涌井秀章
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国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県松戸市 |
身長 体重 |
185 cm 85 kg |
血液型 | A型 |
守備位置 | 投手 |
投球・打席 | 右投右打 |
背番号 | 16 |
年俸 | 8,500万円(推定) |
初出場 | 2005年3月29日 |
経歴 | 寒風台小-松戸六中-横浜高-西武ライオンズ・埼玉西武ライオンズ |
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涌井 秀章(わくい ひであき、1986年6月21日 - )は、プロ野球・パシフィック・リーグの埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手である。ポジションは投手。背番号は16番。
来歴
横浜高校時代
2回戦の京都外大西戦は延長戦にもつれ込んだが我慢のピッチングで勝利。肉体的にも精神的にもスタミナのある面を披露。準々決勝の駒大苫小牧戦は伏兵林裕也に本塁打を浴びるなどして完敗した。
- 松坂を指導していた横浜高校の小倉部長は、「松坂よりも我慢し、辛い練習に耐え、乗り越えてきた」と称賛。その後、甲子園で147km/hを計測した涌井を見た松坂は、「相当な努力をしたと思う」と評価した。
- 最速148km/hのストレートとスライダーを投げ、ドラフトでは西武から単独1位指名された。
プロ入り後
- 2006年
-
- 3月26日のオリックス・バファローズ戦、高卒ルーキーの炭谷銀仁朗捕手とのバッテリーで勝利投手となった。10代バッテリーでの勝利は1989年、横浜大洋ホエールズの石井忠徳-谷繁元信以来17年ぶり。
- 4月23日の楽天戦では同じく炭谷とのバッテリーで自身初の完投および完封勝利。10代バッテリーによる完封はドラフト制度導入後では史上初。
- 6月はリーグ1位の防御率、3勝1敗で初の月間MVPを受賞。
- 監督推薦でオールスター初出場。
- 8月19日の対福岡ソフトバンクホークス戦で、「西武ライオンズ発足以来パ・リーグ公式戦通算2000勝目」の勝利投手となる。この「通算2000勝」は、当初西武球団広報や通信社の記者にも気付かれておらず、インターネットのBBSに投稿されたファンの情報によって初めて明らかになったことが文化放送ライオンズナイターの中川充四郎公式サイトで公表された。
- 日米野球に出場。ジャーメイン・ダイは「いずれメジャーで通用する素晴らしい投手だった」と賞賛した。
投球
- 投球フォームのバランスが良く、球持ちが長いと評される。肘が柔らかく、上原浩治が「非常にバランスの良いフォームだ」と褒めたこともある。
- スライダー、カットボール、カーブ、フォーク、チェンジアップ、シンカー、パームボール、シュートを投げる。
- ストレートの球速はMAX151km/h(球速的には常時135~140キロ程度)。
- 左打者にはフォークという決め球があるため、被打率は左打者のほうが低く得意としている。2007年は右打者に対する被打率は.277、左打者には.233だった。にもかかわらず、涌井をカモとしているのは川崎宗則、柴原洋、福浦和也、大松尚逸などなぜか左打者ばかりである(週刊ベースボール 2007年第40号より)
人物
- 2005年シーズンオフ、チームメイトの赤田将吾選手のサイトに場を借りてファンへのメッセージを掲載したが、顔文字を多用した文章を披露、ファンの間で話題になる。
- ポーカーフェイスとしても知られ、中学時代からピンチやホームランを打たれても表情を崩さない。中・高校時代は「ユニフォームを着ると性格が変わる」と言われるほどポーカーフェイスとともに日常生活とのギャップが激しい。
- プロ同期のダルビッシュ有と親交があり、プライベートでも頻繁にメールを交わす仲である。ダルビッシュを中心に同年代の選手を集めた「ダルビッシュ軍団」の一員でもある。
- 2007年、北京五輪出場をかけたアジア予選決勝リーグの初戦で先発し、勝利投手となった。「先発を伝えても当然という表情で受け止めたので大丈夫だと思った」と星野監督が明かしている。
- 2006年オールスターの始球式に出たPUFFYに松坂が『涌井のケータイの着メロは「愛のしるし」』と公開し、涌井がPUFFYからサイン入りCDをプレゼントされた。
- 2007年の契約更改の際、球団側から背番号18への変更を打診されたものの、それを固辞している。
- すぽるとのアナウンサーの平井理央に似ている。2007年2月7日に平井理央が涌井の取材に訪れたロケ後、チームメイトからも三宅アナからも似ていると言われた。また、本人から平井理央へのメールも「埼玉西武ライオンズの平井理央こと涌井秀章です。」とメールを送った。
- 小学生時代は野球ではなく、ソフトボールをしていた(わかばソフトボールチームに所属)。野球は中学生になってから始めた。
略歴
- プロ入り年度・ドラフト順位 2004年(1巡目)
アマチュア時代の戦歴
- 2003年 春の甲子園準優勝。
- 2004年 夏の甲子園でエースとしてチームをベスト8に導く。
- 2004年 彩の国まごころ国体(埼玉国体)決勝で先発登板、完投勝利で優勝を飾った。
年度別投手成績
年度 | チーム | 登 板 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005年 | 西武 | 16 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 0 | .143 | 253 | 55.1 | 62 | 11 | 23 | 4 | 57 | 2 | 0 | 45 | 45 | 7.32 |
2006年 | 26 | 8 | 1 | 2 | 12 | 8 | 0 | .600 | 734 | 178.0 | 161 | 16 | 53 | 8 | 136 | 7 | 1 | 79 | 64 | 3.24 | |
2007年 | 28 | 11 | 1 | 4 | 17 | 10 | 0 | .630 | 877 | 213.0 | 199 | 14 | 50 | 8 | 141 | 7 | 0 | 71 | 66 | 2.79 | |
通算成績 | 70 | 19 | 2 | 6 | 30 | 24 | 0 | .556 | 1864 | 446.1 | 422 | 41 | 126 | 20 | 334 | 16 | 1 | 195 | 175 | 3.53 |
獲得タイトル
記録
- 最多無四球試合:1回(2007年)
- 最多投球回数:1回(2007年)
- 1イニング4奪三振(2007年)史上12人目
関連項目
- 千葉県出身の人物一覧
- 埼玉西武ライオンズの選手一覧
- 伊東勤
- 荒木大輔
- 銀仁朗 - 2006年に10代バッテリーとマスコミに取り上げられた
- 石川雄洋 - 高校時代のチームメイト
- ダルビッシュ有 - 涌井の親友
- 松坂大輔 - 横浜高校の先輩で、プロ入り後もチームメートとなる
- 成瀬善久 - 横浜高校時代の1年先輩。2007年は2人で最多勝争いを繰り広げた
- 平井理央
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