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日本の軍事

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日本の国土は伸長形態であり、複数の大小の陸地から構成されている特徴がある。(2003年5月撮影)

日本の軍事(にほんのぐんじ Military of Japan)は第二次世界大戦の前後で大きくその様相が異なる。ここでは戦後の日本国の現在の国防政策、国防機構、戦後史などについて述べる。

概要

戦後、第二次世界大戦において敗北したために日本はその軍事力の大部分を失ったが、その後に朝鮮戦争で顕在化した米ソ冷戦において、ソ連などの共産勢力に対抗するために軍備を再建し、米国日米安全保障条約に調印した。ただし造成する軍備の程度は防衛活動の必要最低限に抑え、また国際連合への協力や東アジア太平洋地域の国際関係に考慮して武力行使は防衛の局面に限り、最小限に留めている。さらに民主主義国家としての軍事に対する政治優先を原則とした文民統制に基づく政軍関係を採っている。

日本は北東アジアに位置し、四方をに囲まれた孤立的な多海洋型の国家である。その国土は北海道本州四国九州と約3340のから構成され、ユーラシア大陸に向かって反っている弧状列島である。国境が隣接する国家は日本海を挟んで北にロシア、西に日本海または対馬海峡を挟んで朝鮮半島北朝鮮韓国、そして東シナ海を挟んで中国、南には太平洋を挟んでフィリピンミクロネシア諸国、東には北太平洋を挟んで米国がある。地政学的にはリムランドの東端に隣接した地域であり、またユーラシア大陸東北部から太平洋への海上交通路の戦略的要所に位置するために海洋国家としての性質を持つが、朝鮮半島を経て大陸とも強い関係にあるので大陸国家の可能性もあり、歴史的には近代においては大陸方面に勢力圏を拡大しようとした。[1]また軍事地理的には樺太及び朝鮮半島が大陸から日本列島に向かう陸軍力の戦略的な要路となる可能性がある地形であり、また大陸から日本列島に向かう海軍力ウラジオストクなどが重要な拠点となり得る。半径約2500キロメートルの円周上に日本列島の大部分を含む円の原点の付近に位置するハルビンは大陸から日本列島に進む上で空軍力の重要な拠点となり得る。さらに日本経済にとって海上貿易が不可欠であるために国民生活や国家兵站の観点からシーレーンの維持が求められる。[2]

日本国内においては、まず国土が海によって分裂している複部国であり、領有する多くの島嶼が本土から遠く離れて位置する。[3]そのため島嶼の防衛に当たっては戦力の駐留や機動に障害となって、空白地域が生まれやすい。

戦略要地としては政経中枢である東京名古屋大阪福岡仙台などの諸都市があるがいずれも沿岸部に位置する。全体的にもその人口の大部分が狭隘な国土、しかも都市部に集中しており、地勢面において安全保障上の困難がある。[4]また国内的な海上交通路の収束点である宗谷海峡津軽海峡などの海峡があり、本州と北海道及び九州の交通線を接続している。日本の地勢はその約75%が山地であるため、土地利用や交通上の制約があり、防衛においては防衛的な障害として機能するが、反攻においても作戦行動の障害となる場合がある。また日本の地形は海外の大陸諸国に比べて複雑であるという特徴があり、平均すると約40平方キロメートルの平地・海岸平地・盆地は縦深が約40キロメートルの隘路によって接続されており、その隘路も主要道路または鉄道一本によってのみ接続されている。[5]

気候が温暖気候であるために農耕適地であり、資源が比較的に豊富である。その一方で原油天然ガスなどのエネルギー資源が乏しく、常に国民生活に不可欠な石油を中東地域に依存しており、国家兵站に惰弱な部分を抱えている。しかも地理的な環境から地震・台風・火山噴火などの自然災害が発生しやすい特性がある。

