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一如 (僧)

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一如いちにょ 1649年慶安2年)-1700年5月30日(元禄13年4月12日))は、浄土真宗の僧で、東本願寺第16代法主。院号は無礙光院。諱は光海。雅号は愚山。幼名は利与麿。

東本願寺第14代法主・琢如の子として誕生。はじめ、院号を恩光院、法名を琢性、諱を克海と名乗り、福井別院本瑞寺の住職を務め、のちに八尾別院大信寺の住職に転任し、法名を琢亭、諱を瑛含と改めた。そして、1678年延宝6年)に長兄・常如の法嗣(法主後継者)となり、法名を一如、諱を光海と再度改め、翌年、第16代法主を継承した。

1700年5月30日(元禄13年4月12日)、52歳にて逝去。


先代
常如
本願寺(東本願寺)
第16代
次代
真如