スティーヴン・ジェラード
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名前 | ||||||
本名 | スティーヴン・ジョージ・ジェラード | |||||
愛称 | スティーヴィーG | |||||
ラテン文字 | Steven George GERRARD | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1980年5月30日(44歳) | |||||
出身地 | ウィストン | |||||
身長 | 185cm | |||||
体重 | 79kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム |
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ポジション | MF | |||||
背番号 | 8 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1997– | リヴァプール | 306 (56) | ||||
代表歴2 | ||||||
1999 2000- |
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4 (1) 68 (13) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2008年9月28日現在。 2. 2008年8月22日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
スティーヴン・ジョージ・ジェラード MBE(Steven George Gerrard MBE、1980年5月30日 - )は、イングランド、マージーサイド州・ウィストン出身のサッカー選手。プレミアリーグ・リヴァプールFC所属。ポジションはMF。セカンドトップからトップ下、サイドハーフ、サイドバックまで幅広くこなせるが、中盤の中央に位置するセンターハーフでのプレーを最も得意としている。
経歴
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0a/Liverpool_footballer_Steven_Gerrard.jpg/250px-Liverpool_footballer_Steven_Gerrard.jpg)
幼少の頃からマイケル・オーウェンらと共にリヴァプールFCのアカデミー (下部組織) で才能を磨き、1998年に右サイドバックとしてトップチームデビューを飾る。デビュー当初は荒っぽい守備が目立ち、たびたびカードをもらっていたが、そのダイナミックな攻撃参加はリヴァプールの未来を感じさせた。その後、当時のリヴァプールFCキャプテンであったジェイミー・レドナップが怪我がちだったこともあり、ポジションを中盤にコンバートされ、1999-2000シーズンにはレギュラーに定着する。2000年5月のウクライナ戦では19歳にしてイングランド代表に初招集。直後のUEFA欧州選手権2000においても代表メンバーに選ばれ、第2戦のドイツ戦で29分間出場している。翌2000-2001シーズンではリヴァプールの主軸として活躍。カップ・トレブルを達成したUEFAカップ決勝では、オーウェンからのアシストを受けて見事なゴールを記録している。
2001年9月1日日韓ワールドカップ予選、ミュンヘンでのアウェードイツ戦ではオリバー・カーンを始めとする堅守を、得意のミドルシュートで破り逆転ゴールを挙げ、5-1の記録的大勝に貢献した。
順風満帆に見えたキャリアであったが、2002年日韓ワールドカップ本大会には怪我で出場できず、2002-2003シーズンのプレミアリーグ最終戦のチェルシーFC戦では、勝った方が4位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得という状況の試合であったにもかかわらず、試合中に不用意なレッドカードを貰ってしまい、出場権を逃してしまう。しかし、翌2003-2004シーズン途中にサミ・ヒーピアからキャプテンを受け継ぐと、秘めたるポテンシャルが一気に開花した。同シーズン、チームはUEFAチャンピオンズリーグ出場権を争う位置にいたが、シーズン終盤のジェラードの大活躍によって最終節を待たずして4位を決め、前年の汚名を返上。シーズン後にチームの大エース・オーウェンが移籍した時、一時はジェラードにもチェルシー移籍の話が持ち上がった。しかし記者会見で残留を明言。この言葉はオーウェンを失ったサポーターを大いに勇気づけた。そして、名実ともにチームの顔となる。 サポーターからは『オーウェンならまだ耐えられる。でもジェラードは絶対にダメだ』とオーウェンの移籍の際に告げられており、ジェラードあってのリヴァプールとなった。ジェラードはオーウェンの移籍後は同じくアカデミー育ちのジェイミー・キャラガーとともにチームを牽引している。
翌年は、リーグ戦で低迷するチームを鼓舞しながら、UEFAチャンピオンズリーグにおいては、GL突破のためには2点差以上の勝利が義務付けられた最終戦のオリンピアコスCFP戦で、試合終了間際にミドルシュートを決め3-1とし、チームを決勝トーナメントへ導く。決勝トーナメントでは得点こそなかったものの、存在感を示しチームは決勝戦へと進出。決勝のACミラン戦では3-0のビハインドを覆す逆転優勝[1]を決めるきっかけとなるヘディングシュートを決めてみせた。ゴール直後のチームメイトとサポーターへむけた『盛り上がれ!』というパフォーマンスは有名である。また、このシーズン終了時に再びチェルシーへの移籍が報道された。代理人が「交渉は修羅場になった」と発言するほど契約延長交渉は乱れたようだが、これはジェラード本人とクラブ側との些細な思い違いから始まったものであった。正式な会談を持った結果、ジェラードはあっさりとチームへの残留を決めた。
2005年12月には、FIFAクラブワールドカップでヨーロッパ代表として来日。リヴァプールは準優勝に終わったが、テレビの宣伝などで日本での知名度は一気に上がった。
