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ルイス・モンティ

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オリンピック
男子 サッカー
1928 アムステルダム サッカー
ルイス・モンティ
名前
本名 ルイス・フェルナンド・モンティ
愛称 ドブレ・アンチョ
カタカナ ルイス・モンティ
ラテン文字 Luis MONTI
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
イタリアの旗 イタリア
生年月日 1901年5月15日
出身地 ブエノスアイレス
選手情報
ポジション MF
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ルイス・フェルナンド・モンティLuis Fernando Monti1901年5月15日 - 1983年9月9日)は、アルゼンチン出身のサッカー選手アルゼンチン代表としてFIFAワールドカップ 1930年大会に出場したのち、イタリア代表として1934年大会に出場して優勝した。

プレイスタイル

モンティは無骨で無慈悲な選手だったが、強力なタックルに優れた技術を持っていた。彼は当時流行のメトドシステム(2-3-5フォーメーションの変化形)において、攻撃的なセンターハーフ(今日の守備的ミッドフィルダーに近い役割)としてプレイした。チームが攻勢の時にはプレイメーカーとなり、守勢の時には相手センターフォワードのマークについた。ピッチ上の広い範囲をカバーするプレイスタイルから、ドブレ・アンチョ(Doble ancho, 二倍の幅)と愛称をつけられた。

アルゼンチンでの経歴

ボカ・ジュニアーズでプレイしていた1924年に初めて代表チームに招集された。1927年コパ・アメリカで優勝、1928年アムステルダムオリンピックで銀メダルを獲得。1930年ワールドカップ・ウルグアイ大会では4試合すべてに出場した。モンティは準決勝のアメリカ合衆国戦で2ゴールを挙げ、アルゼンチンは決勝に進出したが、ウルグアイに2-4で敗れた。

イタリアでの経歴

1931年にイタリアのビッグクラブユヴェントスと契約を結んだ。当初、彼は太りすぎて本調子ではなかったが、一ヶ月の個別練習を経て調子を取り戻すと、1932年から1935年まで4シーズン連続のリーグタイトル獲得に貢献した。セリエAでは通算225試合に出場して19ゴールを挙げた。

1932年にイタリア代表に招集され、ホスト国として迎えた1934年ワールドカップ・イタリア大会で優勝した。モンティは再試合を含む5試合すべてに出場した。

大荒れに荒れた事によって記憶される1934年11月14日のイングランドとの親善試合「バトル・オブ・ハイベリー」では開始わずか2分で足を折られて退場させられた。

所属クラブ

代表歴