マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ
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名前 | ||||||
本名 | マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ | |||||
愛称 | エメ | |||||
カタカナ | エメルソン | |||||
ラテン文字 | Márcio Passos de ALBUQUERQUE | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ブラジル カタール | |||||
生年月日 | 1978年12月6日(45歳) | |||||
出身地 | RJ、ノバ・イグアス | |||||
身長 | 171cm | |||||
体重 | 69kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | フラメンゴ | |||||
ポジション | FW | |||||
背番号 | 11 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
代表歴 | ||||||
2008- | カタール | 2 (0) | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
エメルソンこと、マルシオ・エメルソン・パッソス(Márcio EMERSON Passos、1978年12月6日-)は、ブラジル出身のサッカー選手。ポジションはFW。
本名はマルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ(Márcio Passos de ALBUQUERQUE)で、エメルソンは偽名(後述)。
プレースタイル
抜群のスピードで切れのあるドリブルと鋭く強烈なシュートが特徴。得点数も多いが、それに伴って1試合平均のシュート数もかなり多い。そのプレースタイルゆえに彼を抱えた歴代チームは軒並みカウンター中心のサッカーを採ることが多く、ポゼッションサッカーを志向する傾向の強い日本では批判も多かった。
サンパウロFC在籍時は、その才能は認められながらも、真面目に練習に取り組まないなど人格面に問題ありと判断されていた。俊足のため右サイドで起用されていたこともある。
来歴
Jリーグ
2000年にJ2コンサドーレ札幌に期限付き移籍。サンパウロFCとは一転したエメルソンを中心とした戦術ということもあり真価を発揮し、34試合31得点と大活躍。J1昇格に大きく貢献した。
2001年シーズンを前にして、鹿島アントラーズや欧州クラブなどへの移籍が噂されたが、結局J2の川崎フロンターレに移籍。サンパウロFCユース時代からの恩師であるピッタの川崎コーチ就任が移籍の理由となった。 同年7月にはJ1浦和レッドダイヤモンズに移籍。ピッタと連れ立っての移籍だった(ピッタは浦和コーチ就任から程なく監督に昇進)。2002年のセカンドステージ2節では手を骨折したにもかかわらず泣きながら試合に出続け、Vゴールをアシストしている
ラフプレーや、独り善がりなプレーが多いことでも知られていたが、2004年シーズンには結婚したことや浦和のギド・ブッフバルト監督の影響などもあってか態度が改善、警告累積による出場停止なども減ったことから本来の攻撃力を発揮。30試合で27得点を挙げ浦和レッズでは福田正博に続く2人目の得点王となり、チームも第2ステージで初のステージ優勝を成し遂げた。また、この時期には日本に帰化して日本代表入りするという噂があった。
移籍騒動
2005年6月初めに非公式にカタールのクラブ、アル・サッドにて強化部長を務めるアマドが渡日し、その後浦和に対してエメルソン獲得の正式オファーが出る。高い移籍金が設定され戦力として浦和で評価を受けていたが、アル・サッド側が移籍金を支払う事を決めた。交渉に伴って、浦和は6月20日にはエメルソンにアル・サードとの移籍交渉を許可した。アル・サードからは500万ドル(推定)の1年契約でオファーが出された。Jリーグ中断中に息子が入院していることを理由にブラジルに帰国していたが、再渡日・再合流も家庭を優先する形で引き伸ばしていた。結果的にリーグ再開後もチームに合流できなかったエメルソンは、800万ドル(推定)の移籍金を浦和に残して再び日本の地を踏むことなくアル・サッドへの移籍が決まった。
エメルソンに限らず、外国籍選手、殊にブラジル人の合流が遅れることは、Jリーグにおいてはさして珍しいことではない。しかし、シーズンが始まっても合流できないことは異例であった。そんな中で突然放たれた移籍のニュース。浦和ファンのみならず、日本のサッカー関係者やエメルソンを知る全ての人を驚かせ、落胆させた。
逮捕
