リヴァプールFC
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リヴァプールFC | |
---|---|
原語表記 | Liverpool Football Club |
愛称 | The Reds |
クラブカラー | 赤 |
創設年 | 1892年 |
所属リーグ | イングランドプロサッカーリーグ |
所属ディビジョン | プレミアリーグ |
ホームタウン | リヴァプール |
ホームスタジアム |
|
収容人数 | 45,000 |
代表者 |
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監督 |
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公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
リヴァプールFC (Liverpool Football Club) は、イングランド・リヴァプールに本拠を置くサッカークラブチーム。愛称はレッズ(Reds)。
歴史
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7b/View_of_inside_Anfield_Stadium_from_Anfield_Road_Stand.jpg/220px-View_of_inside_Anfield_Stadium_from_Anfield_Road_Stand.jpg)
1891年、アンフィールドのオーナーであったジョン・ホールディングは、当時アンフィールドを本拠地として使用していたエヴァートンFCに対して使用料の値上げを要求したが、これを拒否したエヴァートンは現在のグディソン・パークへと移転した[1]。ホールディングはアンフィールドに新たなサッカークラブを設立することを決め[2]、1892年3月15日にリヴァプールFCが創立された。そして1892年9月1日に行われたロザラム・タウンFCとの親善試合が初めての試合となった[3]。
1936年6月には、ジョージ・ケイが前任者ジョージ・パターソンに代わり、監督に就任した。サウサンプトンFCからの就任であった。就任後の12試合では3勝4分という成績であった。そして最初の1936-1937シーズンは18位で終えた。しかしながら、次シーズン開幕戦の相手本拠スタンフォード・ブリッジでのチェルシーFC 戦では1-6で敗れた。そして1937-1938シーズンは11位で終えた。
1938-1939シーズン前に、ケイはボブ・ペイズリーをBishop Auckland F.C.から移籍金をかけずに獲得する。また、ビリー・リッデルも獲得する。しかし、第二次世界大戦へと突入し、活動を停止せざるを得なくなる。
第二次世界大戦の後、リヴァプールFCはアメリカ合衆国とカナダへの遠征を計画する。この計画はケイの、気候などが全く異なる北米でプレーすることは選手に有益であるという考えに沿ったものである。そして、1946-1947シーズンに10試合の北米遠征が行われた。
1949-1950シーズンにはFAカップで決勝に進出したが、アーセナルFCに破れ[4]、初のFAカップ制覇を逃した。また1951年にはジョージ・ケイが引退し、ドン・ウェルシュに引き継がれた。
クラブが大きな変革の時を迎えたのは1950年代に入ってからになる。フィル・テイラーに率いられ、1959年には下部ディビジョンに低迷していたリヴァプールFCにビル・シャンクリーが監督に就任する[5]。シャンクリーが基盤を作り、シャンクリーの右腕ボブ・ペイズリーへと受け継がれたクラブは1970年代から1980年代にかけて黄金期を迎え、ヨーロッパサッカー界を席捲する。この二人が監督を務めた間に国内タイトル、国際タイトル合わせて19個のタイトルを獲得した。
また、ヨーロッパサッカーの2つの悲劇、『ヘイゼルの悲劇』[6] (1985年) と『ヒルズボロの悲劇』[7] (1989年) は、共にリヴァプールの試合中に起きた。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/84/Anfield_Stadium_2426620378_2cfbe0b700_b.jpg/220px-Anfield_Stadium_2426620378_2cfbe0b700_b.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b3/Amicizia.jpg/220px-Amicizia.jpg)
2000-2001シーズンにはFAカップ、リーグカップ、UEFAカップを制して3冠を達成した[8]。なお、1983-1984シーズンにもリーグ、リーグカップ、UEFAチャンピオンズカップの組み合わせで3冠を達成している。
