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新幹線100系電車

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新幹線100系電車(しんかんせん100けいでんしゃ)とは、東海道・山陽新幹線の二世代目の車両である。

国鉄/JR東海/JR西日本
100系新幹線電車
100系新幹線電車(2003年撮影)
基本情報
製造所 川崎重工業
日本車輌製造
日立製作所
近畿車輛
東急車輛製造
主要諸元
編成 4・6・12・16両
軌間 1,435mm
電気方式 交流25,000V 60Hz
最高運転速度 220 km/h
230 km/h(V編成)
設計最高速度 275 km/h
起動加速度 1.6 km/h/s
1.4 km/h/s(V編成)
減速度(常用) 2.6 km/h/s
編成定員

X編成 - 計1,277名(124名)
G編成 - 計1,321名(168名)
V編成 - 計1,285名(126名)
K編成 - 計394名

P編成 - 計250名
()内はグリーン車
編成重量 838.5t (X) 851.8t (V) 839.2t (G)
全長 26,050 (25,000) mm ()内は中間車
全幅 3,380 mm
全高 3,975 (4,490) mm ()内は2階建て車両
台車 (W)DT202(電動車)
(W)TR7000(付随車)
主電動機 直流直巻電動機MT202(230kW)
駆動方式 WN平行カルダン駆動方式
歯車比 2.41
2.17(V編成)
編成出力 230kW×48 = 11,040kW(X,G,V編成)
230kW×24 = 5,520kW(K編成)
230kW×16 = 3,680kW(P編成)
制御装置 サイリスタ位相制御
制動装置 発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ付随車渦電流ブレーキ
保安装置 ATC-1型
備考
第26回(1986年
ローレル賞受賞車両

カテゴリ / テンプレート

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概要

1964年東海道新幹線開業時から製造されていた0系は、開業当時から運用されている車両において、列車同士のすれ違いやトンネルの出入りで生じる気圧差の繰り返しによる金属疲労が発生し、これにより気密構造を維持できなくなってきたほか、数々の経年不良が相次いで見つかった。初めて設計された新幹線車両であったので、在来線車両より早く老朽化が進行する事態は当初には予期できなかったことであった。日本国有鉄道(国鉄)は0系を廃車にする基準を製造後13年とし、古い0系を新たに製造した0系で置き換えることが数年間続いた。

0系は何度かマイナーチェンジはされているものの、基本となるデザイン・内装は1964年の登場当初のままであった。そのため旅客から車両の陳腐化と映り、また技術が進化するとともに新幹線車両に起こりうる事象がある程度把握できたこともあり、100系はこれらを改善するために、主に内装を中心にモデルチェンジを行い、1985年10月から1992年までに合計1,056両が製造・投入された。内装や技術面で、これ以降生産される新幹線車両に搭載される設備・技術も数多い。

しかし、1990年代には新幹線の高速化が進み、走行性能的に0系と大差ないレベルの100系は高速ダイヤに対応することができず[1]、車両自体の寿命を迎える前に大量淘汰を受けることになった[2]。また、100系の最終増備編成であるG46編成より300系の量産車第1号であるJ2編成が先に落成した[3]が、G46編成が先に廃車になった。

東海道新幹線においては、2003年10月1日ダイヤ改正で同線内の営業全列車の最高速度を270km/hにすることが2000年5月31日に決定し、2003年9月16日の「ひかり309号」(東京新大阪)が最後の営業列車となった(ただし、新大阪 - 京都間にある通称「鳥飼基地」への回送列車を除く)。また山陽新幹線においては、2003年10月9日の「こだま557号」(広島博多)が最後の16両編成列車であった。

2009年6月現在、山陽新幹線において4・6両の短編成にした上で「こだま」用車両として運用に就いているが、2007年9月にK54編成[4]の骨組みから[5]、2009年6月にもK53編成2号車の骨組みからひびが発見されるなど、老朽化が進んでいるとみられるトラブルが発生している[6][7][8]

100系は0系のモデルチェンジ車であるので、ここでは主に0系との相違点を中心に述べる。

形式および車種

本系列に属する各形式名とその車種は以下の通り。

基本的に電動車は奇数形式と偶数形式でペアを組んでMM'ユニットを構成し、16両編成の場合は6組のMM'ユニットと4両のT車(X・G編成は1・8・9・16号車、V編成は7・8・9・10号車)で、6両および4両編成の場合はすべてMM'ユニットで組成される。

番台としては、試作編成でもあったX0(後にX1編成に改造)編成は9000番台、それ以外のX・G編成は0番台を、V編成とK・P編成の中間車は3000番台を、K・P編成の先頭車は5000番台を名乗る。

9000番台の(X0→)X1編成は0系1000,2000番台と同じく小窓タイプだが、それ以外の車両は0系0番台と同じく2列に1つの窓である大窓タイプが採用されている。