国防方針・政策

専守防衛

戦後の日本の国防政策としてまず専守防衛が挙げられる。これは相手国から武力攻撃である直接侵略または間接侵略を受けた場合にはじめて防衛力を発揮し、またその行使も防衛のための必要最低限に留めるという非常に消極的な防勢国防戦略である。[6]予定戦場を専ら国内に設定している点や、集団的自衛権を行使しない点で通常の戦略守勢とは異なる。

これに基づき保有する軍備も自衛のために限定されており、長距離型爆撃機攻撃型空母大陸間弾道ミサイル などの攻撃的兵器を持たない事を基本的な兵器調達の方針としている。しかし攻撃的兵器、攻撃的空母とは政治的な意味を多く含む曖昧な言葉であって、正確な兵器類の分類ではない。

日米安保体制

日米安全保障体制とは日本の防衛力に米国の軍事力をあわせて地域的な安定と国防に寄与するものである。米軍のプレゼンスはアジア・太平洋地域における安全保障秩序に重大な役割を果たしており、日本は米軍との協力関係を構築することによって日本の平和を守ることを基本的な方針としている。日米安全保障条約によってこの体制は構築されており、日本国内には在日米軍が配備されているだけでなく、有事における共同作戦や情報協力などの協力が行われる。

国際平和協力活動

専守防衛に基づく防衛政策から侵略戦争を目的とした部隊の海外派遣などは考慮されていないが、1991年湾岸戦争以降の国際協力活動の重要性が見直される流れの中で、国際貢献を目的とする海外派遣に踏み切った。

1992年に「PKO協力法」が成立して以来、国連平和維持活動や国際緊急援助活動に積極的に参加している。

2002年には東ティモールに陸上自衛隊員690名を派遣した。その後にイラク戦争勃発による「イラク特措法」などの法整備によって、自衛隊の海外活動はより拡大される傾向にある。

2004年にはイラクに自衛隊員約1,000名を人道支援の為に派遣した。

非核三原則

非核三原則とは核兵器の不保持の方針であり、核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずという原則を言う。第二次世界大戦において広島と長崎に核攻撃を受けたために、核廃絶は日本の国是とされている。

原子力基本法においても核兵器不拡散条約においても核兵器の不保持が定められている。

武器輸出三原則

武器輸出三原則とは武器輸出管理における原則であり、共産圏、国連決議で武器輸出が禁止された国、紛争当事国には武器を輸出しないというものであり、またそれ以外の地域にも武器輸出を慎む。

ただし1983年以降は日米安全保障条約に基づいて米軍への武器技術の提供の規制は緩和されるものとする。

国防機構

日本の国防機構としてはまず軍事組織である防衛省自衛隊があり、自衛隊には作戦領域から陸上自衛隊海上自衛隊及び航空自衛隊がある。

準軍事組織としては海上保安庁がある。自衛隊に防衛出動が命ぜられた場合には防衛大臣が海上保安庁の一部又は全部を指揮しうることとなっている(自衛隊法第80条)。海上保安庁は軍隊(自衛隊)の一部ではない(海上保安庁法第25条)。

防衛軍備

2007年3月時点で、自衛官の定員は25.5万人、実際の充足人員約24万人である。

  • 陸上自衛隊は5個方面隊が14.8万人から編制されている。10個師団と3個旅団、2個混成団、1個空挺団を管轄する。主要装備は戦車910輌、装甲車950輌、野戦砲660門、航空機約500機である。
  • 海上自衛隊は約4.4万人で、機動作戦を担当する自衛艦隊と近海警備を担当する5個地方隊からなる。主要装備は各種艦艇151隻(護衛艦53隻、潜水艦16隻等)、42.8万トン、航空機約310機である。
  • 航空自衛隊は約4.5万人で、主要作戦部隊は航空総隊、3個航空方面隊と1個航空混成団を管轄する。主要装備は各種航空機約500機、うち戦闘機は約370機である。
  • 予備役に当たる予備自衛官は約54,000人を有する。
  • 2004年在日米軍の総兵力は約4万人であった。

