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春日俊彰

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春日 俊彰
本名 春日 俊彰
生年月日 (1978-09-20) 1978年9月20日(45歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県所沢市
言語 日本語
コンビ名 オードリー
立ち位置
事務所 ケイダッシュステージ
活動時期 2000年 - 現在
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春日 俊彰(かすが としあき、1979年2月9日 - )は、埼玉県所沢市出身のお笑い芸人。 お笑いコンビオードリーのボケ担当(当初はツッコミだった)。ケイダッシュステージ所属。身長175cm、体重84kg B101cm・W83cm・H98cm。

略歴

人物


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  • 立ち位置はカメラから向かって右側。
  • ネタの中ではツッコミを演じるが、ちゃんと若林にツッコミをしないため、逆にツッコまれる。胸を張りながら登場する。
  • 胸を張った状態で人差し指を立てながら『トゥース!』と叫ぶギャグを持つ[2]
  • 趣味はバイク、グルメ番組鑑賞。最近は近所の公園で一人野球(守備をしているとき、ボールが飛んでくることをイメージし、実際に声を出しながらその真似をすること。ちなみに攻撃側はないらしい。以前は1人サッカーをしていた。これもキーパーのみで、シュートを打つ選手ではないらしい)と芝生の上に寝転がって死んだ振りをして、どのくらい気づかれずに済むかを試すということだという。[3]
  • 自称ドMらしい。
  • 色黒で鼻が高いため、よく外国人に間違えられるが、ライブ中のフリートークによると、父親は長野県出身。
  • 家族構成は両親と妹。若林によると、母親は大柄で遠目で見てもすぐ「春日の母」だと分かるらしい。春日によると母親は学生時代、ソフトボール部の捕手でスラッガーだったという。また妹は谷本歩実選手の様な雰囲気を持った人間だと述べている。
  • 若林の家庭と同様、芸人になることを春日の家庭は反対していた。実家に帰ったとき、母親に今までかかった教育費を計算され、「これだけ金をかけて教育したのに、お前はお笑い芸人になるのか」と言われたらしい。しかしお笑い芸人として活躍を見せるにつれ積極的に応援してくれていたという。。[4]春日によれば、春日の父はオードリーのTV出演の映像を「春日ベスト」としてDVDにまとめ近所に配っている。そして、表札にはオードリー春日の実家というシールが貼られている。
  • 中尾彬の物真似が得意[5]
  • 所沢市出身という事で、埼玉西武ライオンズファン。小学校の時は少年野球を習っていた。また学生時代は西武ドームでアルバイトしていた経験を持つ。
  • 精神的にもタフな性格でM-1グランプリ2008でも一切緊張した姿を見せず、司会の今田耕司から「(優勝する)自信は?」と聞かれた際に真顔で「(自信が)なければここに立っていませんよ」と言ってのけ、観客を熱狂させた。
  • 高圧的なキャラクターは元々で、学生時代は「俺はストレートで東大に行ける!」などと発言していた為、他の同級生からは嫌われていたと若林は述べている。高校時代はオタクグループに属し、朝早く登校したあとミニ四駆を廊下で走らせたり、休日は公園でBB弾を持ってサバイバルゲームをしていた。とはいえ、成績は良かった様で国語だけなら早稲田に行ける程の偏差値だったらしい。
  • 高校生時代、アメフトでオール関東のメンバーに選ばれたことがある。大学進学後もアメフト部に入るつもりだったが、練習などの雰囲気が本格的だったなどのことからあきらめて、テレビのプロデューサーを目指そうと思った。
  • まだ売れていない頃、単独ライブを行う為に二人で貯めたお金を勝手に遣い込んでいた事を若林に告白(直に返せる金額ではないらしい)。若林は相当ショックを受けていた[6]。その後、若林はブログにて『使った額を(それよりも水増して)きっちり取り立てるつもり』とコメントしている[7]。その頃、春日が「俺は死なない」と常日頃から言い張っていたので、若林とその周辺が「じゃあ春日を殺してみよう」と、バイト帰りの春日を見張って車で轢こうとした。春日は車の急接近に気づき、ジャンプしてフロントガラスに張り付き、車内の若林にピースサインをした。
  • 好きな女性のタイプは太った熟女であり、落合信子中尾ミエ森久美子が気になるらしく、挙句の果てには相方の若林の母も気になっている様子。カンニングの恋愛中毒ロンドンハーツで発言しており、漫才のネタにもしている。
  • 矢口真里のファンで、一人でハロー!プロジェクトのコンサートを見に行くほど。[8]また、皆藤愛子のファンである。
  • 5年ほど前にいた彼女の当時のあだ名は「土偶」(太っているのにミニスカートばかりはいていた)で当時の春日のあだ名は「モアイ」だった。若林曰く「神秘的なカップルだった」と言っている。[9]
  • 爆笑オンエアバトル」にて、初出場から6年かけて初オンエアしたときに「最初は何も思ってなかったんですけど、3日後くらいに『あ!オンエアを勝ち取ったんだ』と感じた。」とコメントした。(2008年7月10日のオープニングにて)
  • アッコにおまかせ!」にて、漫才での登場時や立っている際の胸の張り方を和田アキ子に、「お前、何やねん、その態度は!」とマジ切れされた。
  • 小1から中3まで水泳を習っていた。その経験もあり、2006年10月16日放送の『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!スペシャル』(テレビ朝日)の芸能界潜水選手権[10]ではトライアルで出場し、当時日本で5位となる92メートルを記録した。また、2008年9月15日放送の同番組では、「漢字検定2級を持っています」と発言している。
  • 2007年、K-1 JAPAN 戦士育成プロジェクトに応募し2月25日の第1回トライアウトを受験、合格は逃したものの潜在能力を評価され準合格となったが、5月6日の『K-1 JAPAN TRYOUT 2007』で行われた最終試験でのスパーリングでは立川隆史に計4度のダウンを奪われ圧倒された。その後アーネスト・ホーストの元で合宿を行い、8月16日、ディファ有明で開催された『K-1 TRYOUT 2007 SURVIVAL』にて中国の王洪祥(ワン・ホンシャン)と対戦したが、2Rと3Rにダウンを奪われ最大5ポイント差の判定0-3で敗れた。[11]
  • アーネスト・ホーストの元で合宿を行った時、真剣すぎたせいかどうしても返事が「うぃ」になってしまい、練習が終わったときホーストの部下から呼び出しされ、「ホーストが怒っている『あいつは返事がおかしい』と言っていた。」と告げられたらしい。[12]
  • 写真週刊誌「フライデー」に同じ歳のぽっちゃりaiko似の女との“腕組みデート”を激写される。[13]しかし、写真を撮られたことを女性に話すとその後、音信不通になっているという。
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× 王洪祥(ワン・ホンシャン) 3R終了 判定0-3 K-1 TRYOUT 2007 SURVIVAL 2007年8月16日