  • 116形(M'S)
    グリーン席を備える中間電動車。X・G編成10号車として使用。集電装置・主変圧器・整流装置・空気圧縮機などを搭載する。9000番台は当初、客用扉が2箇所あったが、量産化改造を経て1箇所になった。
  • 121形(MC)
    普通席を備える制御電動車。博多向き運転台、便所、洗面所、業務用室を備え、主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。0番台は存在しない。
    • 3000番台
    V編成1号車として使用。
    • 5000番台
    K・P編成1号車として使用。P編成に組み込まれた5001,5006,5008には乗務員室出入り台に、業務用電話、旅客指令操作盤などが取り付けられている[9]
    • 5050番台
    K・P編成1号車として使用。中間車である125形にG編成123形の先頭部分を組み込んで先頭車化したもの。P編成に組み込まれた5051 - 5053,5058 - 5063には乗務員室出入り台に、業務用電話、旅客指令操作盤などが取り付けられている[9]
  • 122形(M'C)
    普通席を備える制御電動車。東京向き運転台を備え、集電装置(3000番台以外)・主変圧器・整流装置・電動空気圧縮機(3000番台以外)などを搭載する。0番台は存在しない。
    • 3000番台
    V編成16号車として使用。
    • 5000番台
    K編成6号車、P編成4号車として使用。P編成に組み込まれた5001,5006,5008には乗務員室出入り台に、自動放送装置、列車案内中央装置、業務用電話、旅客指令操作盤などが取り付けられ、車掌室としている[10]
    • 5050番台
    K編成6号車、P編成4号車として使用。中間車である126形にG編成124形の先頭部分を組み込んで先頭車化したもの。P編成に組み込まれた5051 - 5053,5058 - 5063には乗務員室出入り台に、自動放送装置、列車案内中央装置、業務用電話、旅客指令操作盤などが取り付けられ、車掌室としている[10]
  • 123形(TC)
    普通席を備える制御付随車。X・G編成1号車として使用。博多向き運転台、便所、洗面所、業務用室を備える。
  • 124形(T'C)
    普通席を備える制御付随車。X・G編成16号車として使用。東京向き運転台を備える。
  • 125形(M)
    普通席を備える中間電動車。
    • 0,3000,9000番台
    X・G編成3,5,13,15号車、V編成3,13,15号車、K編成5号車として使用。便所、洗面所を備え、主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。
    • 500,9500番台
    X・G編成7号車として使用。便所、洗面所、業務用室、多目的室を備え、主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。
    • 700,3700,9700番台
    X・G・V編成11号車、K・P編成3号車として使用。便所、洗面所、車内販売準備室、車椅子対応設備、多目的室を備え、主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。
    • 3750,3760番台
    K・P編成3号車として使用。便所、洗面所、車内販売準備室、車椅子対応設備、多目的室を備え、主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。実際の種車は、3752 - 3757がJR東海所属の、3751,3758 - 3763がJR西日本所属のG編成125形700番台で、電装品はV編成から移設された。名義上は3751 - 3757は電装品を提供したV編成を種車とし、3758 - 3763は車体を提供したG編成を種車として処理されている[10]
    • 3800番台
    V編成5号車として使用。便所、洗面所、多目的室を備え、主制御器・抵抗器、電動発電機などを搭載する。
  • 126形(M')
    普通席を備える中間電動車。X・G・V編成2,4,6,12,14号車、K編成2,4号車、P編成2号車として使用。集電装置・主変圧器・整流装置・空気圧縮機などを搭載する。K編成4号車は3200番台を名乗っているが、これは3000番台の車両に車掌室を挿入している。
  • 148形(T'SBd)
    グリーン席とカフェテリアを併設する2階建て中間付随車。G編成8号車として使用。1階にはカフェテリアが、2階にはグリーン席が設置された。
  • 149形(TSd)
    グリーン席を備える中間付随車。X・G編成9号車として使用。1階にグリーン個室、2階にグリーン席が設置された。
  • 168形(T'Dd)
    売店と食堂を備える中間付随車。X・V編成8号車として使用。1階に売店を、2階に食堂が設置された。
  • 178形(T'Sd)
    普通席、グリーン席を備える2階建て中間付随車。V編成10号車として使用。1階には普通車指定席が、2階にはグリーン席が設置された。0番台は存在しない。
  • 179形(TSd)
    普通席、グリーン席を備える2階建て中間付随車。V編成7号車(3000番台)9号車(3100番台)として使用。1階には普通車指定席が、2階にはグリーン席が設置された。0番台は存在しない。

構造

車両外観

先代である0系との最大の違いは、そのフロントマスクと2階建車両の存在である。フロントマスクは、騒音空気抵抗の低減を図るために、鋭角にした前頭部から徐々に断面積を大きくしてゆく「流線型」とし、前照灯内のライト配置を0系の縦2灯から横2灯に変更して、横に細長い形に変えた。なお、試作車は前照灯に角度がついているためツリ目形状であったが、量産車は角度が小さくなっている。これらの形状から「シャークノーズ(サメ鼻)」とも呼ばれる。前照灯の間にある中央の丸い部分は、非常用の連結器が収納されている。足元はスカートで覆われ、内部には何重ものアルミ板を重ねた排障器がある。また、空調装置の室外機は200系と同様に天井車端に一括配置された。車体は0系と同じく普通鋼製である。

国鉄時代には「New Shinkansen」の愛称を与えられ、2階建車両の車体にこれを意匠した赤色のマーク(NSマーク)が標記されていた[11]が、1987年分割民営化後は、代わりにJRマークが貼付された。なお、東海旅客鉄道(JR東海)所属車については、後に1・8・15号車の車両番号横にJR東海のコーポレートカラーであるオレンジ色(JR西日本へ譲渡された編成は青色)の小さなJRマークに貼り替えられた。西日本旅客鉄道(JR西日本)所属車(V編成)は1・15号車のトイレ区画、8号車のNSマークが標記されていた箇所にJRマークが貼付されていたが、幾分小さくなっている。