2004-2005シーズンは、シーズン開幕前にエースマイケル・オーウェンを放出[9]。ラファエル・ベニテスが監督に就任すると、ルイス・ガルシア、シャビ・アロンソなどリーガ・エスパニョーラの選手を獲得し、積極的に登用し始める。UEFAチャンピオンズリーグでは優勝を果たす。決勝のACミラン戦に於いて、前半終了時0-3のビハインドから、後半の6分間にジェラード、スミチェル、アロンソが立て続けに得点し、同点に持ち込んだ。そして、PK戦でもミランを下し、21年ぶりの優勝を果たした[10][注 1]。この勝利はイスタンブールの奇跡と呼ばれる。またこの勝利により、UEFAチャンピオンズカップとUEFAチャンピオンズリーグの合計優勝回数が5回となり、5チーム目となる優勝カップの永久保持が認められたクラブとなった。
2005-2006シーズンの夏、前シーズンがプレミアリーグ5位であったため[注 2]、UEFAチャンピオンズリーグの出場権は逃していたが、タイトル防衛の機会が与えられるべきという意見から特例で予備予選1回戦からの出場が認められた[注 3]。そして、2006-2007シーズン以降は、前大会優勝チームはグループリーグにシード出場できるというルールが設けられた。
2005年12月、新生したFIFAクラブ世界選手権2005出場のため来日。12月15日に行われた準決勝で北中米・カリブ海王者デポルティーボ・サプリサに3-0で勝利し決勝戦進出。12月18日の決勝戦では、南米王者サンパウロFCと戦い、接戦の末0-1で敗れ準優勝[11]。
2006年のFAカップ決勝戦では、ウェストハム・ユナイテッドFCと対戦。ウェストハムに三度先攻を許すも、後半終了間際のジェラードのミドルシュートが決まるなど、三度追いついた。その後の延長戦でも決着がつかず、PK戦の末に勝利し、同大会で5年ぶりの優勝を決めた[12]。
2006-2007シーズンはUEFAチャンピオンズリーグで決勝進出を果たした。対戦相手は2004-2005シーズンと同じACミランであった。この試合では1-2で敗れ、ACミランが優勝した[13]。
2007-2008シーズンは夏期移籍期間にフェルナンド・トーレスを獲得[14]。シーズン開幕前には懐疑的な意見も聞かれたが、ルート・ファン・ニステルローイが保持していたプレミアリーグ初年度の得点記録を塗り替えた。UEFAチャンピオンズリーグはここ数シーズンと同様に、準決勝まで進出した。準決勝でチェルシーFCに2戦合計3-4で敗れ、敗退した[15]。
2008-2009シーズンの夏期移籍期間にはトッテナム・ホットスパーFCから2030万ポンド (約41億円) でロビー・キーンを獲得[16]。また、在籍年数の長かったヨン・アルネ・リーセやスティーヴ・フィナン、ピーター・クラウチ、ハリー・キューウェルなどを放出し[17][18][19][20]、チームの顔ぶれを刷新した。
ダービーマッチ
同じリヴァプールに本拠を置くエヴァートンFCとはライバル関係にある。両クラブの試合は『マージーサイド・ダービー』と呼ばれ、マンチェスター・ダービー、ノース・ロンドン・ダービー、タイン・ウェア・ダービーなどと並びイングランドでも最も盛り上がるダービーマッチの一つである。
また、マンチェスター・ユナイテッドFCとは昔からライバル関係にあり、「伝統の一戦」として毎回白熱した試合を繰り広げる。 イングランドサッカーを引っ張るチーム同士の対戦なので、サポーターは試合前から相手チームを罵る歌を歌い、士気を高めている。 選手同士もこの試合に関してはとても熱く、リオ・ファーディナンドとピーター・クラウチの乱闘寸前劇や、ガリー・ネヴィルのリヴァプールファンへの挑発などが見られる。また、リヴァプール出身でライバルのエヴァートンから移籍したウェイン・ルーニーへのブーイングなども見られ、毎回好ゲームが多い。
2004年にラファエル・ベニテスが監督に就任してのち、リーグ戦でマンチェスター・ユナイテッドに勝利を挙げたことが無かったが[21]、2008-2009シーズン第4節ではホームで逆転勝利を挙げた[22]。
エンブレム
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/34/Royal_Liver_Building_above_Dale_Street_-_Liverpool_-_2005-06-27.jpg/220px-Royal_Liver_Building_above_Dale_Street_-_Liverpool_-_2005-06-27.jpg)
リヴァプールFCのエンブレム[23]には、アンフィールドのシャンクリー・ゲートの門飾りや、サポーターのアンセムともなっている"You'll never walk alone"の文字、リヴァプール市の象徴ともなっている鳥「ライヴァー・バード」(Liver Bird)などが用いられている。ライヴァー・バードの左右にある炎は、サッカー史に残る惨事と言われる[24]『ヘイゼルの悲劇』と『ヒルズボロの悲劇』への追悼の意を表している。また、ライヴァー・バードはリヴァプール市内のピア・ヘッドに位置するロイヤル・リヴァー・ビルディングの二つの時計台上部にある鳥をモチーフにしている。