日本の近隣諸国の陸軍力は中国160万、北朝鮮90万、韓国50万、ロシア35万、台湾25万である。これに対して日本の兵力は14.8万であり、予備戦力としての陸自即応予備自衛官は6000人以下である。ただし専守防衛という国防方針から航空母艦巡航弾道ミサイル、長距離戦略爆撃機などといった攻撃が主目的とされる兵器がないこと、日本の防衛に必要な戦域において投入できる人員には限りがあることから他国との比較は困難である。

また、弾薬の貯蔵量が少ないと一般に噂され、憂慮されているが、一方で「備蓄分の弾薬を消費した後で健在な敵軍はいない」と主張する意見もある。しかし、それは事前に対抗国の侵攻予兆を察知し、政府及び陸海空自衛隊が即応体制を完成させていて、対抗国が正面から攻勢をかけてきた場合の想定であることも考慮するべきである。五列に対する備えも、あまりに不十分であり、それらに対する対処法も陸海空部内において深刻な問題となっている。戦争(紛争)は政治、経済、外交、世論等全ての要素が絡み合い成立するので、単純に軍事だけで語るのも注意を要するといえるだろう。

再編計画

小泉政権は米国から強化要請があったMD(ミサイル防衛)導入予算や、『おもいやり予算』維持拡大、米軍基地移転費捻出を防衛予算増額ではなく、正面装備の削減で賄った。

兵役制度

日本では志願兵制が採用されている。これは徴兵制が違憲であると政府が判断しているからである。志願者は試験を経て自衛官として採用される。

志願兵制であるために景気動向によって人材採用が大きく左右され、好景気の際には人材確保が困難となる上に人材流出となりやすい。また志願兵制のために防衛関係費における人件費の割合は大きい。[7]

また予備役としては、1954年から自衛官を退官した人員は予備自衛官に任官される。また2001年に自衛隊の未経験者を予備自衛官補として採用して一定の訓練教育を経て予備自衛官として採用する予備自衛官補制度が作られ、2002年から陸上自衛隊で採用されている。

民間防衛

現在、日本で民間防衛組織は編制されていない。ただし有事における民間防衛活動は国民保護として法整備が行われている。民間防衛、及び国民保護を参照されたし。

防衛関係費

日本の防衛関係費(軍事費)は、国内総生産に対する 1%程度である。1976年の閣議決定で、専守防衛論議とのからみで1%を超えないものとする基本方針が決定された。

1980年代には、この枠の維持が国会審議の大きな争点となったが、1982年には1%枠を超えた予算編成がなされた。

なお、この比率は後に低下し、2003年の日本の軍事予算比率は 0.96% である。GNPにおける割合は世界的に見てかなり低い水準に抑制されており、先進国の中で最低の比率であるにも拘らず、予算規模は為替換算ではアメリカ約5200億ドル、中国約1200億ドル、ロシア約550億ドル、フランス約450億ドルに次いで世界第五位であるが、大部分を人件費が占めており、装備・施設の維持管理費がこれに被さる。2004年の防衛予算は4兆8,764億円で、一般会計予算の5.94%を占める。

尚、物価の違いにより、購買力平価換算軍事支出では、中国の1/12、ロシアの1/3規模であり、それを反映して自衛隊の規模は両国軍の1/6-8規模であり、独力での国防は困難なので日米安保条約に大きく依存している[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

国際安全保障

日米安全保障体制

日米安全保障条約に基き米国は日本防衛の義務を負い(同条約第5条)、そのために米軍(在日米軍)が日本に駐留している。日本は在日米軍が発揮する軍事的プレゼンスはアジア・太平洋地域における安全保障秩序の維持、日本の国防、国際問題への取り組みにおいて必要不可欠であると認識している。[8]