台車

電動車台車はDT202、付随車台車はTR7000と呼称され(いずれもJR西日本の場合は頭に「W」を付す)、0系と同等のものを装着する。

ブレーキは、電動車は0系と同じく発電ブレーキを高速域での減速に使い、低速域では空気ブレーキを使う。今回、新幹線で初めて設定された付随車のブレーキには、初めて渦電流ブレーキを設置した。これは、以降製造された東海道・山陽新幹線の新幹線車両のうち付随車の存在する300系、700系にも採用された。

IS式軸箱支持装置、枕バネの採用は0系と同じである。

電源・制御・列車無線機器

PS202形パンタグラフと特高圧引き通し線(K58編成)

パンタグラフは0系から引き続き下枠交差型が採用された。PS202形と呼称される。0系では各ユニットに1基、つまり16両で8基のパンタグラフを設置しており走行時の騒音源となっていた。100系でも当初は各電動車ユニットごと、16両編成で6基のパンタグラフ(X・G編成は2・4・6・10・12・14号車、V編成は2・4・6・12・14・16号車)を使用していたが、1991年の東海道新幹線のATき電化により3基(2・6・12号車)に半減された。ただし、V編成は4基(4・6・12・14号車)搭載で、そのうちの3基を使用していた。これは天井に這わせた高圧ケーブルによる特高圧引き通しを実施し、パンタグラフのないユニットへの主電動機への電力供給も可能になったためで、この方法は以降新製される新幹線全車両に採用されている。K編成は2・6号車に、P編成は2・4号車に2基搭載している。パンタグラフカバーは、X・G編成はパンタグラフを四方から囲む形だったが、JR西日本所属のV・K・P編成は車両サイドに小さな遮蔽板を設ける程度となっている。

力行制御は0系の低圧タップ切替に替えて、半導体素子を用いた「サイリスタ位相制御」が採用されている。これは200系から採用されたものであるが、東海道・山陽新幹線では積雪時の空転に対する配慮が岐阜滋賀県境の関ヶ原付近を除いて不要なため素子数を減らした(100系:等4分割、200系:不等6分割)ものが採用されている。主電動機(MT202)は直流直巻式であるが、0系のものに比べて軽量で高出力となった。主電動機も含めて床下機器の冷却方法が0系の自己通風式から強制通風式となり、冷却用のファンが搭載された。床下の平滑化による騒音の低減と着雪障害の防止のため床下機器を収納する簡易ふさぎ板が設けられた。

主に制御機器・主電動機の軽量化・高性能化により、0系の16両全電動車方式から16両中4両が付随車となった。モーターの高出力化により、電動車を4両減らしても0系とほぼ同等の出力(16両の編成出力:0系=11,840kW、100系=11,040kW)を得ることができる。

列車無線装置についてもバージョンアップされ、0系で使用していたVHFによる無線から線路のそばに敷設された漏洩同軸ケーブル (LCX) に流れた情報を先頭車の足元に設置されたアンテナが受信して通信をやり取りする方式に変更し、東海道区間ではJR化後の1989年3月から、山陽区間では2000年3月から岡山まで、2004年3月から全線で本格運用を始めた。回線数が増えたことから、車内公衆電話は2両に1箇所設置することが可能となった。また、それまでの車内電話は列車内発信時にはオペレータを通し、なおかつ沿線の都市のみが通話可能エリアであったが、これにより日本全国へのダイヤル通話ができるようになった。

また、200系で使用されたドットマトリクス表示の運転台モニタ装置は、本系列ではカラー表示が可能なブラウン管モニタ(1面設置。後の300系や500系などは2面設置)へと進化している。パンタグラフや空調設備の作動状況、走行情報などが逐一、運転台から監視・制御できるようになった。全体では、点検作業効率化の観点から機器の配置見直しなども行われ、保守の省力化を図っている。

内装

座席

100系のグリーン車の車内(148形2階席)

0系に比べると乗り心地や快適性が改善された。普通車は3列+2列座席(X編成:R53,R70形。G編成:R53A,R53B,R53C,R70形。V編成:WRK205,WRK301形)であるが、前後間隔(シートピッチ)を0系2000番台の980mmから1040mmに広げ、3人席においても回転・リクライニング可能とした。また、車内は暖色系の色彩でまとめられた。

グリーン車は、通常の座席(X編成:R33,R34形。G編成R6,R35,R35A形。V編成:WRK103,WRK207形)が主であったが、X・G編成には個室も連結された。

K・P編成は、主にG・V編成のグリーン車の座席を流用している。詳細は#K・P編成を参照のこと。

車内サービス

ミュージックサービスとNHKラジオ第1放送の再送信を始めた。普通車では手持ちのFMラジオ[12]で、グリーン車内では備え付けのイヤホンで聴くことができる。このサービスは、以降新製される東海道・山陽新幹線の16両編成の全車両に装備されている。

LED式(単色、V編成は2色)の電光掲示板が装備された。電光掲示板の上部にはデジタル式の時計、右側に次の停車駅までの距離を7セグメントで表示する装置が配され[13]、通常走行時はLCXから送信されたニュースを表示した[14]。X編成では当初速度表示もなされていたが後に取りやめとなっている。電光掲示板の文字が小さいという乗客からのクレームがあり、G32 - G50編成では電光掲示板の文字を大きくし、時計と距離表示は省略された。後者の電光掲示板は、300系では同じタイプのものが搭載され、以降のすべての新幹線車両に標準搭載されている。

この電光掲示板は、一部が0系WR(R60番台)編成に転用された。

2階建て車両

100系は2階建て車両が新幹線で初めて連結され、0系にはない多様なサービスを可能にした。

基本的に階上は、車窓が良いことや乗客の通り抜けがないことからグリーン席と食堂車、階下は普通席、カフェテリアもしくは個室が設定された。詳細は各編成ごとの概要を参照。