スタジアム
リヴァプールFCはアンフィールドというホームスタジアムを持つ。前述の通り、元々はエヴァートンFCのホームスタジアムであった。
アンフィールドは、アーチボルド・リーチ(Archibald Leitch)という建築技師によって設計された[25]。
リヴァプールのウエスト・ダービーと呼ばれる地区に建つメルウッドは、リヴァプールFCのトレーニンググラウンドである[26]。同じリヴァプールのカービーに建つリヴァプールFCアカデミーとは異なる。メルウッドは1950年代からウエスト・ダービーに建つ。
サポーター
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6a/Shankly_Gates.jpg/220px-Shankly_Gates.jpg)
リヴァプールFCは多くのサポーターを持つ。サポーターはアンフィールドの"Kop"と呼ばれるスタンドで応援し、自身をKopitesと呼ぶ。
サポーターは、試合開始前や試合終了直前にYou'll Never Walk Aloneという曲を歌う。この曲はもともとリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタインがミュージカル「回転木馬」の為に書いた曲であるが、1960年代初頭に「マージービート」と呼ばれた一連のポップ音楽の系譜に連なるバンド「ジェリー&ザ・ペースメーカーズ」が録音し、ヒットチャートの1位を獲得することになった。その直後からこの曲はリヴァプールFCのサポーターの愛唱曲となり、現在に至っている。その後この曲はセルティック、アイルランド代表、イプスウィッチ・タウン、ラピド・ウィーン、フェイエノールト、アヤックス、ベンフィカ、FC東京などのサポーターにも歌われるようになった。
ユニフォーム
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![]() | この節の加筆が望まれています。 |
2008-2009シーズンよりホームユニフォームのデザインが変更され、アウェーユニフォームやサードユニフォームにもそのデザインが反映された。
スポンサー
- 2008-2009シーズンのスポンサー
企業名 | 本社所在地 | 概要 |
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Paddy Power | ![]() |
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adidas | ![]() |
試合用ユニフォームや選手が着用するジャージなどの用具を提供する |
Thomas Cook Sport | ![]() |
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Carlsberg | ![]() |
ユニフォームやトレーニングウェアにロゴ[27]を出す |
Setanta Sports | ![]() |
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MBNA | ||
コナミ (PES 2009) | ||
Lucozade Sport | スポーツドリンクを提供する |
- 過去のメインスポンサー
企業名 | 本社所在地 | 使用開始シーズン | 使用終了シーズン |
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日立 | ![]() |
1972-1973 | 1981-1982 |
Crown Paints | 1982-1983 | 1987-1988 | |
Candy | ![]() |
1988-1989 | 1991-1992 |
Carlsberg | ![]() |
1992-1993 |
タイトル
国内タイトル
- リーグ : 18回
- 1900-1901、1905-1906、1921-1922、1922-1923、1946-1947、1963-1964、1965-1966、1972-1973、1975-1976、1976-1977、1978-1979、1979-1980、1981-1982、1982-1983、1983-1984、1985-1986、1987-1988、1989-1990
- FAカップ : 7回
- 1964-1965、1973-1974、1985-1986、1988-1989、1991-1992、2000-2001、2005-2006
- リーグカップ : 7回
- 1980-1981、1981-1982、1982-1983、1983-1984、1994-1995、2000-2001、2002-2003
- コミュニティーシールド : 15回
- 1964年*、1965年*、1966年、1974年、1976年、1977年*、1979年、1980年、1982年、1986年*、1988年、1989年、1990年*、2001年、2006年 (*印はタイトル共有)