2006年1月20日、本名・生年月日の異なる2つの出生証明書を悪用していたことが判明しブラジル連邦警察に逮捕された。正規である最初の方の出生届は本名「マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ」で1978年12月6日生まれ、後に年齢詐称に悪用されたもう一つの出生届は本名「マルシオ・エメルソン・パッソス」で1981年9月6日生まれとなっていた。日本でプレーした際は2度目の出生届のものを用い、3歳分、年齢を若く申告していたことになる。 現地の報道によると、母親が出生届をしていなかったとして1995年に年齢、氏名を偽証して2度目の出生届を詐取したとのことである。
本名と偽名について、日本では逆で報道されていたが、逮捕後であるレンヌでのUEFAカップでの出場におけるuefa.comに25番の選手をMárcio Passos de Albuquerque(マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ)と記述し、2008年のACL出場選手を記載したAFCのサイトでもアルサードの10番の選手をMárcio Passos de Albuquerqueと記載している。
異母弟のルイスもサッカー選手で、2001年に川崎フロンターレに在籍。兄のクラウジオは2006年の6月から7月に浦和レッズで用具係を務めていた。
カタール国籍取得
2006年10月、カタール国籍を取得したことが判明。カタールでは早速のA代表入りを期待する声が多くあがったが、エメルソンにはユース世代(U-20)のブラジル代表としての99年ワールドユース(当時の名称)の南米予選出場経験があり、また、明らかに代表入りのみを目的とした短期間での国籍取得であるため、早々のカタール代表入りをFIFAが認める可能性はほとんどない、という見方が、世界各国のサッカーマスコミでは主流となっていた。
この当時のFIFAの規定ではフル代表以外のカテゴリーでの公式の大会の代表経験があってもFIFAが許可をすれば、新しい国籍での国の代表に入ることが出来るが、国家の分離独立などで新国籍が与えられた場合の他は、
- 従前の国の代表で出場した際にすでに二重国籍であること
- 21歳の誕生日までに変更の申請をすること
の場合のみに限定されており、当該規約の下でエメルソンが許可される可能性はなかった。
カタールは2006年ワールドカップ予選の際、ブラジル国籍で代表歴のないアイウトン、デデ、レアンドロにカタール国籍を与えて自国の代表にしようとしたことがあるが、FIFAは新たに国籍変更者であっても2年間以上の居住歴がない者は、代表になれないというルールを新設して阻止したことがある。
2007年6月、アジアカップにおけるカタール代表には選ばれず上記新ルールに基づくものであると報道された。
2008年3月4日、親善試合(インターナショナルAマッチ)のバーレーンとの試合にカタール代表として初出場。
2008年3月26日、2010年ワールドカップアジア3次予選のイラク戦にて10番、マルシオ・アルブケルケ(Marcio ALBUQUERQUE)として出場。 試合後、イラク協会はこの件についてFIFAに正式に上申したが、当初はFIFAからエメルソンのパスポート偽造を理由とする無期限の出場停止処分のみが発表された。
2008年6月17日、FIFAはエメルソンのU-20ブラジル代表歴のため、今後カタール代表でプレーする資格がないことを発表、とAFP通信が報道した。
FIFA規律委員会は同件についての調査を行い、‘カタールサッカー協会の決定に従って、当該選手はカタール代表としてのプレー資格がなく、カタール代表チームの今後の試合へは出場できない’ことを報告するとともに、同選手の資格問題についてカタールサッカー協会には非はないことを発表した。
2008年6月24日 AFC公式HPにより、FIFAはエメルソンのプレー資格についてのイラクサッカー協会の申し立てが、同様の抗議のために設定された締め切り(該当する試合の24時間以上前に書面で事務局に提出)に間に合わなかったため、同申立が正式採用されない旨を同協会に通達した、と発表された。
スタッド・レンヌ移籍
2007年8月25日、フランスのリーグ・アンに所属するスタッド・レンヌと3年契約を結び初の欧州移籍を果たした。しかしながらこの挑戦は6試合無得点という結果に終わり、半年でアル・サッドに復帰した。
カタールリーグ復帰と現在
2007-2008シーズンは復帰したアル・サッドの一員としてカタール・スターズリーグでプレーする。 そして前述の国籍問題からカタール代表の出場権を剥奪されると、カタールサッカー協会から経歴偽証の件を厳しく追及され、マスコミやファンからも「カタールから追放しろ!」と一斉にバッシングをうける。 2008-2009シーズン、形式上はアル・サッドに所属していたが、上記の理由によりクラブやレオン監督とも衝突し、次第に練習不参加となり、試合にも出場しない日々が続く。