客席部分を最大限使用するため、電動機などの機器を搭載することができず、付随車となった。また、空調設備などは床上に機器室を設けることによって搭載スペースを確保した。

2階建て車両は、平屋車両との段差が大きくなるために空気抵抗が拡大することや車体重心が高くなることから、車高はできるだけ低いほうが望ましい。しかし、2階建て車両投入によるイメージアップも重要なテーマのひとつであることから、車両限界を有効に使い設計された[15]。V編成「グランドひかり」の場合、室内高さは、1階部分が1982mm、2階部分が1986mmとなっている[15]

東海道・山陽新幹線区間では、300系以降で車両軸重を11.4t以下にすることを目標に設定したことや定員の相違による互換性の面での支障、速度向上のために車両の軽量化や走行抵抗の軽減が求められた結果、2階建て車両の新造の予定はない[16]

各編成の概要

2009年4月現在、山陽新幹線区間で6両K編成(K52 - K60)が新大阪 - 博多間で、4両P編成(P1,P3 - P12)が岡山 - 博多間で「こだま」運用に就いている。また、「グランドひかり」V9編成のうち、2階建て車両である7・8号車(179-3009と168-3009)は現在も車籍が残っている。

X編成

食堂車168-9001(一般公開時)
JR東海100系X3編成

1985年に落成した100系初の編成。先頭車と2階建車両各2両が付随車であり、2階建車両は8号車と9号車に組み込まれ、8号車は食堂車、9号車は、階上がグリーン車・階下がグリーン個室となっている。前述したが、試作車である9000番台X0編成(後に量産化改造でX1に変更)は小窓だったが、量産車は大窓になった。グリーン個室は1人用5室、2人用3室、3人用1室である。登場時には平屋構造の10号車(116-9001)博多寄りにも個室(1人用2室・2人用1室)が設置されていたが、量産車との設備統一を目的として1986年に一般客室に改造された。

1986年落成の量産車4本(X2 - X5)は当初2階建車両のない12両編成(暫定G編成・G1 - G4)として搬入され、営業運転開始の6月から2階建車両などが組込まれて16両編成化される11月までの5か月間は「こだま」として運用された。11月からは2階建車両を含む4両が組込まれX編成(X2 - X5)として、分割民営化直前に落成した増備車2本(X6,X7)とともに「ひかり」運用に充当された。分割民営化後は全編成がJR東海に所属した。

1985年10月1日にX0編成が営業運転を開始した。量産車は1986年11月1日からX編成としての営業運転を開始した。東京 - 博多間の「ひかり」を中心に運用されており、運用によっては1日の走行距離が2,500km以上にも達し[17]、検査周期も他の編成に比べて極端に短かった。1998年以降は東海道区間の「こだま」にも使われていた。総走行距離が車齢に比して多かったことから、1999年10月1日に0系YK編成に続いて定期列車の運用から離脱し、そのまま全車廃車された。

  • 定員:1,277人(普通車1,153人・グリーン車110人・グリーン個室14人)
  • 製造両数:7本(X1 - X7編成)・112両
  • 最高速度:220km/h
  • 製造時期:1985年 - 1986年

G編成

G編成「ひかり」(1991年頃)
G編成末期のカフェテリア
1人用個室 4人用個室
1人用個室
4人用個室

JR東海が1987年から投入した編成で、部内で「100'(ダッシュ)系」と呼称される。車両番号のハイフン以下の数字はX編成からの通し番号だった。

X編成と同じく先頭車と8号車と9号車に組み込まれる2階建車両各2両が付随車である。2階建車両のうち9号車はX編成と同じくグリーン車とグリーン個室であるが、「ひかり」の利用客が増加傾向にあったことから、8号車については食堂車の設定をやめ、階上にグリーン車・階下にカフェテリアを設け、グリーン車の定員を増やした。グリーン個室はX編成の個室設定のうち、多人数利用の需要から、1人用2室を4人用1室に変更した(→1人用3室、2人用3室、3人用・4人用各1室)。

1996年にG1 - G3,G6の4本、1997年にG4,G5,G7の3本、7編成の計112両がJR西日本へ譲渡された。背景としては、JR西日本はJR東海に比べ新幹線の輸送量が少ないため短期間で新車を大量投入することは難しく、そのためJR西日本は、受け持ちの東京直通の「ひかり」にも0系を充てる状況であったことが挙げられる。しかし、それでは100系に比較すると動力性能の低い0系の運転曲線を基準にしたダイヤを組まなくてはならないため、それを嫌ったJR東海がJR西日本に譲渡したものである。また、JR西日本も阪神・淡路大震災で山陽区間に閉じ込めとなったG編成の検査経験があることから譲渡が実現した。JR西日本に譲渡されたG1 - G7編成は、0系のNH編成の運用をそのまま置き換えたため、運輸上の区別でのみ「N編成」と称されていたこともあった。

最初は東京 - 新大阪間の「ひかり」に使われていたが、増備が進むにつれて運転区間が拡大した[18]。東京 - 博多間の「ひかり」はX編成やV編成などを使用していたことからG編成が使用されることは少なかったが、X編成が「こだま」へ転用された後は本数が増えた。一方では300系の増備と0系の廃車が進んだために1995年頃から「こだま」にも充当されるようになっていた。