倹約

  • 異常なまでの倹約家。住まいであるアパートは度々テレビで紹介されており、家賃が39,000円で風呂なし。風呂は100円ショップで100枚入りの赤ちゃん用のおしり拭きで体を拭き、それ以外ではテレビ局の風呂やコインシャワーを利用する。防寒の為に窓に段ボールを貼るが、テレビで度々紹介された為に、そこが春日の家だという事がばれてしまっている。食料としてパン屋で食パンの耳をよく貰う為、最近は袋に「春日」と書かれた専用の物がある。それをケチャップ和え、味噌汁の具、揚げて砂糖をまぶしたデザート等を作って食べる。またケータリングの飴を貰っては、ペットボトルの水に飴を10粒ほど入れて溶かし「飴ジュース」として飲む(実際に飲んだ山下真司恵俊彰小島よしおなど、意外といけると肯定的発言をする一方、青木さやかベッキー安田美沙子など、まずいと否定的発言をする者もいる)。ちなみに枕カバーは8年以上洗ったことが無いらしい。よく着ているピンクのベストの下のシャツも高校時代の制服の物で、ボタンも外れてしまっている。[14]その異常なまでの倹約生活で生活に必要な家具、家電、服のほとんどは拾い物で、貯金が300万あるとの事を明かしている[15]。現在でも増え続けている。夢は一戸建てを購入する事。若林によると学生の頃からケチで、学校でも有名だったという。前述のオール関東に選ばれた際、2万円程度する人工芝用のスパイクを買わなくてはいけなくなった。試合当日、アメフト部のメンバー全員(春日のみが唯一オール関東入りを果たしたため)で見に行き、双眼鏡で春日の足元を見ると「2-F」と書かれた上履きを履いてたという[16]。またマウスピースもテーピング用のテープで作るが、それを公式戦で使って反則を取られた事がある。
  • 恋愛に関しても倹約を貫いており、彼女に奢る事は無いと言う。ある年のクリスマスに、レストランで彼女がコース料理にも関わらず、春日はご飯とお新香を注文。それを見た彼女はナイフとフォークをテーブルに叩き付け「気持ち悪い!」と吐き捨てて帰ってしまった事がある。


単独での出演番組

脚注

  1. ^ 2008年7月15日放送のGyaoジョッキー 『そらを見なきゃ困るよ!』 ♯34より。ちなみに5年間かけて卒業している。
  2. ^ 元々はアメフトの時に気合を入れるための掛け声だという(本人がGyaoジョッキー内で発言)
  3. ^ 2/28 オールナイトニッポンR
  4. ^ 2/28 オールナイトニッポンR
  5. ^ 2008年7月17日OA「最強デュエット歌合戦」で本人の前で物真似を披露したところ、マフラーをプレゼントされ、本人公認となった
  6. ^ 2008年12月9日放送の「ぷっ」すまにて
  7. ^ 2008年12月10日・若林「ぷっすま」の件にて
  8. ^ 2008年12月18日・人見知り克服日記4
  9. ^ 1月18日 サンシャイン栄元祖爆笑王セレクトライブ 若林のトークより
  10. ^ 2009年2月2日放送の『QさまCLASSIC』で数年ぶりに復活した10メートル高飛び込みでプールに飛び込んだ後、潜水でプールサイドまで泳ぎ、最後に潜水企画で言う『I',OK.』を発言した。
  11. ^ K-1 TRYOUT 2007 SURVIVAL”. FEG OFFICIAL WEB SITE. 8月16日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  12. ^ 1月18日 サンシャイン栄元祖爆笑王セレクトライブのトークより
  13. ^ オードリー春日“節約OK”美女と腕組みデート 2009年2月20日 スポニチ閲覧
  14. ^ Music Loversより
  15. ^ 2009年2月20日放送の「検索ちゃん」より
  16. ^ yahoo動画! 実録エピソード劇場 オードリー アメフト編」より。また初の単独ライブの若林のトーク(コント「落語」、ピンネタ)でも同様の発言がある

外部リンク