カサブランカ (映画)
カサブランカ Casablanca | |
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監督 | マイケル・カーティス |
脚本 |
ハワード・コッチ ジュリアス・J・エプスタイン フィリップ・G・エプスタイン |
製作 | ハル・B・ウォリス |
製作総指揮 | ジャック・L・ワーナー |
出演者 |
ハンフリー・ボガート イングリッド・バーグマン |
音楽 | マックス・スタイナー |
撮影 | アーサー・エディソン |
編集 | オーウェン・マークス |
公開 |
1942年11月26日 ![]() 1946年6月20日 ![]() |
上映時間 | 102分 |
製作国 | アメリカ |
言語 | 英語 |
製作費 | $950,000 |
『カサブランカ』(Casablanca)は、1942年製作のアメリカ映画。
公開年の翌年(1943年)に第16回アカデミー作品賞を受賞。監督のマイケル・カーティスは監督賞を、脚本のジュリアス・J・エプスタイン、フィリップ・G・エプスタイン、ハワード・コッチの三名が脚色賞を受賞した。
アウトライン
1941年の12月。政治により非占領フランス(Unoccupied France)となったアフリカの「カサブランカ」を舞台に、酒場の主人として生きるアメリカ人男性(ハンフリー・ボガート)が、かつて愛した女性(イングリッド・バーグマン)と偶然の再会を果たすが彼女にはナチスに追われる夫があり・・・。終わった恋(また終わらせる恋)のために命を懸ける男が主人公のメロドラマである。
評価
マスメディアと戦争の研究者である山本武利は「ブラックプロパガンダ」(2002;岩波書店)の中で戦時情報局(OWI;office of war information)が主体となったホワントプロパガンダと呼ばれる宣伝工作と本作の関連を指摘しているが(詳細は後述)、映画の不思議な効用により観客は恋愛映画として捉えている。文化的、歴史的、芸術的に重要なフィルムを保存するために1989年に始まったアメリカ国立フィルム登録簿(National Film Registry)で最初にセレクトされた25本の1本。
アメリカ映画協会(AFI)が1988年から始めたAFIアメリカ映画100年シリーズでは以下の如く。アメリカ映画ベスト100(1998)の2位、スリルを感じる映画ベスト100(2001)の42位、情熱的な映画ベスト100(2002)の1位、映画主題歌ベスト100(2004)の2位("As time goes by")、感動の映画ベスト100(2006)の32位、10周年エディションのアメリカ映画ベスト100((2007)では、順位を一つ落としたが堂々の3位。65年たっても不滅の人気を誇るロマンス・フィルム(Romance film)である。
なお、映画スターベスト100(1999)の男性1位がハンフリー・ボガート、女性4位にイングリッド・バーグマンであり、ヒーローと悪役ベスト100(2003)の4位はボガートの演じたRickが選ばれている。米脚本家組合(WGA)は1930年以降の映画の中より「偉大な脚本歴代ベスト101」の1位として選出した。
前述の"As time goes by"と並んで劇中で演奏される"It had to be you"はロブ・ライナー監督映画の「恋人たちの予感」(1989)で引用される。"It had to be you It had to be you I wandered around and finally found" (君だったんだ、探していたのは…)のフレーズは古典中の古典でフランク・シナトラのメドレーナンバーでもある。ハリー・コニック・Jrの映画のサントラは世界中で大ヒット、この年のグラミー賞(最優秀男性ジャズ・ヴォーカル賞)を獲得した。前述の映画主題歌ベスト100(2004)の60位である。
名文句
アメリカ映画協会(AFI)名セリフベスト100(2005)の中に以下のセリフがランクインしている。
- 第5位:"Here's looking at you, kid."
- 第20位:"Louis, I think this is the beginning of a beautiful friendship."
- 第28位:"Play it, Sam. Play 'As Time Goes By."
- 第32位:"Round up the usual suspects."
- 第43位:"We'll always have Paris."
- 第67位:"Of all the gin joints in all the towns in all the world, she walks into mine."
