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鳩山秀夫

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鳩山 秀夫(はとやま ひでお、1884年2月4日 - 1946年1月29日)は、日本法学者、元衆議院議員。専門は民法東京都出身

人物

法律家・政治家鳩山和夫の次男で、のちに首相となった鳩山一郎の弟。夫人の千代子は東大総長を務めた菊池大麓の次女。秀夫・千代子夫妻の長男・道夫は一郎の次女・玲子と結婚した。

一郎より優秀とされ、「賢弟愚兄」と評されたという。兄は政治家の道に進んだが、秀夫は法律家として身を立てた。後に一郎が著作隣接権の制定に取り組んだのは秀夫の忠告によるものであると言われている2008年3月8日 (土) 19:06 (UTC)[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

1926年に42歳の若さで東大を退官して弁護士を開業し、1932年第18回衆議院議員総選挙に旧千葉2区から立憲政友会公認で立候補し当選、1期のみ代議士を務めている。ただし、今日では鳩山秀夫は政治家としての目立った業績はなく、民法学者・弁護士として評価すべき人物とみられている。

学説

明治末から大正にかけて「民法といえば鳩山、鳩山といえば民法」とまでいわれた民法学会の寵児である。鳩山は、梅謙次郎穂積陳重富井政章らの日本の民法起草者による解説・注釈の時代を乗り越え、川名兼四郎石坂音四郎らと共にドイツ法の研究の結果に依拠した解釈論を発展させて日本民法の解釈論として主張した。その中でも、鳩山理論の影響力は多大で、ある公理ないしドグマから演繹的に具体的規範を定立し、その公理系内における体系化を推し進めて精緻な理論を完成させ、一時代の通説を築いた。その後、その手法を概念法学であるとして、社会学の研究の成果を法解釈学に導入した末弘厳太郎に徹底的に批判された。なお、鳩山の学説を批判した末弘の妻は菊池大麓の三女であり、鳩山と末弘は義兄弟の関係である。

経歴

著書

  • 『法律行為乃至時効』(巌松堂書店、1912年
  • 『日本債権法各論・上中下』(岩波書店1920年
  • 『物権法』(学生共同刊行会、1924年
  • 『担保物権法』(国文社、1928年
  • 『民法研究第1~4巻』(岩波書店、1929年
  • 『日本民法総論[増補改訂版]』(岩波書店、1931年
  • 『債権法における信義誠実の原則』(有斐閣、1955年

門下生

  • 我妻栄。彼に学者になるように勧めたのは鳩山であると言われている[1]

脚注

  1. ^ 星野英一「我妻栄」(法学教室176号68頁)

外部リンク