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いろは丸

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  1. 以呂波丸(いろはまる)とは、1854年薩摩藩島津斉彬が建造させた日本最初の西洋型帆走船。
  1. いろは丸(- まる)とは江戸時代末期、いわゆる幕末伊予国大洲藩(現在の愛媛県大洲市)が所有していた西洋式の蒸気船である。本稿で記述。
  1. いろは丸(- まる)とは明治15年1884年に東京神田区の林千尋ならびに長野県北佐久郡岩村田町の篠澤豊太郎らが東京~小見川(現千葉県香取郡小見川町)間の江戸川、利根川に就航させた外輪蒸気船。

概要

土佐海援隊隊長、坂本龍馬が運用したことで知られるが、最初の航海で瀬戸内海備讃瀬戸六島(現在の岡山県笠岡市)で紀州藩明光丸(887トン)と衝突し、近くの鞆港(現在の広島県福山市)に曳航しようとしたが、浸水のため宇治島沖で沈没した。

経歴

  • 1862年イギリスバーミンガムで建造、アピソ号と命名される
  • 1866年6月大洲藩郡中奉行であった国島六左衛門長崎において、坂本竜馬の勧めによりオランダ人商人ボードインから42,500両で購入、いろは丸と改名する。(ただし藩命に背いたため、国島は責任を取り切腹する)
  • 1866年12月大洲藩は幕府にいろは丸を、城下町人の購入船として届出をする
  • 1867年4月大洲藩はいろは丸を坂本竜馬に貸与、19日に竜馬は大坂に物資(鉄砲)を運ぶために長崎を出航
  • 1867年4月23日紀州藩明光丸と衝突し、積荷もろとも沈没 

要目

  • 母港 伊予国大洲藩長浜(現在の愛媛県大洲市長浜町
  • 全長 30間
  • 全幅 3間
  • 深さ 2間
  • トン数 160トン
  • 機関 45馬力 外輪船(蒸気機関)、マスト3本あり、帆走可能

関連項目