2003年9月16日の「ひかり309号」(東京 → 新大阪、G49編成)を最後に東海道新幹線での運用から離脱した。G49編成は先頭車と中間車の一部に、予備編成として東京第二車両所に待機していたG47編成は先頭車にスペシャルマーキングを纏った。G49編成は2004年1月7日に、G47編成は同年2月2日に廃車となった。同年3月1日にG50編成が廃車となり、JR東海所属のG編成は消滅した。

山陽新幹線においては、2003年9月15日の「ひかり556号」(博多 - 新大阪、G2編成)を最後に16両編成の営業運転を終了する予定であったが、10月9日に代替編成としてG7編成が運用され、「こだま557号」(広島 → 博多)が最後の営業列車であった。2004年3月30日にG7編成が廃車となったことでG編成は消滅した。これによって16両編成の100系も消滅した。

2000年以降、JR西日本が所有することとなる「こだま」用のK・P編成を製作するさいに必要な先頭車と車椅子スペース設置車が不足するため、JR東海所有のG編成のうちG9,G10,G15,G19,G30,G43編成[19]が、8両に減車(1/2/11/12/13/14/15/16号車)されて浜松工場から博多総合車両所まで自力回送された。回送された車両のうち、両先頭車と11号車がJR西日本に譲渡され[20]、譲渡されなかった車両は博多総合車両所で廃車・解体となった。

  • 定員:1,321人(普通車1,153人・グリーン車152人・グリーン個室16人)
  • 製造両数:50本(G1 - G50編成)・800両
  • 最高速度:220km/h
  • 製造時期:1987年 - 1992年

V編成

グランドひかりも参照のこと

JR西日本が1989年から製造した編成で、部内で「100N系」と呼ばれ、「グランドひかり」の愛称を持つ。X・G編成とは大きく異なる点が多い。

ファイル:Grand-Hikari V4 odawara.jpg
グランドひかり」V4編成(小田原駅
「グランドひかり」食堂車(1999年撮影)

先頭車を制御電動車とすることで付随車は2階建車両4両に充てた。2階建車両は7 - 10号車に連結された。7・9・10号車の3両は、階上はX・G編成と共通のグリーン席であり、座席ごとに液晶モニターが設置され、山陽区間ではビデオソフトの視聴ができた。東京 - 博多間の長距離を運転することが基本であったことから、8号車はX編成と同じく食堂車とされた。階下はその後の「ひかりレールスター」(700系7000番台)につながる、普通車指定席でありながら、横4列配置のゆったりとしたサイズの座席(WRK206形)が配置されていた。その上、利用客の嗜好に配慮した、適度な照明と、落ち着いた色調のインテリア、付随車ならではの静粛性などから、この指定席を指名買いする常連客も存在した。

しかし、発電ブレーキを持たない付随車は、動力車に比べ制動時の減速度の立ち上がりが遅く、少なからず動揺が発生する傾向があった。しかも4両連続で編成中間に組成された2階建車両の慣性エネルギーは相当なもので、制動のたびに大きな前後衝動が発生することになった(現在は遅れ込め制御応荷重制御が確立されているが、当時100系には採用されなかった。遅れ込めは1994年E1系から、応荷重は1990年の300系先行試作車から採用。応荷重制御については、当時すでに在来線では211系などに採用例があった)。安らぎを求め、この車両を選んだ乗客にとっては大きな問題であり、それは食事を楽しむ食堂車の利用客にとっても同様であった。グリーン車常連客の中にはV編成運用列車を避ける者もいた。また静寂な故にささいな会話や騒音も目立ち、それを嫌がる人もいた。

非常連結器の下に、空気取り入れ口が設けられた。これは、先頭車が電動車となったため、主電動機を冷却するためのものである。中間電動車は床下から冷却風を取り入れていたが、制御車では排障器(スカート)があり、走行風を取り込みにくいため、この部分から取り入れることになった。

出入口付近に設置してある行先表示器を字幕式から3色LED(3色)式に変更し、上部に列車名と行先を表示しながら下部での停車駅のスクロール表示などを可能にした。これは、JR西日本独自仕様として、これ以降JR西日本で新製投入される300系以外の全新幹線車両[21]に採用されている。

山陽区間では最高速度230km/hで走行するため、ATC220 (km/h) 信号を230信号に読み替える信号読替装置「トランスポンダ」が装備されている。将来の高速化に備え、270km/h走行可能な動力性能が与えられた。試験では277.2km/hを達成しており、JR西日本は沿線への騒音が悪化しなければ、山陽新幹線の50%から60%の区間で270km/h運転を行い、新大阪 - 博多間を約2時間30分で結ぶ予定であったが、騒音が環境基準をクリアできなかったため最高速度は230km/hのまま営業が続けられた。

このV編成も高速化の影響を受けた。需要の急減に伴い、2000年3月10日をもって食堂車の営業は休止され、山陽新幹線博多開業前年の1974年から始まった新幹線食堂車の歴史は終了した。その後、2002年10月5日のダイヤ改正で定期列車の運用を終了し、同年11月23日の「ひかり563号」(新大阪 → 博多、V2編成[22])の運転をもって営業運転から離脱した。そして同年12月3日に一部廃車・組み換えとなり、V編成が消滅した。

運用は東京 - 博多間の「ひかり」を中心に使われ、最後まで、東海道新幹線内運行の「こだま」に使われることはなかった[23]

  • 定員:1,285人(普通車1,169人・グリーン車116人)
  • 製造両数:9本(V1 - V9編成)・144両
  • 最高速度:230km/h
  • 製造時期:1989年 - 1991年

