売りつけるくらわんか舟が名物になったのもこの頃である。その様子は、シーボルト「江戸参府紀行」、十返舎一九東海道中膝栗毛」、歌川広重(安藤広重)「京都名所之内 淀川」を初め、多くの紀行文などに記されている。

淀川の対岸との交通は、1930年に(旧)枚方大橋が開通するまでは、渡し舟が唯一の交通機関だった。樟葉の渡し(高浜の渡し)、下島の渡し(鵜殿の渡し)、前島の渡し、磯島の渡し、枚方の渡し(大塚の渡し)、出口の渡し(三島江の渡し)で対岸と結ばれていたという。

明治時代には蒸気外輪船が登場し鍵屋浦と鶴屋浜が船着場だったが、鉄道の開通や自動車の発達、道路の整備に伴い、次第に陸上輸送に取って代わられるようになった。

近年、観光や緊急時の輸送手段の確保などのため淀川の舟運を復活させようとする運動が進められている。2000年11月には枚方市の呼びかけにより、大阪府および京都府の淀川沿いに有る9市1町が参加する「淀川舟運整備推進協議会」が設立された。


鉄道については、京都と大阪のほぼ中間地点という地理的条件や鉄道網の充実・京阪特急停車駅化により、 京阪京橋駅へ15分、京阪丹波橋駅へ18分、という大幅な時間短縮となった。

  • 大阪府庁への連絡
京阪本線枚方市駅天満橋駅→(徒歩5分)→大阪府庁

鉄道路線

枚方市駅南口
枚方市駅は朝の淀屋橋行きのみK特急停車、枚方市駅・樟葉駅については特急停車。枚方公園駅は早朝・朝ラッシュ時・夜間以外急行が停車する。日中は特急・急行(枚方市以南)・普通が10分間隔で運行されている。

バス路線

京阪バスが市内だけでなく、空港連絡線や長距離線などを運転している

路線バスについては枚方・高槻・香里団地・交野・男山・田辺の各営業所が管轄している。

道路

有料道路
国道1号第二京阪道路
枚方東IC
一般国道
国道1号国道168号国道170号国道307号

(1号のみ国土交通省大阪国道事務所高槻維持出張所管理。その他は大阪府枚方土木事務所管理委託)

主要地方道
大阪府道7号枚方大和郡山線
大阪府道13号京都守口線
大阪府道17号枚方高槻線
大阪府道18号枚方交野寝屋川線
大阪府道20号枚方富田林泉佐野線
大阪府道21号八尾枚方線
大阪府道71号枚方山城線

(全線、大阪府枚方土木事務所管理)

一般府道
大阪府道114号杉田口禁野線
大阪府道139号枚方茨木線
大阪府道148号木屋交野線
大阪府道735号長尾八幡線
大阪府道736号交野久御山線
大阪府道北河内自転車道線

(全線、大阪府枚方土木事務所管理)

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

関西USJについで入場者数が多いひらかたパーク(通称:ひらパー)があり、秋に開かれる菊人形展は96年の歴史がある。2005年度はここ何十年間かで最大の来場者となり、惜しまれつつ同年12月4日閉幕された。2006年以降は従来の規模ではないが、市と協力して菊人形展を継続することが決まった。

指定文化財

重要文化財

  • 片埜神社本殿、棟礼
  • 交野天神社
  • 交野天神社棟礼
  • 交野天神社末社八幡神社本殿
  • 厳島神社末社春日神社本殿
  • 古伊賀花生
  • 色絵釘隠(伝仁清作)

特別史跡

  • 百済寺跡

史跡

5世紀前半頃と考えられている前方後円墳。外堤を含めると北河内最大。

大阪府有形文化財

  • 安養寺石造路盤
  • 正俊寺石造十三重塔
  • 片埜神社東門
  • 片埜神社南門
  • 田中家住宅鋳物工場
  • 田中家住宅主屋
  • 釈尊寺木像釈迦如来立像
  • 片埜神社石造灯篭

大阪府史跡

  • 継体天皇樟葉宮跡伝承地
  • 王仁
  • (顕彰規則指定)山田山弥生時代遺跡

大阪府天然記念物

枚方田中邸のむく

枚方市指定文化財

  • 清泰寺木造普賢菩薩座像
  • 清泰寺木造文殊菩薩座像
  • 廃渚院観音寺鐘楼
  • 廃渚院観音寺梵鐘
文徳天皇第一皇子惟喬親王の別荘。平安時代。伊勢物語には交野ヶ原へ狩猟に来た時の話が。
  • 意賀美神社の算額
  • 村野村高札場
  • 鍵屋主屋
  • 浄念寺木造不動明王立像
  • 和田寺木造薬師如来立像
  • 大聖寺薬師堂内厨子
  • 銅造誕生釈迦仏立像
  • 三之宮神社の湯釜
  • 鍵屋全体
  • 久修園院地球儀
  • 久修園院天球儀
  • 釈尊寺大般若経
  • 御殿山神社遷宮絵馬
  • 尊延寺木造不動明王立像
  • 尊延寺木造四大明王立像
  • 尊延寺木造地蔵菩薩立像
  • 交野天神社末社貴船神社本殿

その他

枚方八景

枚方八景とは市制35周年を記念し、市民投票により1984年10月1日に制定された。

愛称道路

市民からの応募により、1991年10月4日に決定した。

  • 鏡伝道
  • くずはアベニュー
  • とうかえでの道
  • 松美ケ丘桜通り
  • 日置今池街道
  • 出屋敷高野街道
  • 王仁公園通り
  • 山根の道
  • 氷室路
  • ほたに小径
  • 春日通り
  • 御殿山アート坂
  • 殿山百済寺道
  • 中宮平和ロード
  • ふれあい通り
  • サンシャインロード
  • 万年寺山周道
  • グリーンバレー通り
  • 淀見通り
  • 蹉跎参道
  • いちょう通り
  • けやき通り

出身有名人

一時的に住んでいた有名人の例としては上沼恵美子円広志など。

芸能・文化人
スポーツ選手
その他

参考文献

  • 枚方市 『郷土枚方の歴史』 枚方市、1997年、322頁

関連項目

外部リンク


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