日米安保体制をより効果的に機能させるために、平時から日米の戦略目標の認識の共有を進め、役割分担・軍事問題や安全保障問題に関する戦略対話や政策協議に取り組み、また情報交換・運用協力・共同訓練・技術交流なども積極的に推進して体制をより強固にしようと努めている。さらに在日米軍が使用する軍事施設に関係する負担の軽減についても留意することを示している。[9]

また、日本防衛の義務を負うものではないが、国際連合の軍隊(国連軍)も日本に駐留している。これは、朝鮮戦争における国連軍がいまだ解散していないところ、日本はこの国連軍の行動を援助しており(1951年9月8日に日本国内閣総理大臣吉田茂とアメリカ合衆国国務長官ディーン・アチソンとの間に交換された公文で確認されている。)、そのため「日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定」(国連軍地位協定)を複数の国との間で締結し、それに基いて駐留しているものである。キャンプ座間には国連軍後方司令部が置かれている。

歴史

第二次世界大戦後の国防についての歴史を述べる。

古代から近代以前の時代については、日本の軍事史の項を参照のこと。

大日本帝国第二次世界大戦ポツダム宣言受諾による降伏後、大日本帝国陸軍及び大日本帝国海軍は解体され、188個師団約550万人の陸軍力と74万トン約240万人の海軍力は失われた。日本を占領した米国は日本の非軍事化・民主主義復活強化を占領行政の基本方針とした。そして1946年に軍備と交戦権の放棄を謳った第九条を含む日本国憲法を制定することにより、日本は非武装国家となり、在日米軍が日本の国防を行うこととなった。

だがその後、東西冷戦が開始され米国はそれまで日本の占領行政の方針を大きく転換し、そして1948年1月にロイヤル陸軍長官のサンフランシスコでの演説で「日本を極東での反共の防壁」とすることが宣言されたことに始まって日本に再軍備を命じた。さらに1950年に朝鮮戦争が勃発し、戦力が不十分だった韓国軍は釜山周辺にまで後退し、北朝鮮軍が対馬海峡に接近した。米国は国連安全保障理事会に要求して北朝鮮の即時停戦を求める決議案を成立、全面的な軍事介入が決定された。朝鮮戦争勃発時の在日米軍は4個師団5万2000人であったが、開戦ですぐに3個師団が朝鮮半島に派遣され、また残りの1個師団も出動が準備されていた。つまり日本の防衛を担うことが出来る軍事力が皆無となったのだった。

この事態を受けてマッカーサー連合国最高司令官は日本の安全保障が大きく損なわれる危険性を危惧し、日本の独自の軍事力の必要性を認めて新たな軍事組織の新編を決断した。しかし国内の反戦世論と近隣アジア諸国の反応を考えた上で治安維持に重点を置いた組織として1950年警察予備隊が創設されることとなった。警察予備隊は名目上では警察の支援、治安維持を任務とする威力警察組織であったが、兵力は約5万500人(海上保安庁の人員は8000人)、管区隊の編制基準は米陸軍の歩兵師団の編制が参考にされ、職種も10種類の兵科、また装備も後に軽機関銃重機関銃迫撃砲軽戦車、105ミリ榴弾砲が用いられ、規則・訓練・命令などの隊務はGHQの顧問管理グループの指導を受け、事実上の軍隊であった。このような便宜的な手法は後々まで日本の国論を二分することになり、また社会的には反自衛隊運動などが行われるなどの影響を残すことになる。またこの頃から北方を重視する軍備はこの時点で既に開始されている。

警察予備隊はその後に保安隊を経て1954年6月には自衛隊法防衛庁設置法の防衛二法が成立し、1954年7月1日に陸・海・空自衛隊が発足した。防衛庁設置法で防衛庁の任務を「我が国の独立と平和を守り国の独立を保つ」と明確に規定する。しかしながら作戦行動に必要である民間の物資・施設・人員の動員を定める有事法制は合意されることなく、この不完全な国防体制は半世紀もの間放置される。さらに防衛庁の設置と共に統合作戦の調整機関として統合幕僚会議が設置されるが、指揮権を巡って政権与党自由党がその権限を抑制したたために、統合運用の体制でも欠陥を抱えた。

