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セバスチャン・ベッテル

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セバスチャン・ベッテル
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
F1での経歴
活動時期 2007 -
過去の所属チーム BMWザウバー
所属チーム スクーデリア・トロ・ロッソ
車番 18
出走回数 8
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 6
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初勝利 -
(記録は2007年最終戦終了時)
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セバスチャン・ベッテルSebastian Vettel, 1987年7月3日 - )は、ドイツヘッペンハイム出身のF1ドライバーである。原語ではゼバスティアン・フェッテル(フェテル)のような読みになる。

レッドブル・レーシングの育成プログラムを経て、2007年アメリカグランプリにおいてBMWザウバーから弱冠19歳でF1デビュー。当レースでF1最年少入賞記録を樹立した。同年のハンガリーGPからはスクーデリア・トロ・ロッソのレギュラードライバーとして参戦している。

経歴

初期の経歴

1995年(8歳もしくは7歳の時)にカートを始め、2002年までにドイツ・ジュニアカート選手権(2001年・2002年)、ヨーロッパICAジュニア選手権(2001年)などでチャンピオンタイトルを獲得した。

2003年からフォーミュラ・BMWドイツADAC選手権に参戦し、初年度からランキング2位(19戦中5勝)、2年目には20戦中18勝、全戦表彰台という圧倒的な成績でチャンピオンとなった。

2005年にはF3ユーロシリーズにミュッケ・モータースポーツから参戦し、総合ランキングで5位、ルーキーの中ではトップという上々の成績で終えたものの、この年の選手権はルイス・ハミルトンに完全に支配されたものであり、優勝を挙げることはかなわなかった。

前年のフォーミュラ・BMWでの活躍により、この年の9月27日にはF1ウィリアムズBMWをテストする機会を与えられ、同チームのFW27をドライブした。

ワールドシリーズ

2006年も引き続きF3ユーロシリーズに参戦したが、この年は7月半ばにイタリアミサノで開催されたワールドシリーズ・バイ・ルノーカーリン・モータースポーツからスポット参戦し、開催された2レースともに優勝を飾った[1]

このレースはパストール・マルドナド(Pastor Maldonado)によって支配されマルドナドはトップでレースを終えたが、レース後に車両に違反が見つかり失格となった。同様に、2番手でゴールしたベン・ハンレイ(Ben Hanley)もレース後に25秒加算のペナルティを課されたため、3番手でチェッカーを受けたベッテルが繰り上がり優勝となった[2]。第2レースはポールトゥーウィン[3]を飾っている。

7月28日にスパ・フランコルシャンで開催された次戦、雨の中行われた第1レースにおいて、オールージュの頂上付近でスピンしてクラッシュを喫し、その際に指の骨に達するほどの切傷を負った。幸い切断にはいたらなかったが、数週間はレースに出られるなくなるものと思われる重傷であった。しかし、この負傷にも関わらず翌週にはマスターズF3に参戦し、6位を記録している。

2006年F1最終戦ブラジルGP、金曜日にBMWザウバーを駆るベッテル

この年8月、F1のBMWザウバーチームはそれまでサードドライバーとして金曜日のフリー走行に出走させていたロバート・クビサをレギュラードライバーに昇格させたため、代わりのサードドライバーを探していた。BMWザウバーは当初よりベッテルに白羽の矢を立てていたが、ベッテルが(F1チームを持つ)レッドブルの契約ドライバーだったという事情もあってBMWザウバーとレッドブルの間で交渉がもたれ、結果、ベッテルはレッドブルからBMWザウバーへと2年契約で貸し出されることとなった[4]。ベッテルは同チームのサードドライバーとして8月末のトルコGPから最終戦ブラジルGPまでの5戦で帯同し、F1カーを駆って金曜日のフリー走行に出走した。初走行となったトルコGPの金曜フリー走行でいきなりトップタイムを記録し注目を集める[5]とともに、その後もしばしばタイムシート上位にその名を連ねた。

テストドライバーとしての出走であるため非公式なものではあるが、トルコGPの金曜日時点で19歳53日であり、これは19歳154日でF1の予選を走ったマイク・サックウェル1980年オランダGP)の記録を抜くもので、「F1開催日程中に同じコースを、F1の公式セッション中に、F1カーで走った」例として最年少となるものである。なお、サックウェルはオランダGPでは予選落ちとなり、2戦後のカナダGPで決勝レース出走の最年少記録(19歳182日)を樹立している。

結果として、この年はF3ユーロシリーズはポール・ディ・レスタに次ぐランキング2位(20戦中4勝)、ワールドシリーズ・バイ・ルノーは3レースのみの参戦ながらランキング15位、この年カーリンから参戦した4人のドライバーの中ではただ一人、優勝を記録した。

2007年は引き続きBMWザウバーチームの第3ドライバーを務めるとともに、ワールドシリーズ・バイ・ルノーにカーリンからシーズン途中まで参戦した。

F1

デビュー

2007年のF1第6戦カナダGPでクラッシュした、レギュラードライバーのロバート・クビサがFIA医師団の判断によりアメリカGPを欠場したため代役として急遽参戦し、F1デビュー戦で8位に入賞した。19歳349日での初入賞は、2000年ジェンソン・バトンが達成した20歳67日(ただし6位入賞)を上回るF1史上最年少記録となった。

この活躍が認められて(Rd.11)ハンガリーGPからチームとの折り合いが悪くなっていたスコット・スピードに代えて、スクーデリア・トロ・ロッソのレギュラードライバー(C-No19)として昇格することになった。

この年は、雨のレースでかなりの強さを垣間見せた。まず、富士スピードウェイで開催された第15戦日本GPの予選ではウェットコンディションの中、スクーデリア・トロ・ロッソのマシン性能を考慮すると驚異的な9番手グリッドを獲得し、さらに決勝では一時3位を走行するなど才能の片鱗を見せた。また、上位2台が先にピットインした際に3周にわたりラップリーダーを記録し、これは2003年マレーシアGPで最年少でトップを走ったフェルナンド・アロンソ(当時21歳)の記録を塗り替える最年少ラップリーダー記録となった。しかし結果は、45周目に走行が困難なヘビーウェットの中で、セーフティーカー先導中突如スローダウンしたルイス・ハミルトンの煽りを喰った形でペースを落とした2位走行中のマーク・ウェバーに追突してしまい、両者リタイアとなった。このクラッシュは彼自身のキャリアをふいにしかねない出来事であったが、日本GPと同じくウェットレースとなった次戦の中国GPでは前戦の汚名を返上する快走を見せ、自身とチームにとっての最高位である4位を獲得した。

2008年もスクーデリア・トロ・ロッソからF1に参戦。開幕戦から4戦連続リタイアと苦戦が続いたが、ウェットレースとなった第6戦モナコGPで5位入賞を果たした。

2009年からは、引退したデビッド・クルサードにかわってレッドブル・レーシングのレースドライバーとなることが発表された。

F1での年度別成績

(2007年最終戦終了時)
所属チーム car-No. ランキング 獲得ポイント 決勝最高位・回数 表彰台回数 予選最高位・回数 ファステストラップ獲得回数
2007年 BMWザウバー
トロ・ロッソ
10→19 14位 ※6 4位・1回 0回 7位・1回 0
2008年 トロ・ロッソ 15 16位 6 5位・1回 0回 8位・1回 0

※ポイントはBMWザウバーにより1ポイント、トロ・ロッソにより5ポイント。

出典

外部リンク