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玉虫左太夫(たまむし さだゆう)は、幕末の仙台藩の藩士。
文政6年に仙台藩士の玉虫平蔵の末子として生まれる。 24歳の時に江戸の湯島聖堂で学び、安政4年には堀利煕と共に蝦夷地を調査し「入北記」を著す。
日米修好通商条約の批准書交換使節団の一員として渡米し、見聞録「航米日録」を著す。
戊辰戦争終結後は奥羽越列藩同盟の成立に参加したため切腹を命じられた。