オマル・アル=バシール
オマル・ハサン・アフマド・アル=バシール عمر حسن أحمد البشير | |
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スーダン
第7代 大統領 | |
任期 | 1989年6月30日 – |
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副大統領 | 第一: サルバ・キール・マヤルディ
第二: アリー・ウスマーン・ターハー |
出生 | 1944年1月1日(80歳) 北部州ホシュ・バンナガ |
政党 | 国民会議 |
オマル・ハサン・アフマド・アル=バシール(عمر حسن أحمد البشير Omar Hasan Ahmad al-Bashīr, 1944年1月1日 - )は、スーダンの大統領(1993年10月 - )兼首相。1989年に軍事政権を成立させ、政権を掌握。エジプト陸軍士官学校卒。2000年12月再選。国民会議議長。なお、日本の主要マスコミは「バシル大統領」と表記している。NHKのみ、「バシール大統領」と表記。
幼少時代
アル=バシールは後の北部州の小さな村ホシュ・バンナガに生まれ、初等教育を受けた。母語はアラビア語[1]であり、いわゆるアラブ系スーダン人である[2]。家族とハルツームに移り、中等教育を終えるとスーダン軍に入隊した。
- 中等教育を受ける初日に、柄の悪い生徒に絡まれたことがあったが、すぐに撃退したと甥が話している(2009年3月15日放送分「NHK海外ネットワーク」より)。
軍人として
入隊後、カイロの士官学校に学び、階級を上げ落下傘部隊となり1973年にはエジプト軍と第四次中東戦争に従軍した。この時の従軍経験で見た光景が、後のアメリカ・イスラエル憎悪のきっかけになったのではないかと言われている。また後の政治家の歩みを決める出来事になったとも先述の甥が語っている(2009年3月15日放送分「NHK海外ネットワーク」より)。
1975年から1979年にはアラブ首長国連邦での駐在武官、1979年から1981年に部隊指令官、1981年から1987年まではハルツームの機甲落下傘旅団長であった[3]。
政治家として
スーダンに戻るとスーダン人民解放軍に対する作戦に動員された。1981年に准将となり、1989年に民族イスラム戦線のハサン・アル=トゥラービーの煽動下で軍事クーデターにより政権を掌握した。
アル=バシールは権力を掌握するとすぐにすべての政党や労働組合などを禁止し、報道を抑圧し、議会を解散した。救国革命指導評議会を置き、元首、首相、軍司令官、防衛相を兼務した。アラブ系の部族に黒人系を襲わせた他、黒人系の民族間でも対立を煽り、人種差別を徹底させ、1991年の新刑法及び治安警察の導入、ムスリムの判事の採用などでキリスト教や伝統宗教が普及している南部にシャリーアを強要し、南部の村を空爆し女性や子供を奴隷化するなどして、北部対南部の内戦を拡大させた。
英米やキリスト教系の「援助団体」により「イスラム教徒対キリスト教徒」の構図で語られることが多いが、シャリーアや民族対立を利用しながらも、大衆防衛軍という名の準軍組織による作戦展開などは米国が中南米で行ってきた作戦に酷似している。また圧迫の対象は異教徒だけではなく、ダルフールや東部戦線、ヌバ山地など、自身の属するアラブ系スーダン人ではない、低開発地のムスリムを含む勢力も弾圧の対象であり、彼らはこれに対して抵抗している。
1998年8月、スーダンの首都ハルツームがケニア、タンザニアにあるアメリカ大使館爆破事件への事実上の報復としてアメリカ軍の空爆を受けた際、抗議する市民集会に姿を見せ、「空爆された工場は単なる薬品工場だ」と演説、アメリカに激しく反発した。
独裁者としての批判
先述の内戦によって20年にわたり約100万人強の難民と数百万の国内避難民が発生し、約200万人が飢餓や戦闘の犠牲となった。また2004年にはスーダン西部のダルフールで民兵に約7万人を虐殺させ、2万人以上の難民を発生させた。
このことから、毎年行われている『ワシントン・ポスト』の付録誌『パレード』の「世界最悪の独裁者ランキング」という特集記事で、2005年 - 2007年度にかけて3年連続の第一位に選ばれた。2008年度は一位の座を北朝鮮の金正日に奪われたものの、第二位となっている。
2009年2月、オランダ・ハーグにある国際刑事裁判所 (ICC) はバシールを、ダルフールにおける人道に対する罪、ジェノサイド罪で起訴すると発表[4]。同3月4日、逮捕状を発行した[5]。 国際刑事裁判所が現職の国家元首を起訴するのは初めてのこととなる[4][6]。
中国との関係
中国は国有の中国石油を通じてスーダンの石油の大部分を買い、スーダンの石油生産企業集団2つの最大株主となっており、スーダンは中国との石油取引からの収入の80%以上を虐殺を実行するアラブ人の民兵組織「ジャンジャウィード」用の兵器購入にあてている。同民兵組織やスーダン政府軍が使う爆撃機、攻撃用ヘリ、装甲車、小火器などの兵器はほとんどが中国製であり、中国は米英両国が推進する国連平和維持軍のダルフール派遣に一貫して反対してきた。
スーダンに対する経済制裁や国連平和維持軍の派遣を検討しているものの、中国の拒否権によって阻止されている。
国際刑事裁判所が逮捕状を出したが、中国は「中国政府としてこの問題を深く憂慮している」と発言。その上で「もしバシール氏が犯罪を犯したというのならばなぜ野党は政治的和解のため彼を信頼できる交渉相手と認識したのか?」と指摘した。スーダンのタハ副大統領は「両国の友好協力を発展させることは、両国国民の共通した利益に合致する。スーダンは、ダルフール問題を解決するため、今後とも国連やアフリカ連合と積極的に協力していく」と語った。
中国は国際批判をどこ吹く風のようにスーダンに対する虐殺支援を制止せず、友好関係を維持している。
ロシアとの関係
近年ロシアはイラク戦争でアメリカ一極支配に反発的になり、以降反米的な南米諸国やそして中国とも関係強化しており、新冷戦が始まっている。そのためかロシアも中国と同じように虐殺のための武器を支援し、白く偽装されたロシア製のミル24型攻撃ヘリや白く偽装されたアントノフ26型輸送機が確認されている[7]。またロシアもダルフール紛争に拒否権を出す。
脚註
- ^ フスハーではなく、先住民言語等に強く影響されたアラビア語スーダン方言である。
- ^ スーダンにイスラームを伝えたアラブ化したエジプト人や、海を渡ったアラブのベドウィン、および彼らに帰順し彼らと混血した先住黒人の子孫。
- ^ “Profile: Sudan's President Bashir”. BBC. (2003年11月25日) 2009年3月6日閲覧。
- ^ a b “Judges Approve Warrant for Sudan's President”. The New York Times. (2009年2月11日) 2009年2月12日閲覧。
- ^ “International Court issues arrest warrant for Sudanese president”. CNN. (2009年3月4日) 2009年3月6日閲覧。
- ^ “スーダン大統領にICCが逮捕状、現職国家元首には初”. ロイター通信. (2009年3月5日) 2009年3月6日閲覧。
- ^ [1]
外部リンク
- David Byers, Sudan's president against Israel, The Jerusalem Post Nov. 28, 2006
- Hilary Leila Krieger, Amir Mizroch, and the AP, Sudanese leader blasts Jewish groups The Jerusalem Post Jun. 21, 2006