これらは当時の日本政府の見解が憲法9条や国内の反戦世論、野党勢力などを配慮して「攻撃能力を持たないので、軍隊ではない。」として、自衛隊は軍隊ではないと言う説明をし続けたことなどが関係している。

  • 海上自衛隊の使用する自衛艦旗は、大日本帝国海軍の軍艦旗とまったく同じである。
  • 一部の人達の間には海上保安庁の育成に尽力し、先に成立したので、大日本帝国海軍の正統な後継者は海上保安庁であると言う意見もある。

中曽根康弘内閣総理大臣防衛庁長官を歴任)は、歴代総理の中でも防衛政策を明確にした総理の1人である。陸上戦力に偏った軍備を批判し、海上戦力と航空戦力の強化及び偵察衛星の配備を提言した。同氏が大日本帝国海軍主計少佐であったことも影響していると一部の識者は推測する。だが、中曽根総理の時代ではそれらは政府が研究するに留まり実行に移される事は無かった。

その後の再軍備論争で「陸上戦力に偏重した軍備は焦土作戦本土決戦に繋がる」と云う批判が上がった。警察予備隊の創設に見られるように再軍備で陸上戦力が先行したのは、戦後日本の経済的限界やGHQの航空禁止政策によって航空機や艦艇を十分に揃えることができなかったためである。本土陸上戦力を主体に作戦するという防衛計画についても、法整備が行えない政治状況から防衛庁としては踏み込んだ説明を行っていなかった。高度経済成長以降においては海上において敵部隊を撃滅するために海上兵力や航空兵力が大きく増強されたことから、1985年の防衛白書では従来からの「小規模な侵略に大しては独力で排除」という方針に変わりはないものの、自衛隊の主要な防衛作戦として「着上陸侵攻対処」加えられ、まず「洋上撃破」を行い、上陸後の陸上作戦として「水際防御」と、それでなお侵略者を排除できなかった場合の「持久作戦」の説明が行われている。これは現在に続く着上陸侵攻対処における「沿岸海域における対処」「海岸地域における対処」「内陸部における対処」という日本の防衛計画の大きな柱となっている。

しかし近代史上において、上陸作戦の成功が見込めるだけの戦力差、国力差ができた状態から、明確な上陸意図をもって進発した敵上陸軍を海上で完全に撃破できた例は無いことから、大規模侵略に対しては一貫して日米安保の堅持による対処が謳われている。また2001年の防衛白書より不正規型武力攻撃への対処として「ゲリラや特殊部隊による攻撃など各種侵略形態に対処するための作戦」が加えられた。

1992年のPKO法、1999年周辺事態法2001年のテロ対策特別措置法、2003年有事法制・イラク特措法などは、野党より専守防衛を離れ、積極的な自衛隊海外派遣を可能にするものとして批判を受けたが、年代が下るにつれ、国会では圧倒的多数で成立するようになった(ただし、イラク戦争大義名分が問われたイラク特措法はやや様相が異なる)。

2006年12月15日に成立した防衛庁設置法等の改正で、防衛庁は、防衛省に昇格した。省に昇格しても、専守防衛の国防方針に変わりはないと表明している。(◆Q4 わが国の軍事大国化につながりませんか?(PDF:127k))これは主力装備の削減が計画的に進められていることからも、武力行使について抑制的な日本の政策に大きな変化があったと考えることは出来ない。また同法案はこれまで「付随的任務」だった周辺事態への対応や国際連合を中心とした「国際協力」を本来任務に格上げただしこの背景には冷戦後、PKOなどの戦争以外の軍事作戦により平和を維持し、創造するための活動が広く行なわれるようになった。