K・P編成

新幹線100系電車 リニューアルK55編成(岡山 - 相生)
P編成1号車 車内
ファイル:Inside of JR West 100 K sets.jpg
K編成4号車 車内

JR西日本で「こだま」用の0系を置き換える目的で、長距離運用から離脱したV編成に改造・短編成化・車両延命化工事を実施したもので、6両編成はK編成、4両編成はP編成と呼称される。P編成は2000年10月4日(P1編成)から[24]、K編成は2002年2月12日(K51編成)から[24]営業運転に充当されている。全車普通車で構成されている。

座席

P1 - P3編成は当初、V編成普通車の2列+3列のものを流用していた。K編成とP4 - P12編成は登場当初から2列+2列の座席を使用していた。これには、0系「ウエストひかり」普通席仕様の座席、100系G・V編成のグリーン席、100系V編成2階建て車両1階席の3種類ある。元グリーン席についてはフットレスト等の付帯設備を取り外して普通席と同じシートピッチに配列する方法で、「ひかりレールスター」の指定席並みの座席にグレードアップした普通車として改造された。現在は全編成が前述の2列+2列シートに交換されている。

肘掛側面にラバーが張ってあるものは元G編成、樹脂の場合は元V編成、肘掛の形が簡単で中央の肘掛の跳ね上げが可能、従来の普通車のものと似ているのが元ウエストひかり、座面自体はウエストひかりと同じであるが足の部分が箱型形状のものが元V編成DD1階席である。また、元V編成の座席は他のものよりも若干ヘッドレスト部分の張り出しが大きいほか、左右の座席が肘掛によって完全に分断された形となっている。ただし、3号車の車椅子対応の1人掛け座席は、元G・V編成の座席を使用している編成(K編成とP9 - P12編成)は元V編成のものが、それ以外の編成は元ウエストひかり用にものに車椅子固定用金具が装着されている。モケットの色は奇数車両が赤系、偶数車両が青系に統一されている[9]

奇数号車

偶数号車


客室扉は、種車が2列+3列の座席配置であったため座席の配置とずれているが、車椅子対応設備が設置されている3号車新大阪側と車掌室を挿入したK編成4号車博多側の扉は車両の中心にあるため、座席とのずれはない。

カラーリング

新幹線100系電車 リニューアルP8編成(岡山駅)

登場当初のK51 - K53,P1 - P6編成は従来の白/青カラーだったが、2002年8月に出場したK54編成から車体塗装を0系WR編成と同じシルバー地に緑帯(フレッシュグリーン)とし、車内のカラースキームはシルバー系に変更した。従来塗装車も全検時に塗り替えられた[24]

短編成化改造

編成が短くなり、2階建車両を外したことから全車電動車となった。

短編成化により先頭車および車椅子スペース設置車(125形3700番台)が不足するため、先頭車はV編成の中間車にG編成廃車体の先頭部を切り継いで(K52,K55,K57,K60,P3 - P5,P7 - P12編成)先頭車化[25]。車椅子スペース設置車の3号車は、G編成の125形700番台の車体を再利用し、電装品をV編成から移設(先頭車改造が行われた編成と同じくK52,K55,K57,K60,P3 - P5,P7 - P12編成に組み込み[26][27][25]することで対応した[28]。しかし、名義上では、V編成の125形3000,3800番台の車両が種車のもの(K52,K55,K57,K60,P3 - P5編成[29])とG編成の125形700番台の車両が種車のもの(P7 - P12編成)の2種類存在している[25][30]

中間車を先頭車化したものや、125形700番台の車体を再利用した車両は車両番号の下2桁に50加算されている。K編成の4号車は新たに博多側2列の座席を撤去して車掌室を組み込む改造を施したため、3000番台から3200番台に改番されている[10]

←博多 K編成 新大阪→
編成番号 1号車
121形(Mc)
2号車
126形(M')
3号車
125形(M)
4号車
126形(M')*
5号車
125形(M)
6号車
122形(M'c)
K51,K53,K54,
K56,K58,K59
5000番台
52名
3000番台
80名
3700番台
58名
3200番台
72名
3000番台
72名
5000番台
60名
K52,K55,
K57,K60
5050番台
52名
3000番台
80名
3750番台
58名
3200番台
72名
3000番台
72名
5050番台
60名
←博多 P編成 岡山→
編成番号 1号車
121形(Mc)
2号車
126形(M')
3号車
125形(M)
4号車
122形(M'c)
P1,P2,P6 5000番台
52名
3000番台
80名
3700番台
58名
5000番台
60名
P3-P5
P7-P12
5050,60番台
52名
3000番台
80名
3750,60番台
58名
5050,60番台
60名

*K編成4号車はパンタグラフ撤去済み

V編成では新大阪(東京)側先頭車両のパンタグラフは撤去されていたが、K・P編成組成時に再設置された。また、V編成に引き続いて先頭車が電動車であることから、非常連結器の下に、空気取り入れ口が設けられている。

P編成は新大阪駅の信号システムの都合上、同駅に入線することができないため、博多駅 - 岡山駅(以前は姫路駅)間の限定運用とされている。姫路・相生駅にはP編成が停車していた名残として4両編成用の停止標識が現在も残っている。

訓練車

P2編成は2009年2月9日に廃車となった後、0系元Q3編成に代わり、新下関乗務員訓練センターに訓練車として搬入された[31]

[24][31][32][33]

