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成田親泰

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成田 親泰(なりた ちかやす、? - 天文14年4月17日1545年5月27日))は、戦国時代武将本姓藤原氏藤原師輔の流れを汲む成田氏成田顕泰の子で、成田長泰小田朝興成田泰季の父に当たる。武蔵国忍城城主。山内上杉家家臣。下総守。

関東管領上杉憲政に仕える。天文10年(1541年)に上杉憲賢と結んで上野国横瀬泰業を攻撃した。天文14年没(なお、旧説であった大永4年(1524年)没は父・顕泰の事とされている)。

関連項目