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セルヒオ・アグエロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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セルヒオ・アグエロ
名前
本名 セルヒオ・レオネル・アグエロ
愛称 クン
ラテン文字 Sergio AGÜERO
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1988-06-02) 1988年6月2日(36歳)
出身地 ブエノスアイレス
身長 172cm
体重 69kg
選手情報
在籍チーム アトレティコ・マドリード
ポジション FW
背番号 10
利き足
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

セルヒオ・アグエロSergio Leonel Agüero, 1988年6月2日 - )は、アルゼンチンブエノス・アイレス出身で、同国代表サッカー選手で現在はリーガ・エスパニョーラアトレティコ・マドリードに所属。ポジションはフォワード

アルゼンチンのプリメーラ・ディビシオン最年少出場記録を持つ。FIFA U-20ワールドカップ2007では得点王とMVPに輝き、2007年のFIFA世界最有望選手賞を獲得している。

愛称は「クン」。昭和50年代の日本のアニメ「わんぱく大昔クムクム」が由来。少年時代に練習を抜け出して見るほど熱中して見ており、「クムクム」を「クンクン」と発音したことから「クン」の愛称がついたと言われている。

日本では、「セルヒオ・アゲーロ」や「セルジオ・アグエロ」などと表記される事もあるが、彼はスペイン語圏出身のため、これは誤りである。

略歴

インデペンディエンテ

アルゼンチンのインデペンディエンテでサッカー選手としてのキャリアをスタート。2003年7月23日にディエゴ・マラドーナの持つプリメーラ・ディビシオン最年少出場記録を更新する、15歳と35日でのトップチームデビューを飾る。2002-2003年後期リーグ、2003-2004年前期リーグでの出場はこの1試合のみであったが、2003-2004年後期リーグより徐々に出番を増やしていき(5試合0ゴール)、2004-2005年前期リーグでは7試合に出場、リーグ初ゴールを含む2ゴールを記録した。

続く2004-2005年後期リーグで5試合3ゴールを記録した後、FIFA U-20ワールドカップ2005ではアルゼンチン代表に一つ年上のリオネル・メッシ(大会得点王、MVP)と共に選出され、ナイジェリアとの決勝戦では試合途中から出場、勝ち越しとなったPKを獲得する(キッカーはメッシ)等チームの優勝に貢献した。

2005-2006年シーズンはチームの主力として前期・後期共に18試合出場9ゴールとブレイク。ワールドユースでの活躍も相まって世界で最も将来有望なサッカー選手の一人として認知され、「ニュー・メッシ」(このシーズン、メッシはFCバルセロナで大ブレイクを果たした)とも「マラドーナの後継者」(マラドーナ自身もその才能を認め「アグエロをA代表に招集すべき」と発言したこともある)とも呼ばれるようになった。彼の元には、早くから移籍金1200万ユーロで獲得に乗り出したビジャレアルCFの他、メッシの所属するFCバルセロナやバイエルン・ミュンヘンなど多くの欧州の強豪クラブからのオファーが届いたが、最終的にアトレティコ・マドリードへ同クラブ史上最高額(約2000万ユーロ)での移籍が決定した。

アトレティコ・マドリード

鳴り物入りで入団したアトレティコでは、2006-2007年のリーグ初戦となるラシン・サンタンデール戦でミスタとの交代で途中出場しリーガ・エスパニョーラデビューを果たす。やがてこのスペイン代表をベンチに追いやり、クラブの旗印であるフェルナンド・トーレスと2トップを組む機会が増えると、リーグ第3戦アスレティック・ビルバオ戦でリーガ初得点を記録した。2006年9月3日にはアルゼンチンのフル代表デビューも果たしており、順調なスタートを切るものの、自身の好調とは裏腹にチームの攻撃は組織性に欠け、トーレスとの強力2トップを活かすことが出来ぬまま7位でシーズンは終了。それでもリーグ全38試合に出場し、周りのサポートに恵まれない状況でも初挑戦となるヨーロッパのトップリーグで6ゴールを記録。そのポテンシャルの高さをうかがわせた。