編成 組成月日 2+2シート化 新塗色化 車両延命化工事 座席 廃車 備考
K51 2002年1月10日 2004年8月20日 元G編成 2009年4月1日
K52 2002年4月1日 2004年10月20日 2002年4月1日 元G編成
K53 2002年4月18日 2004年10月15日 2002年4月18日(1,4,6号車)
2004年12月18日
元V編成
K54 2002年8月6日 元G編成
K55 2002年8月22日 2002年8月22日(3,4号車)
2005年5月10日(1,2,5,6号車)
元G編成(1,6号車)
元V編成
K56 2002年9月26日 元G編成
K57 2002年12月10日 元G編成
K58 2003年1月9日 2003年1月9日(1,4,6号車)
2005年9月1日
元G編成
元V編成(3,6号車)
K59 2003年4月14日 元G編成
元V編成(5号車)
K60 2003年8月5日 2005年11月26日 元G編成
P1 2000年8月25日 2002年2月23日 2004年8月30日 2005年2月21日 元ウエストひかり 1,2号車の座席は
肘掛にもテーブルが収納
P2 2000年10月10日 2002年3月13日 2003年5月20日 2006年1月6日 元ウエストひかり 2009年2月9日 新下関乗務員
訓練センター訓練車
P3 2001年3月8日 2002年3月30日 2003年7月31日 2006年2月21日 元ウエストひかり
P4 2001年8月21日 2003年11月6日 2001年8月21日 元ウエストひかり
P5 2001年11月23日 2004年1月14日 元ウエストひかり
P6 2001年12月7日 2004年4月2日 元V編成DD1階
P7 2003年8月29日 元V編成DD1階
P8 2004年1月9日 元V編成DD1階
P9 2004年4月16日 元G編成
P10 2004年7月31日 元G編成
P11 2004年12月14日 元G編成
P12 2005年3月31日 元G編成

*元V編成DD1階は、V編成2階建て車両のうち、1階普通席に使われていた2列+2列シートのこと。シート部分は「ウエストひかり」のものと同一だが、椅子の足の部分が違う。

  • K編成(6両編成)
    • 定員:394人(全車普通車)
    • 編成・車両総数:10本(K51 - K60編成)・60両
    • 最高速度:220km/h
    • 組成時期:2002年 - 2003年
  • P編成(4両編成)
    • 定員:250人(全車普通車)
    • 編成・車両総数:12本(P1 - P12編成)・48両
    • 最高速度:220km/h
    • 組成時期:2000年 - 2001年,2003年 - 2005年

お召し列車用2階建てグリーン車

お召し列車としては1986年5月以降は100系が使われた。0系と違い、100系に装飾がなされないのは無線が普及したため、通常の列車とお召し列車の区別がつくようになったためである。新型車両として300系500系700系が主流となってしばらくの間も100系が使われていた。これは、100系にある個室や2階建てグリーン車の方が警備上都合が良い(1階に警備員を配置できるので同じ車両で警備することができる)ためである[34]。100系のグリーン車が全て消滅した現在は700系、N700系のグリーン車が一般編成に混じって使用されている。

廃車が早まった理由

この短編成化改造が行われる一方で、JR西日本においても、0系を存置したままほとんどのG編成が廃車になった。

設計最高速度は275km/hであるが、騒音基準を満たすことができなかったため、東海道新幹線や山陽新幹線における「のぞみ」や「ひかり」の全270km/h運転に対応できなかった。もう一つの理由は、100系が全電動車方式ではなかったことにある。全電動車方式の0系では、簡素な改造でほとんど性能を変えることなく、ユニット単位(2両)で編成の増減が可能であるのに対し、100系はMT比(電動車と付随車の構成比率)が変わることで車両性能が変化してしまう上にV編成を除き先頭車が電動車でなかったため、編成長を変えるには本格的な改造が必要になる。これに加え、JR西日本の0系は「ウエストひかり」のために延命工事を施された車両が多く、100系初期車よりも状態の良い車体も少なくなかった。そのため、100系の短編成化改造より、延命工事施工済みの0系を継続使用した方が経済的だったのである。

今後の予定

N700系の大量導入に伴って500系を8両編成に短縮した上で2008年12月から5編成を山陽新幹線「こだま」に転用。また、現行の「ひかりレールスター」用700系7000番台も急勾配区間が多い九州新幹線への直通が性能面で困難なことから、N700系ベースの新型車両(N700系7000番台)を導入することが決定した。

それに伴う本系列の運用離脱時期については明言されていなかったが、2011年春の九州新幹線全面開業により順次、廃車になる予定と報道された[35]。しかし、JR西日本からの公式な発表はない。

保存車両

168-9001
  • 123-1(初代G1→X2編成1号車),168-9001(X0→X1編成8号車)
    JR東海浜松工場に保管され、同工場のイベントなどで一般公開される。
  • 179-3009(V9編成7号車),168-3009(V9編成8号車)
    JR西日本の博多総合車両所内で保管されている。車籍も残っており、時折イベントなどで公開されている。

その他

最終的に本系列として実現する0系後継車の構想は1981年頃には既に存在し、今後の国鉄車両の方向性を示すものの一つとして各種メディアや『鉄道ファン』等の鉄道雑誌に取り上げられた。当時公表された構想図のうち、先頭部形状や塗色については大まかな概念図が主であったが、アコモデーションのそれは2階建食堂車のレイアウトやグリーン個室など、この時点で後年の実車にかなり近いものであった。また、実現しなかったものでは2階部分をフリースペースのラウンジとした案もあった。

これらの案に基づいて、浜松工場では2階建て車両のモックアップが制作された。

また、V編成「グランドひかり」以外の編成による「ひかり」の通称として「スーパーひかり」が使われることがあった。この呼称は、前述の構想とは別の、300系列車およびその源流の超高速運転構想における仮称が転用されたものである。