国際タイトル
2008年10月5日現在[28]
- UEFAチャンピオンズリーグ[注 4] : 5回
- 1976-1977、1977-1978、1980-1981、1983-1984、2004-2005
- UEFAカップ : 3回
- 1972-1973、1975-1976、2000-2001
- UEFAスーパーカップ : 3回
- 1977年、2001年、2005年
過去の成績
シーズン | カテゴリ | 順位 | 試 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | FAカップ | リーグカップ | UEFAチャンピオンズリーグ | UEFAカップ |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1992-1993 | FAプレミアリーグ | 6位 | 42 | 59 | 16 | 11 | 15 | 62 | 55 | ||||
1993-1994 | FAプレミアリーグ | 8位 | 42 | 60 | 17 | 9 | 16 | 59 | 55 | ||||
1994-1995 | FAプレミアリーグ | 4位 | 42 | 74 | 21 | 11 | 10 | 65 | 37 | 優勝 | |||
1995-1996 | FAプレミアリーグ | 3位 | 38 | 71 | 20 | 11 | 7 | 70 | 34 | 準優勝 | |||
1996-1997 | FAプレミアリーグ | 4位 | 38 | 68 | 19 | 11 | 8 | 62 | 37 | ||||
1997-1998 | FAプレミアリーグ | 3位 | 38 | 65 | 18 | 11 | 9 | 68 | 42 | ||||
1998-1999 | FAプレミアリーグ | 7位 | 38 | 54 | 15 | 9 | 14 | 68 | 49 | ||||
1999-2000 | FAプレミアリーグ | 4位 | 38 | 67 | 19 | 10 | 9 | 51 | 30 | ||||
2000-2001 | FAプレミアリーグ | 3位 | 38 | 69 | 20 | 9 | 9 | 71 | 39 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | |
2001-2002 | FAプレミアリーグ | 2位 | 38 | 80 | 24 | 8 | 6 | 67 | 30 | ベスト8 | |||
2002-2003 | FAプレミアリーグ | 5位 | 38 | 64 | 18 | 10 | 10 | 61 | 41 | 優勝 | グループリーグ | ||
2003-2004 | FAプレミアリーグ | 4位 | 38 | 60 | 16 | 12 | 10 | 55 | 37 | ||||
2004-2005 | FAプレミアリーグ | 5位 | 38 | 58 | 17 | 7 | 14 | 52 | 41 | 準優勝 | 優勝 | ||
2005-2006 | FAプレミアリーグ | 3位 | 38 | 82 | 25 | 7 | 6 | 57 | 25 | 優勝 | ベスト16 | ||
2006-2007 | FAプレミアリーグ | 3位 | 38 | 68 | 20 | 8 | 10 | 57 | 27 | 準優勝 | |||
2007-2008 | プレミアリーグ | 4位 | 38 | 76 | 21 | 13 | 4 | 67 | 28 | ベスト4 | |||
現所属選手
2008年10月5日マンチェスター・シティFC戦メンバー
- 2008年10月7日 現在[29]
|
|
ローン移籍選手
- in
- out
- ―
GK ニコライ・ミハイロフ toトゥヴェンテ
- ―
DF ゴドウィン・アントウィ toハートリプール
- ―
DF ミキ・ロケ toシェレス
- 44
DF ロビー・スレルフォール toヘレフォード・ユナイテッド
- 46
DF ジャック・ホブス toスカンソープ
- ―
MF ポール・アンダーソン toスウォンジー・シティ
- ―
MF アダム・ハミル toサウサンプトン
- 33
MF セバスティアン・レト toオリンピアコス
- 38
FW クレイグ・リンドフィールド toAFCボーンマス
- 40
GK デヴィッド・マーティン toレスター・シティ
- 10
FW アンドレイ・ヴォロニン toヘルタ・ベルリン
08/09移籍
歴代監督
- 2008年8月26日 現在[30]
氏名 | 国籍 | 在任期間 |
---|---|---|
ラファエル・ベニテス | ![]() |
2004.05.24 - |
ジェラール・ウリエ | ![]() |
2002.03.17 - 2004.05.24 |
フィル・トンプソン | ![]() |