関連した戦争

日本は戦後から現在まで戦争において直接的に武力行使を行っていないが、いくつかの戦争に関連している。

憲法9条問題

日本は昭和21年11月3日公布、昭和22年5月3日施行の日本国憲法第二章「戦争の放棄」第九条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」との第一項目によって、国際紛争解決のための武力保持、威嚇、攻撃の権利を放棄している。また同第二項では「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」として、武力保持と交戦権を禁じている。根拠としては憲法前文の「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」からである。

これは憲法制定当時は、世界で日本唯一のものであった。事実、多くの国の軍隊と違い、憲法制定以降60年余りの間、他国との交戦状態に入った事は一度も無い。一方で、第二項の「前項の目的を達するため(戦力を保持しない)」とあることから、自衛のためだけに設置された「自衛隊」という組織が存在する。これは1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が勃発し、日本国内の防衛・治安維持を請け負ってきた連合国軍(米軍)が朝鮮半島へ出兵するため、軍事力の空白を埋める目的で、アメリカの要請により設置されたものである。

自衛隊は軍隊であるかどうかは長らく国内外において意見が分かれており、「侵略戦争はしないし、またそのような能力も持たない。あくまで自衛目的でしかない」という意見と、「兵力を保持しているのだから軍隊と何ら変わりがない」(自衛専用の軍を保有する国が数多く現れたこともある)という意見とに分かれ論議されているが、国際的には「Japan Self Defence Force(=日本国自衛軍)」と「軍」であるとの認識が大勢である。2001年、当時、総理大臣であった小泉純一郎は、「自衛隊は軍隊である。」と国会で発言した。また、同時に「自衛隊が軍隊ではないと言う今までの政府解釈はおかしい。」とし、「憲法を改正して、国防の任に携わる人に軍隊としての正しい地位と名誉を与えるべきだ。」と述べた。

核武装論

2005年現在、日本は核不拡散条約非核三原則から核兵器を保有していない。しかし、一部識者の間では核武装論が根強くあり、まれに政府高官などから核武装の可能性などが言及されることがある。

核武装論、及び、核抑止を参照されたし。

日本は原子力発電の開発に力を入れており、核技術においては世界の中でも先進国に分類される。また、再処理技術高速増殖炉など、核兵器と密接に関連する分野においても、核非保有国の中ではもっとも進んでいるとされる。原料についても、国内に無数の原子力発電所を持ち、特にプルトニウムについて青森県六ヶ所村の核燃料再処理施設や、高速増殖炉もんじゅ等の関連施設を持つ。

また、これに関連して、大陸間弾道ミサイルなどの弾道弾と密接につながる宇宙ロケット開発においても、日本は有人宇宙飛行こそ行っていないものの、静止軌道人工衛星を投射する能力を持ち、高水準の技術を保有している。ただし、実質的に打ち上げ能力のみであり、ミサイルとして重要な大気圏再突入に関しては、これまでにOREXおよびHYFLEXでの2回の再突入実験を行っているのみで、投入精度などの点で経験が不足している。

その為、国内外から、「現状では保有していないが、必要ならば生産できる準備のある」国家と見られる向きもある。2004年韓国の核開発問題が浮上した際、韓国はこの事実から、日本と、その核技術開発を認めているIAEAを批判している[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。しかしながら「核武装可能」という事実を以って、この事を外交カードとみなす政治評論家もいる。また、北朝鮮などの、アメリカのテロ支援国家にリストアップされている国家も、同様の主張を繰り返している。逆に、中西輝政などの日本の核武装を主張する論者からは、北朝鮮の脅威に対抗して核武装の準備を進めるべきとの見解が出されている。[10]

2005年、経済評論家大前研一は、韓国メディアで「90日以内に日本は核武装可能」と発言し、物議をかもした。後に大前研一は雑誌SAPIO2005年5月15日号で当該の発言はしていないと否定した。