製作背景
高校教師たちの書いた戯曲を映画化する企画を立てたのは製作のハル・B・ウォリス。監督のマイケル・カーティスはヨーロッパでのキャリアもあるユダヤ系ハンガリー人の職人肌。カメラ(メイン)のアーサー・エディソンは「西部戦線異状なし」(1930)でアカデミー撮影賞を受賞しているベテラン。脚本に参加したハワード・コッチはオーソン・ウェルズによるラジオ放送「宇宙戦争」に参加した劇作家である。
ハリウッドは以前からヨーロッパの映画産業から人材を引き抜いてきたが、この時代にヨーロッパから思想家、作家、写真家といった多くの人間が集まり、互いに影響を与え合っていたとされる。この作品の俳優もスウェーデン出身のバーグマン、イギリス出身のヘンリードが出演している。 ちなみに唄、挨拶、演説といった物語の筋と関係のない部分を除くとフランス人もドイツ人もモロッコ人も英語を話すため、この映画の基本的な言語は英語である。
1943年はアメリカにおいて映画産業が戦時における重要な柱の一つとされた年である(岩崎昶の「映画史」年表より)。トルーマン大統領を中心に政府機関を横断した『心理戦局』はその活動を始め、その一つである陸軍も名匠フランク・キャプラがジョージ・マーシャル将軍の厳命により宣伝映画を作成することになる。
リベラル派の多かった戦時情報局(en:OWI))は1945年の戦争終了時に国務省に統合されることになるが、前述の『ブラックプロパガンダ(2002;岩波書店)はその沿革と活動について説明されているが、具体的にどのように本作が関連したかについては説明はない。[1] 「プロパガンダ映画」とは、共産主義の政治的な宣伝としての映画の効用について語られるものであり、民主主義のアメリカにおける戦争遂行を目的とした『心理戦局』の活動をプロパガンダとして捉える必要が、ドイツや日本の状況と引き比べても、あるかどうかは疑問であり山本も呼び方については別の見方がある向きも示唆している。
ただ、映画が製作された1940年代前半はスタジオシステムと呼ばれた製作、配給、上映の資本統合が継続していたアメリカ映画産業<ハリウッド>最後の黄金期である。これについて批判が継続しており政府側に迎合した形であった点は間違いがなく、例えばその効果として四方田犬彦は第二次世界大戦におけるアメリカのヨーロッパでの参戦を正当化することであったとしている。(『映画はもうすぐ百歳になる』 四方田犬彦 筑摩書房 151頁 1986)
ストーリー
注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。
第二次世界大戦のさなか、ヨーロッパ脱出をはかる難民であふれる、ドイツの占領下に陥ちたフランス植民地のモロッコの都市カサブランカ。
ある日、リック(ボガート)の経営する「カフェ・アメリカン」へ、反ナチス抵抗運動の指導者ヴィクター・ラズロ(ヘンリード)が訪れる。ラズロの同伴者である女性を一目見て息を呑むリック。彼女こそ、かつてパリで愛し合い、そして理由も告げずに彼のもとを去ったイルザ・ラント(バーグマン)だった。
当時フランスはドイツとその傀儡・ヴィシー政権に分割統治され、植民地であるモロッコもドイツ軍の勢力下に置かれていた。その為ドイツからその身を追われていたラズロは現地司令官であるドイツ陸軍のシュトラッサー少佐より出頭を命ぜられ事実上の出国禁止措置を取られてしまう。その上ラズロは、「カフェ・アメリカン」で我が物顔で軍歌を歌うドイツ兵に対抗して、フランス国歌で当時は対独抵抗のシンボル的な曲であったフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を客とともに歌い、その場に居合わせたシュトラッサーを激怒させる。
ラズロの身を案じたイルザは、リックがドイツの連絡員殺害の容疑で逮捕されたウーガーテから預かったままになっていた中立国への通行証を欲しいと頼み込む。リックは悩みつつも、結局ラズロとイルザのために、通行証を渡して、2人をドイツの手が及ばない中立国であるポルトガルのリスボンへ出発させる。それに気づき2人を空港で阻止しようとしたシュトラッサーをリックは射殺する。
フランス植民地警察のルノー署長は、表面上はドイツに対して協力的な姿勢を採っていたが、フランスを愛していて我が物顔に振舞うドイツ及びヴィシー政権に反感を持っており、ひそかに対独レジスタンスと連絡を取っていた。そこで、シュトラッサー少佐を殺害したリックを見てみぬ振りをし、レジスタンスの手で他のフランスの植民地に逃がしてやることにする。リックとルノーは肩を並べて宵闇に歩き去り、エンドタイトルとなる。
キャスト
- ハンフリー・ボガート(リック・ブレイン)
- イングリッド・バーグマン(イルザ・ラント)
- ポール・ヘンリード (ヴィクター・ラズロ)
- クロード・レインズ(ルノー署長)
- コンラート・ファイト(シュトラッサー少佐)
- ドーリー・ウィルソン(サム)
- シドニー・グリーンストリート(フェラーリ)
- ピーター・ローレ(ウーガーテ)
スタッフ
- 監督:マイケル・カーティス
- 撮影:アーサー・エディソン
- 音楽:マックス・スタイナー
逸話