2001.10.14 - 2002.03.16 |
ジェラール・ウリエ | ![]() |
1998.12.11 - 2001.10.14 |
ロイ・エヴァンス & ジェラール・ウリエ | ![]() ![]() |
1998.07.01 - 1998.11.12 |
ロイ・エヴァンス | ![]() |
1994.01.28 - 1998.11.12 |
グレアム・スーネス | ![]() |
1991.04.16 - 1994.01.28 |
ロニー・モラン | ![]() |
1991.02.22 - 1991.04.16 |
ケニー・ダルグリッシュ | ![]() |
1985.05.30 - 1991.02.22 |
ジョー・フェイガン | ![]() |
1983.05.23 - 1985.05.30 |
ボブ・ペイズリー | ![]() |
1974.07.26 - 1983.05.23 |
ビル・シャンクリー | ![]() |
1959.12.01 - 1974.07.12 |
フィル・テイラー | ![]() |
1956.05.01 - 1959.11.30 |
ドン・ウェルシュ | ![]() |
1951.03.01 - 1956.05.01 |
ジョージ・ケイ | ![]() |
1936.05.01 - 1951.02.28 |
ジョージ・パターソン | ![]() |
1928.02.01 - 1936.05.01 |
マット・マックイーン | ![]() |
1923.02.01 - 1928.02.01 |
デビット・アシュワース | ![]() |
1920.12.01 - 1922.02.01 |
(在任コーチ無し) | 1915.05.31 - 1920.12.01 | |
トム・ワトソン | ![]() |
1896.08.01 - 1915.05.31 |
ジョン・マッケンナ & ウィリアム・バークレー | ![]() |
1892.08.01 - 1896.08.01 |
歴代記録
出場試合数
公式戦に限る[31]
# | 名前 | 期間 | リーグ[注 5] | FAカップ | リーグカップ | その他[注 6] | 合計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ![]() |
1960–1978 | 640 (4) | 79 (2) | 42 (7) | 96 (1) | 857 (7) |
2= | ![]() |
1967–1981 | 470 (0) | 54 (0) | 55 (0) | 86 (0) | 665 (0) |
2= | ![]() |
1967–1979 | 474 (0) | 62 (0) | 46 (0) | 83 (0) | 665 (0) |
4 | ![]() |
1980–1987 1988–1996 |
469 (22) | 61 (5) | 78 (0) | 45 (3) | 660 (30) |
5 | ![]() |
1974–1985 | 455 (2) | 45 (0) | 66 (0) | 81 (0) | 650 (2) |
6 | ![]() |
1962–1978 | 467 (0) | 52 (0) | 30 (0) | 89 (1) | 638 (1) |
7 | ![]() |
1980–1994 | 440 (0) | 62 (0) | 70 (0) | 46 (0) | 628 (0) |
8 | ![]() |
1977–1991 | 434 (0) | 58 (1) | 68 (0) | 53 (1) | 620 (2) |
9 | ![]() |
1960–1975 | 406 (0) | 47 (0) | 27 (0) | 69 (0) | 549 (0) |
10 | ![]() |
1938–1961 | 492 (0) | 42 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 534 (0) |
得点
# | 名前 | 期間 | リーグ[注 5] | FAカップ | リーグカップ | その他[注 6] | 合計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ![]() |
1980–1987 1988–1996 |
229 (469) | 39 (61) | 48 (78) | 23 (45) | 346 (660) |
2 | ![]() |
1958–1969 | 245 (404) | 18 (44) | 05 (10) | 18 (34) | 286 (492) |
3 | ![]() |
1925–1936 | 233 (358) | 08 (19) | 0 (0) | 0 (0) | 241 (377) |
4 | ![]() |
1938–1961 | 215 (492) | 13 (42) | 0 (0) | 0 (0) | 228 (534) |