また、「軽水炉使用済み燃料抽出プルトニュウムでも理論上は核爆弾が作れないとはいえない」と言われているが、政府内部研究では「実用上は黒鉛炉を建設して製造すべき、軽水炉Puで核爆弾を作った他国の例もない。」「爆縮装置の開発にも時間が掛かる」と指摘されており試作品の核弾頭を製作するまでに3-5年間、3000億円は掛かるとの科学者からの答申がなされたという。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。 (軽水炉PuはPu240含有率が高く未熟爆発の抑制が困難である。仮に成功したとしてもPu239飛散を防ぐため爆縮圧力を上げねばならないため重たい核爆弾になってしまい、劣化が早く、冷却等の問題が発生するという。ウラン・砲身型であれば核実験は必要ないものの、大型工場で大電力を用いて年間1-2個しか出来ず、ミサイルに積める小型化は困難であるという。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。


つまり、政治家や経済人の発言では短期間の核保有が可能との発言が散見されるが、技術に通じた科学者や軍事専門家は「核はインスタントに出来るものではない」という発言が多い。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。一夜にしてできるとしたら、3-5年の隠密開発が成功した場合であるが、事実上3-5年間探知されないで核開発をやりおおせる可能性は低い。

なお、中曽根康弘の自伝「自省録」によると、中曽根が防衛庁長官時代の1970年に、極秘研究として「日本が核兵器を開発できる可能性」について検討を行ったが、結論は、「期間5年以内、費用約2000億円で実現可能。ただし国内に核実験場が持てないので現実的に不可能」であった。核を抑止力として保有する場合、核実験を行い、実用的な核兵器を保有している事実を公開する必要がある。しかし、現在の日本の国土情勢と市民感情では核実験場を建設することは非常に困難である。このため、たとえ核兵器を保有できたとしても、他国が行って来たドクトリンと同様に核兵器を運用することは、ほとんど不可能である。

脅威の対処

本格侵略

一般的に将来的な本格侵略の危険性は低下していると考えられており、軍事力の圧縮が行われている。防衛白書によると日本の仮想敵国は北朝鮮・中国・ロシアの序列となっている。日本政府は、ロシアは10年間は急激な国防強化は無理だと判断し、北朝鮮・中国に主眼を置いた国防政策をとっている。また有事においては陸・海・空自衛隊の有機的な連携を要する統合作戦の体制が準備されている。

弾道ミサイル

弾道ミサイル技術の世界的な拡散に伴い、狭隘な国土であり、人口が数箇所に密集している日本はこれに対抗するために2003年に弾道ミサイル防衛システムの導入を決定した。このミサイル防衛に当たっては日米の協力をより強化にすることも推進されている。

巡航ミサイル

日本の周辺国では、中国・ロシア・韓国・台湾が保有している。弾道ミサイルも含めれば、日本周辺で長距離攻撃兵器を保有していないのは日本だけである。巡航ミサイルは発射後の目標変更等、柔軟な運用が可能な長距離攻撃兵器であり、低空を飛行するため探知・迎撃も困難である。有事には弾道ミサイルより使用頻度はずっと高いものと推測される。

ゲリラ・コマンド

国家の全面戦争ではなく、敵国のゲリラ特殊部隊の武力攻撃に対処する必要性が認められるようになっている。そのために正規戦を想定した編制や装備と同時に不正規戦を想定した個人装備や軽量可搬な支援兵器の充実と再編が急務であるとされている。その為、特殊作戦群創設、中央即応集団の新編等が行われた。

島嶼防衛

日本は約6800島の島嶼を領有し、その中でも特に西方の島嶼を防衛するため、部隊配備の力点も北海道から九州南西諸島への転換が進められており、戦略機動部隊の準備や装備の配備が行われている。