FIFA U-20ワールドカップ2007ではメッシが欠場する中、チームのエースとして大会に臨み、グループリーグの北朝鮮戦でのFKからのゴールやトーナメント第一試合のポーランド戦での芸術的なゴール、決勝のチェコ戦での同点弾などの印象的な活躍で6得点・4アシストを挙げてチームを優勝に導き、大会得点王とMVPに輝いた。日本でもメディアにメキシコ代表ジョバニ・ドス・サントスと並んで大会の目玉として取り上げられその知名度を大きく上げた。その後のコパ・アメリカにもフル代表として選出されたが、ここではメッシやカルロス・テベスら厚いFWの選手層に阻まれ出番は限られた。

2007-2008年シーズン、チームのエースでありキャプテンであったトーレスがリヴァプールFCに移籍し、チームの新たな顔としての期待が高まる中、かつてインデペンディエンテに所属していたディエゴ・フォルランとの2トップでシーズン序盤からゴールを量産。最終的にはリーグ3位となる19ゴールを決め、チームの欧州CL出場件獲得に貢献した。また2007年11月17日に行われたワールドカップ南米予選のボリビア戦でフル代表初ゴールを記録。2007年のFIFA世界最有望選手賞を受賞した。2008年にはテレビ局による第1回アントニオ・プエルタ賞を受賞。

プレースタイル

小柄でスピードと俊敏性に優れるが、同時にフィジカルも強く簡単に当たり負けしない。高度なテクニックも併せ持ち、「神速」と呼ばれる加速力を活かした高速ドリブルを得意とし、同時に急激な方向転換やブレーキも可能で小刻みなタッチを混ぜたドリブル突破は特筆すべきレベルにある。インデペンディエンデ時代にはハーフラインから単独によるドリブル突破で強引に相手陣内に進入し、そこにいたDFを3回にも及ぶキックフェイントで切り替えしてシュートを決めて見せ、2007-2008年シーズンの対バルセロナ戦ではカルレス・プジョルを置き去りにした後、他のディフェンダーに囲まれるまでの一瞬の隙でシュートコースを見つけ鮮やかなゴールを決めてみせた。

下がり目のセカンドトップだけではなくセンターフォワードとしてもプレーすることが可能なのは、限られたスペースでもテクニックを駆使した突破が可能でシュートコースを瞬時に判断する力に優れているためである。こうしたスタイルが元ブラジル代表ロマーリオに擬えられることもある。

テクニカルで突破力に優れるが、それに溺れてエゴイズムに走らず味方へのアシストを選択する等利他的なメンタリティーも併せ持ち、クラブではフォルランと抜群のコンビネーションを見せている。

人物・エピソード

  • メッシが早くからスペインに渡った為か、アルゼンチン国内での評価はメッシより高いという。

タイトル

オリンピック
男子 サッカー
2008 サッカー

アルゼンチンU-20代表

個人タイトル

  • FIFA U-20ワールドカップ2007最優秀選手
  • FIFA U-20ワールドカップ2007得点王
  • FIFA世界最有望選手賞(2007年)


所属クラブ

個人成績

クラブ シーズン リーグ 背番号 リーグ戦 カップ戦 欧州カップ戦 合計
試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール 試合 ゴール
アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ 2002–03 後期 プリメーラ - 1 0 - - - - 1 0
2003–04 前期 プリメーラ - 0 0 - - - - 0 0
2003–04 後期 プリメーラ - 5 0 - - - - 5 0
2004–05 前期 プリメーラ - 7 2 - - - - 7 2
2004–05 後期 プリメーラ - 5 3 - - - - 5 3
2005–06 前期 プリメーラ - 18 9 - - - - 18 9
2005–06 後期 プリメーラ - 18 9 - - - - 18 9
合計 54 23 - - - - 54 23
スペインの旗 アトレティコ・マドリード 2006–07 リーガ・エスパニョーラ 10 38 6 4 1 - - 42 7
2007–08 リーガ・エスパニョーラ 10 37 19 5 2 8 6 50 27
合計 75 25 9 3 8 6 92 34
合計 129 48 9 3 8 6 146 60

関連項目


この項目は、ウィキプロジェクト サッカー選手の「テンプレート」を使用しています。