- ポール・ヘンリードの演じるラズロは汎ヨーロッパ提唱者で、「EUの父」と呼ばれるリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーを投影しているとする説がある。[2]。
- 当時ドイツに占領されていたフランスと、対独勢力である自由フランスを支持し、ドイツとその傀儡政権であったフィリップ・ペタン率いるヴィシー政権を批難している。巻頭で対独レジスタンスのフランス人がヴィシー政権首班のフィリップ・ペタン元帥の肖像画の前で警官に撃たれるシーン、リックがドイツ銀行の元頭取と吹聴する男を賭博場に入れさせないシーン、ラストシーンで対独シンパであったことを明らかにしたルノー署長がミネラルウオーターに描かれた「ヴィシー水」のラベルを見てゴミ箱に投げ捨てるシーンなどがあげられる。また、アメリカの第二次世界大戦参戦とともに、親独のヴィシー政権は「敵国」となり、ヴィシー水の輸入も禁じられたため、この作品に登場するボトルは、ロサンゼルス近辺のホテルに残っていた空き瓶が用いられた。
- クランクインの段階で脚本は完成しておらず、書き上げられたシーンを片端から撮影していくという方法が採用された。あまりのことにエプスタイン兄弟は早い段階で脚本から身を引き、エンディング・クレジットに名を残したものの、現在読むことの出来る「カサブランカ」の完成稿は、ほぼすべてマイケル・コックの手になる。
- ある時ボガートがスタジオに来てみると、「今日の出番は一度だけ、むこうからこちらへ歩いてきて、うなずいてくれれば良い」とカーティスから指示された。「それは一体何のシーンで、何に対してうなずくんだ?」と聞いても、カーティスにもそれはわからないということだった。この時撮影されたカットは、リックの「カフェ・アメリカン」で客たちが「ラ・マルセイエーズ」を合唱するシーンで使用されたと言われている。
- バーグマンの演じるヒロインが、ボガートとヘンリード、どちらと結ばれることになるかも、最後まで決まらなかった。二通りのラスト・シーンを撮影して、良い方を採用しようということになったが、先に撮影した方がスタッフの評価も高く、そのまま使用されることになった。これが現在知られているラスト・シーンである。
- 主人公リックが悪役であるシュトラッサー少佐を射ち殺すシーンは、当初背後からだったが、「背後からでは卑怯だ、堂々と正面から撃て」と検閲が入った。現在に残るフィルムでは、確かにリックは正面からシュトラッサーを撃っている。
- このように撮影過程がたいへんちぐはぐであったため、イングリッド・バーグマンはこの映画を失敗作と考えて長年忘れ去っていた。1974年にバーグマンがロサンゼルスでの講演に招聘されたが、その講演前に「カサブランカ」が上映された。映画が終わり、演壇に立ったバーグマン曰く「こんなに良い映画だったんですね」[3][要出典]。
- この映画のテーマ曲としてよく知られる「As time goes by」(「時の経つまま」「時の過ぎゆくままに」と訳されるが誤りで実際には「時が経っても」の意)は音楽を担当したシュタイナーの作曲ではなく、ハーマン・フップフェルド(Herman Hupfeld)がステージショーのために1931年に作詞・作曲した古い流行歌を取り上げたものである。
- 本作は作品中に著作権表記が有るものの公開時期が古く、リニュー(著作権更新手続き)が行われなかった事から公開当時の米国の法律(方式主義)により権利放棄とみなされ、米国に於いてはパブリックドメインとなった(このため、コモンズに高解像度のスクリーンショット、ウィキクオートに台詞の抜粋が収録されている)。又、日本では著作権の保護期間が完全に終了(公開後50年と監督没後38年の両方を満たす)したことから現在、複数の会社から激安DVDが発売中。
脚注
- ^ (1) http://www.tkfd.or.jp/publication/reserch/2004-10.pdf 東京財団研究報告書2004−10「日本の対外情報発信の現状と改革」53ページ参照]は同著の文章が記載されている
(2) Hollywood at War -Casablanca- by Kristin Soroka, University of San Diego
(3) Casablanca by Collin Hughes, Washington State University
(4) Film History of the 1940s
(5) ドイツ語版Wikipedia "OWI" - ^ 『発想の現場から テレビ50年25の符丁』 吉田直哉 文芸春秋 2002、『わが青春のハプスブルク 皇妃エリザベートとその時代 』 塚本哲也 文芸春秋 1996、『エリザベート ハプスブルク家最後の皇女』 塚本哲也 文芸春秋 1992 等に本説の記述がある。ヨーロッパ統合運動の展開を研究する戸澤英典(東北大学教授)は本説に疑問符を付している。Ilsa Lund の名は著名な女優であったリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーの夫人Ida Rolandに由来するとみる説がある。
- ^ 『超時間対談』 田中小実昌 集英社 1981に記述がある。