自然災害

日本はその地理的な環境から台風地震・火山噴火などの自然災害が頻発するため、災害派遣要請を受けて自衛隊を運用し、要救助者の救助、給水活動、行方不明者捜索などを行っている。

提言

以下の軍事力改革が学者・民間人によって提言されている。

一方、元自衛隊関係者による提言は以下のとおり

日本の軍事に対する諸外国からの要望と提言、ならびに働きかけ

※政権交代で要望と提言が撤回される可能性もあり

  • アメリカ合衆国(共和党政権)は、同盟国日本がイギリスと同等の地位まで向上出来るよう軍事強化を要望している(UKUSA同盟への参加)[11]
  • イギリスは、日本が経済的側面だけでなく軍事的な側面でも世界に貢献するよう求めている[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。
  • オーストラリアは、オーストラリア、日本、アメリカの三国間太平洋軍事同盟を提言している[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。また、定期的な防衛首脳会議や、オーストラリア国内の基地での自衛隊・オーストラリア軍の共同訓練を提案している。なお、2007年3月には、安全保障協力に関する日豪共同宣言に署名している。
  • カナダは、カナダ、オーストラリア、日本、アメリカの四国間太平洋安全保障同盟を提言している[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。
  • 台湾は、台湾、日本、アメリカとの軍事同盟を提言している[12]が、野党(中国国民党など)は反対している。
  • タイは、勢力伸張の著しい中国への脅威から、日本との軍事的関係の緊密化を提言している[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。また、防衛大学校に留学生を派遣している。
  • ロシアは、日本との軍事的関係の緊密化を提言し、特に航空自衛隊と海上自衛隊(領空侵犯と領海侵犯)について情報の共有を提言している[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。
  • チリは、日本との軍事的関係の緊密化を提言している[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。
  • ブラジルは、日本との軍事的関係の緊密化を提言している[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

脚注

  1. ^ 池井優『三訂 日本外交史概説』(慶應義塾大学出版株式会社、2006年)
  2. ^ 河野収『地政学入門』(原書房)
  3. ^ 服部実『防衛学概論』(原書房、1980年)
  4. ^ 防衛庁編『平成17年版 日本の防衛 防衛白書 より危機に強い自衛隊を目指して』(ぎょうせい、平成17年)
  5. ^ 松村劭『バトル・シミュレーション 戦術と指揮 命令の与え方・集団の動かし方』(文藝春秋、2005年)
  6. ^ 防衛庁編『平成17年版 日本の防衛 防衛白書 より危機に強い自衛隊を目指して』(ぎょうせい、平成17年)
  7. ^ 防衛法学会『新訂 世界の国防制度』(第一法規出版、平成3年)
  8. ^ 防衛庁編『平成17年版 日本の防衛 防衛白書 より危機に強い自衛隊を目指して』(ぎょうせい、平成17年)
  9. ^ 防衛庁編『平成17年版 日本の防衛 防衛白書 より危機に強い自衛隊を目指して』(ぎょうせい、平成17年)
  10. ^ 仙台「正論」懇話会 中西輝政氏「北情勢」語る
  11. ^ 改憲へアメリカの圧力とは?」、しんぶん赤旗、2007年2月1日。
  12. ^ 陳総統:日米との準軍事同盟関係構築の必要性を強調」、台湾週報、2006年10月9日。

関連項目

参考文献

  • 防衛大学校・防衛学研究会編『軍事学入門』(かや書房、2000年)
  • 服部実『防衛学概論』(原書房、1980年)
  • 河野収『地政学入門』(原書房)
  • 防衛法学会『新訂 世界の国防制度』(第一法規出版、平成3年)
  • 佐島直子編『現代安全保障用語辞典』(信山社出版、2004年)
  • 黒川雄三『近代日本の軍事戦略概史』(芙蓉書房出版、2003年)
  • 防衛庁編『平成17年版 日本の防衛 防衛白書 より危機に強い自衛隊を目指して』(ぎょうせい、平成17年)