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無所属

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無所属(むしょぞく)とは、組織グループなどに所属していない人、または、その状態である。

政治・選挙における無所属

日本

国政

政治の世界では、政党派閥に属していない人物の事をこう呼ぶ。国政で無所属の人物は資金、人員、国会での発言権などの面で、組織からのバックアップを受けられず、何かと苦労する事が多い。

だが元ライブドア社長の堀江貴文のように、無所属という建前ではあるが政党のバックアップは受ける無所属の人物や、郵政民営化に反対して公認をもらえず無所属で出馬して当選した野呂田芳成や参議院議員の松下新平のように、政党と統一会派を組む人物も存在する。

自由民主党など保守政党では、追加公認前提で、党員としての籍を持ったまま無所属として立候補する人物が多く、特に保守系無所属と呼ばれる。中選挙区制の時代は、候補者数調整のために自民党の公認を受けられなかった候補が無所属として立候補し、当選すると即座に追加公認を受けるという例が少なくなかった。このような候補の中には、無所属であるにも関わらず自民党の派閥のメンバーとして活動し、選挙報道においてもそのように分類されていた例もあった。しかし衆議院選挙での小選挙区制の導入と参議院の1人区の増加により、公認漏れ候補が無所属で立候補して返り咲く例は減少している。

革新政党系または左翼団体を基盤とする無所属は革新系無所属と呼ばれるが、保守系ほど立候補した数も、当選者数も多くない。また保守系無所属のほとんどが自民系であるのに対し(右翼団体系候補は、保守系無所属とは呼ばれないケースが多い。例外として、国際勝共連合系の阿部令子は、1990年の総選挙で選挙途中に自民党の追加公認を受けたことがあるためか、保守系無所属と報じられていた。なお阿部は落選)、革新系は日本共産党日本社会党系が多いものの、出身政党はバラバラである。革新政党の衰退で、「革新系無所属」の用語はあまり使われなくなっている。

また、元々ある政党に所属していて、何かの理由で政党から除名(または離党)となり無所属で再出馬する例もある(例 田中真紀子柿沢弘治)。またスキャンダルによって名目上離党を余儀なくされたものの、実質的には旧所属政党に属しているのと同様な活動を行う例もある(田中角栄中曽根康弘)。

大日本帝国憲法下に存在した貴族院の場合は更に複雑で、貴族院議員は非政党員である事が事実上の慣例となっていたため、ほとんどの議員が法律上においては無所属であった。だが、実際にはその大半が政党に替わって組織された院内会派に属しており(政党系・非政党系など会派によってその位置付けは異なる)、一般にはこうした会派に属していない議員のみを慣習的に無所属と呼んだ。だが、一部の無所属議員達が会派所属の議員に比べて議員活動に不利な無所属議員が活動しやすいように便宜的に「無所属」を正式名称とした会派を結成した時期もあった。勿論、こうした会派にも参加しなかった議員もおり、紛らわしい事から無所属会派を無所属団、後者の議員を「純無所属」と呼称して区別を行った。

地方政治

一方、地方議会首長はかなり様相が異なり、政党の党員であっても、選挙には無所属として立候補することが多い。比率としては、やはり保守系無所属が多いが、国政選挙とは違い、当選後も無所属で通す候補者が多い。特に、都道府県知事は、群馬県知事選で2007年7月22日に当選を決めた大沢正明(自民党公認)を例外として、全員が無所属として当選した人物である。政党公認で知事となったのは、1996年富山県知事選に自民党公認で当選した中沖豊を最後に後を絶っていたが、同じ自民党の大沢が、11年ぶりに誕生した政党公認知事となった。なお、当落は別とした自民党の公認候補も、中沖から大沢までの間は一人も例がなかった。

一方で1970年前後には社共共闘を基盤とする革新統一候補が無所属(または諸派)として首長選に出馬し、多くの革新自治体が生まれた。しかし社共の下部組織の対立や、公明党民社党が台頭して社会党がこれらの中道政党との関係を重視するようになるといった理由により、革新系無所属の首長は減少する。代わって共産党以外の全政党の推薦を受けたオール与党としての無所属首長が増加した。

自民党以外による単独での知事選への対応は、日本共産党は無所属として立てる場合と、公認候補を立てる場合が相半ばする。社民党は、1999年青森県知事選で今村修を公認したのが最後の公認で、民主党は一度も公認候補を立てたことがない。

2006年の長野県知事選挙では田中康夫候補が新党日本党首(国政政党党首)であるにも関わらず、無所属候補として報道された。

アメリカ合衆国

アメリカの政党は外国と比較して緩やかな組織であり、大多数の政治家は二大政党制の枠内で活動している。予備選挙の結果等により政党による候補者指名を受けられなかった候補が、無所属(independent)として出馬することは可能だが、それによって当選することは稀である(例 ジョー・リーバーマン)。

大統領選挙は、ある州に支援組織がない候補はその州での選挙人獲得ができない仕組みであるため、無所属候補にとって大変不利である。例外的にロス・ペロー1992年の大統領選挙で無所属から出馬して各州に支持組織を形成し、一時は世論調査で二大政党候補と互角な支持を得たものの、結局選挙人は一人も獲得できなかった。

関連項目