イングランド代表でも不可欠な選手とされており、2006年のドイツ・ワールドカップで2得点をあげる活躍をしたことから、本人も望むイングランド代表の次期キャプテンはジェラードで決まりだと噂されていたが、デビッド・ベッカムからキャプテンマークを引き継いだのはライバルチームのチェルシーのキャプテン、ジョン・テリーだった。
2000年代のリヴァプールの象徴であり魂でもある選手で、100年を超すリヴァプールの歴史を通しても、サポーターからはケニー・ダルグリッシュと並ぶ最高殊勲選手と目されている。その証として、2000-2001シーズンUEFAカップ、2002-2003シーズンFLカップ、2004-2005シーズンUEFAチャンピオンズリーグ、2005-2006シーズンFAカップと、タイトルを獲得したあらゆるカップファイナルで優勝に導くゴールを挙げている。
現在もリヴァプールのキャプテンであり、チームの精神的支柱、チームの大黒柱である。リヴァプールがイングランドのビック4[2]の頂点に立つためにはジェラードの能力だけでなく精神面での活躍が期待されている。
エピソード
- 非常に練習熱心な事で知られていて、練習であったとしても、常に全力でプレーをする。
- 2002年W杯で、中盤の選手が足りなかった当時の代表監督スヴェン・ゴラン・エリクソンは「ジェラードが2人いたなら…」と言った。実際は怪我のため本人も出られず、エリクソンは更に苦悩したと言う[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。
- リヴァプールのチームメイトであるジェイミー・キャラガー、現在ニューカッスル・ユナイテッドFCに在籍中のマイケル・オーウェンとは、リヴァプールのアカデミー時代からの親友であり、そのコンビプレーは阿吽の呼吸をみせる。幼少の頃から、リヴァプールの熱心なサポーターであることもあり、リヴァプールファンからの人気は絶大なものがある。
- 極度の潔癖症で一日に最低15回は手を洗う[3]。
- 2006年10月、髄膜炎をわずらった二女に対し、マンチェスター・ユナイテッドとのノースウエストダービー前夜にもかかわらず寝ずの看病をしていた。
- 2007年10月1日、ジェラードの運転する車に、歩道から飛び出してきた10歳の少年が接触した。小学校の前だったため減速していたが、この事故で少年に左足骨折の大怪我を負わせてしまった。しかし、その後すぐに運転席から飛び出し、駆け寄ったジェラードは、少年の手を握り締め、救急車が到着するまで付き添うと、警察に事情聴取を受けた後に少年の家族と連絡を取り、2日後に病院にお見舞いにいくと約束した。さらに、その少年がマンチェスター・ユナイテッドの大ファンであることを知ると、同クラブのエース、ウェイン・ルーニーに頼みサイン入りのスパイクを用意し、自分のサインを書き込んだイングランド代表のユニフォームと一緒にプレゼントした。
- リヴァプールの精神的支柱であり、大黒柱でもあるため、同じくリヴァプールに本拠地を置くエヴァートンFCとのマージーサイド・ダービーは人一倍思い入れが強く、途中交代させられたときは失望の色を隠さなかった。
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
1998-99 | リヴァプール | 28 | プレミア | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 |
1999-00 | リヴァプール | 28 | プレミア | 29 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 31 | 1 |
2000-01 | リヴァプール | 17 | プレミア | 33 | 7 | 4 | 0 | 4 | 1 | 41 | 8 |
2001-02 | リヴァプール | 17 | プレミア | 28 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 30 | 3 |
2002-03 | リヴァプール | 17 | プレミア | 34 | 5 | 6 | 2 | 2 | 0 | 42 | 7 |
2003-04 | リヴァプール | 17 | プレミア | 34 | 4 | 2 | 0 | 3 | 0 | 39 | 4 |
2004-05 | リヴァプール | 8 | プレミア | 30 | 7 | 3 | 2 | 0 | 0 | 33 | 9 |
2005-06 | リヴァプール | 8 | プレミア | 32 | 10 | 1 | 1 | 6 | 4 | 39 | 15 |
2006-07 | リヴァプール | 8 | プレミア | 35 | 7 | 1 | 1 | 1 | 0 | 37 | 8 |
2007-08 | リヴァプール | 8 | プレミア | 34 | 11 | 2 | 1 | 3 | 3 | 39 | 15 |
通算 | イングランド | プレミア | 301 | 55 | 19 | 7 | 23 | 8 | 343 | 70 | |
総通算 | 301 | 55 | 19 | 7 | 23 | 8 | 343 | 70 |
個人タイトル
- 2001年 PFA年間最優秀若手選手賞
- 2004-05年 UEFAチャンピオンズリーグMVP
- 2006年 PFA年間最優秀選手賞
- 2007年 大英帝国勲章・MBE
脚注
- ^ UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05 決勝を参照
- ^ マンチェスター・ユナイテッド、チェルシー、アーセナル、リヴァプールの4チーム
- ^ DVD "スティーヴン・ジェラード 伝説への飛翔"より
外部リンク
- Steven Gerrard GoalVideoz.com
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