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セベソ事故

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セベソ事故(Seveso disaster)とは、1976年7月10日イタリアロンバルディア州ミラノの北25km付近に位置するセベソの農薬工場で発生した爆発事故である。代表的なダイオキシンである2,3,7,8-テトラクロロジベンゾ-1,4-ジオキシン(TCDD)がキログラム単位で住宅地区に飛散し、ダイオキシン類の暴露事故としては史上最悪のものとなった。この事故を教訓として、ECは化学工場の安全規制を定めたセベソ指令を定めている。

事故の概要

地理

最も被害が集中したセベソ地区は、1976年時点で人口17,000人であった。その近隣のメーダ(同19,000人)、デージオ(33,000人)、チェザーノ・マデルノ(34,000人)、バルラッシーナ(6,000人)、ボヴィージオ=マシャーゴ(11,000人)にも被害が及んでいる。ICMESA (Industrie Chimiche Meda Società)社が所有していた問題の工場はメーダ近くに位置していた。工場が建設された時期は古く、地元の人もこの工場が危険性を孕んでいることに気付かなかった。

化学反応

事故が発生したB棟は、1,2,4,5-テトラクロロベンゼン水酸化ナトリウムを反応させ(芳香族求核置換反応)、枯葉剤である2,4,5-トリクロロフェノール(TCP)を製造していた。TCPは消毒薬であるヘキサクロロフェンの原料としても利用される。

通常時では、反応釜の上部で、1,2,4,5-テトラクロロベンゼンの一部を溶解させ、水酸化ナトリウムと反応させていた。生じる反応熱によってさらに原料が追加され、反応温度が上昇するシステムであった。通常のTCP生産時であっても、何らかの金属によるウルマン縮合、または単純な芳香環への求核攻撃により、ppm単位のTCDDが副生成物として混入していた。

事故発生時、運転指示書を無視した作業員の人為的なミスにより反応が熱暴走した。反応容器の安全装置である破裂板が吹き飛んで、内容物が大気中に放出された。水酸化ナトリウム・TCPナトリウム塩・溶媒のエチレングリコールとともに、数百グラム~数キログラムのTCDDがエアロゾル状となって18平方キロメートルの範囲に飛散した。

事故直後の状況

除染作業

廃棄物の行方

刑事訴訟

事故の影響