脚注

  1. ^ 特に東海道区間においては、線路容量ぎりぎりのダイヤのため、低速車両の混在はいわゆる平行ダイヤを組むことに繋がり、全体の速度を下げる結果になっていた。
  2. ^ 新幹線車両の寿命は東海道新幹線の置き換え基準の場合で平均13年とされているが、100系の製造打ち切りから東海道新幹線を撤退するまでの期間は約11年(1992年製造打ち切り→2003年完全撤退)であったため、平均より約2年も早く淘汰されたことになる。
  3. ^ J2編成の各車両は1992年2月5日、100系G46編成の各車両は同月28日落成(交友社『鉄道ファン』1992年8月号 No.376 83頁参照)
  4. ^ 1989年6月に製造されたのはV3編成。そのV3編成が種車となっているのはK54,P8,P12編成。そのうち6両編成のものはK54編成のみ。
  5. ^ “JR西の新幹線から、ひび計114カ所発見”. 産経ニュース. (2007年10月1日). http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/071001/dst0710012146016-n1.htm 2009年1月27日閲覧。 
  6. ^ “新幹線「こだま」15箇所にヒビ 100系全車両を点検へ”. 山陽新聞Web News. (2009年6月25日). http://www.sanyo.oni.co.jp/newsk/2009/06/25/20090625010009221.html 2009年6月26日閲覧。 
  7. ^ “100系車両の側柱キズ入り発見について”. JR西日本プレスリリース. (2009年6月25日). http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174281_799.html 2009年6月26日閲覧。 
  8. ^ “100系車両の側柱キズ入り発見について(参照図)”. JR西日本プレスリリース. (2009年6月25日). http://www.westjr.co.jp/ICSFiles/afieldfile/2009/06/25/20090625_100.pdf 2009年6月26日閲覧。 
  9. ^ a b c 『鉄道ファン2005年8月号』交友社、2005年、p.63頁。 
  10. ^ a b c d 『鉄道ファン2005年8月号』交友社、2005年、p.64頁。 
  11. ^ このNSマークは時刻表で「2階建て車両連結」を意味することとなったほか、新幹線車内の温度計にも標記された。
  12. ^ 現行車両も含めて東海道区間のみ車内販売で購入することができる。
  13. ^ 残り距離表示は当初は15km手前からだったが、電光ニュースが表示されるようになってからは停車駅到着予告のアナウンス後・5km手前からとされた。
  14. ^ 東海道新幹線内は1989年3月から、V編成・山陽新幹線内では2000年3月から実施。
  15. ^ a b 鉄道ファン 2003年11月号』交友社、2003年、P.58頁。 
  16. ^ 鉄道ファン 2003年11月号』交友社、2003年、PP.52,58頁。 
  17. ^ 後に300系で3,000km/日の運用が出現した。
  18. ^ ただし、「のぞみ」の運転が開始された1992年3月以前は、原則的に広島駅以西に入ることはなかった。
  19. ^ 回送・譲渡日時は、G9:2001年3月14日,G10:2002年2月4日,G15:2001年12月5日,G19:2001年7月5日,G30:2002年7月4日,G43:2002年11月5日
  20. ^ 鉄道ファン 2003年7月号』交友社、2003年、P.91頁。 
  21. ^ N700系ではこれを発展させたフルカラーLED方式がJR西日本車とJR東海車に共通で採用されている。300系は短期間で所要編成数を揃える必要があったので、先に登場していた東海車からの大幅な設計変更は避けたために東海車と同一の字幕式が採用された。
  22. ^ 但し、2階建て車両は状態の良かったV9編成のものと差し替えられた。
  23. ^ 山陽新幹線では「グランドひかり」運行開始直前の足慣らしと運用変更時に「こだま」で使用されたことがある。
  24. ^ a b c d 『JR電車編成表 '08冬号』ジェー・アール・アール、2007年、P.130頁。ISBN 9784882830481 
  25. ^ a b c 『山陽新幹線 関西・中国・北九州を結ぶ大動脈』JTBパブリッシング、2005年、P.166 - P.168頁。ISBN 9784533058820 
  26. ^ K52はG15、K55はG10、K57はG30、K60はG43、P3はG6、P4はG9、P5はG19、P7はG3、P8はG5、P9はG1、P10はG2、P11はG7、P12はG4の車体にV編成の電装品を移設
  27. ^ 『鉄道ファン2005年8月号』交友社、2005年、pp.63 - 75頁。 
  28. ^ 『鉄道ファン2005年8月号』交友社、2005年、p.64頁。 
  29. ^ P5の3号車のみ125形3000番台(V6編成13号車)からの改造名義。他は3800番台からの改造名義
  30. ^ 『鉄道ファン2005年8月号』交友社、2005年、pp.64 - 75頁。 
  31. ^ a b 『鉄道ファン2009年7月号』交友社、2009年、P.74頁。 
  32. ^ 『JR電車編成表 '06冬号』ジェー・アール・アール、2005年、p.334頁。ISBN 4-88283-044-2 
  33. ^ 『JR電車編成表 '06夏号』ジェー・アール・アール、2006年、p.391頁。ISBN 4-88283-045-0 
  34. ^ 『復刻増補版 新幹線0系電車』イカロス出版、2008年、P.49頁。ISBN 9784863201231 
  35. ^ 2009年1月30日付朝日新聞。「もっと知りたい!」より

関連項目

100系が登場していたJR東海のテレビCM

外部リンク