5 | ![]() |
1993–2001 2006–2007 |
128 (266) | 12 (24) | 29 (35) | 14 (44) | 183 (369) |
6 | ![]() |
1977–1990 | 118 (355) | 13 (37) | 27 (59) | 12 (58) | 172 (515) |
7 | ![]() |
1996–2004 | 118 (216) | 08 (15) | 09 (14) | 23 (52) | 158 (297) |
8 | ![]() |
1915–1928 | 135 (315) | 16 (28) | 0 (0) | 0 (1) | 151 (339) |
9 | ![]() |
1903–1914 | 125 (200) | 05 (19) | 0 (0) | 0 (1) | 130 (220) |
10 | ![]() |
1900–1907 | 119 (211) | 09 (14) | 0 (0) | 0 (1) | 128 (226) |
歴代所属選手
GK
トミー・ローレンス 1958-1971
レイ・クレメンス 1967-1981
ブルース・グロベラー 1980-1993
ディビッド・ジェームス 1992-1999
サンデル・ヴェステルフェルト 1999-2001
イェルジ・デュデク 2001-2007
DF
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MF
|
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FW
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脚注
- ^ UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05 決勝も参照
- ^ プレミアリーグの場合、前シーズンの最終成績が4位以上のクラブにUEFAチャンピオンズリーグの出場権が与えられる。5位から7位のクラブにはUEFAカップの出場権が与えられる。
- ^ その後の大会の詳細についてはUEFAチャンピオンズリーグ 2005-06を参照
- ^ 前身の欧州チャンピオンズカップも含む
- ^ a b Football Alliance、フットボールリーグ、プレミアリーグを含む
- ^ a b UEFAチャンピオンズリーグ、UEFAカップ、UEFAカップウィナーズカップ、UEFAスーパーカップ、コミュニティーシールド、インターコンチネンタルカップを含む
参考文献
- Simon Inglis著 「Engineering Archie」 English Heritage、2005年3月21日発行、ISBN 9781850749189
- ^ The Everton Story 1878-1930 Evertonfc.com,2008年8月26日閲覧
- ^ 1892 – Liverpool Football Club formed
Liverpoolfc.tv - LFC Story,2008年9月17日閲覧 - ^ リヴァプールFC - ロザラム・タウンFC 7:1
http://www.lfchistory.net/stats_articles_view.asp?article_Id=47 LFChistory.net,2008年9月13日閲覧 - ^ http://www.fa-cupfinals.co.uk/1950.htm 2008年10月5日閲覧
- ^ 1959 - Shankly appointed manager
Liverpoolfc.tv - LFC Story,2008年9月17日閲覧 - ^ 1985 - Heysel Disaster Liverpoolfc.tv - LFC Story,2008年8月26日閲覧
- ^ 1989 – Hillsborough Liverpoolfc.tv - LFC Story,2008年8月26日閲覧
- ^ 2001 - Clinching the cup treble
Liverpoolfc.tv - LFC Story,2008年9月18日閲覧 - ^ Owen unveiled by Real BBCスポーツ(2004年8月14日 12:08 GMT)
2008年9月18日閲覧 - ^ AC Milan 3-3 Liverpool (aet) BBCスポーツ(2005年5月25日),2008年9月18日閲覧
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LFChistory.net,2008年9月12日閲覧
外部リンク
- 公式
- ニュース
- その他
- Historical Football Kit - Liverpool - 各時代のユニフォーム
- LFChistory.net - リヴァプールFCの歴史