2008年11月、エメルソン本人はクラブから10ヶ月分の給料が未払いな事を理由に契約解除と移籍における違約金(移籍金)の免除を勝ち取った、と日本のマスコミに述べた。アル・サッドとの本来の契約は2009年5月末までとなっている。 代理人は「フランス、ドイツ、日本の複数のクラブから獲得オファーが来ている」と述べており、本人はJリーグ(特に古巣の浦和レッドダイヤモンズ)復帰を熱望している。ちなみに鬼武健二Jリーグチェアマンは近年、中東で国籍取得(変更)した選手も「アジア枠」の対象になると認めている。
2009年3月、ブラジルのフラメンゴが公式サイトでエメルソンの獲得を発表。およそ10年ぶりのブラジル復帰が決定した。同時期にイタリアで問題児ぶりを発揮していたアドリアーノもフラメンゴに復帰している。
所属クラブ
- 1998年-1999年 サンパウロFC
- 2000年 コンサドーレ札幌(レンタル移籍)
- 2001年2月-2001年7月 川崎フロンターレ
- 2001年8月-2005年7月 浦和レッドダイヤモンズ
- 2005年7月-2007年8月 アル・サッド
- 2007年8月-2008年1月 スタッド・レンヌ
- 2008年1月-2009年3月 アル・サッド
- 2009年3月- 現在 フラメンゴ
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1998年 | サンパウロ | 3 | 0 | ||||||||
1999年 | サンパウロ | 8 | 2 | ||||||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2000年 | 札幌 | 9 | J2 | 34 | 31 | 1 | 0 | 0 | 0 | 35 | 31 |
2001年 | 川崎 | 9 | J2 | 18 | 19 | 1 | 1 | - | 19 | 20 | |
浦和 | 36 | J1 | 13 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 14 | 7 | |
2002年 | 浦和 | 10 | J1 | 24 | 15 | 6 | 6 | 0 | 0 | 30 | 21 |
2003年 | 浦和 | 10 | J1 | 25 | 18 | 9 | 8 | 0 | 0 | 34 | 26 |
2004年 | 浦和 | 10 | J1 | 26 | 27 | 6 | 4 | 0 | 0 | 32 | 31 |
2005年 | 浦和 | 10 | J1 | 12 | 4 | 5 | 5 | - | 17 | 9 | |
カタール | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2005-06 | アル・サッド | ||||||||||
2006-07 | アル・サッド | ||||||||||
フランス | リーグ戦 | F・リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
2007-08 | レンヌ | 25 | リーグ・アン | 3 | 0 | ||||||
カタール | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2007-08 | アル・サッド | ||||||||||
2008-09 | アル・サッド | ||||||||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2009年 | フラメンゴ | 11 | |||||||||
通算 | ブラジル | 11 | 2 | ||||||||
日本 | J1 | 100 | 71 | 27 | 23 | 0 | 0 | 127 | 94 | ||
日本 | J2 | 52 | 50 | 2 | 1 | 0 | 0 | 54 | 51 | ||
カタール | |||||||||||
フランス | リーグ・アン | 3 | 0 | ||||||||
総通算 |
個人タイトル
- 2000年 - J2得点王
- 2002年 - ベストイレブン、優秀選手賞、ナビスコ杯得点王
- 2003年 - JリーグMVP、ベストイレブン、優秀選手賞、ナビスコ杯得点王
- 2004年 - 得点王、ベストイレブン、優秀選手賞
- 2007年 - カタールリーグ最優秀選手
代表歴
外部リンク
- 【スター列伝】エメルソン
- おめでとう
- WEBサッカーマガジン
- 播戸竜二選手(ガンバ大阪) 公式HP
- 浦和レッズ公式HP
- ONLINE MAGAGINE 「REDS VOICE」
- ニュース
- アル・サード公式HP 登録選手(エメルソン)
- アル・サードに熱烈歓迎されるエメルソン夫妻画像
- エメルソン、アルサードに戻る!(年齢詐称逮捕後の動向)
- 「エメル丼」が大好評売り上げ1位!本人帰国中ですけど…(2005年07月09日)
- 元浦和エメルソン健在、カタールの開幕戦で2ゴール(2006年09月16日)
P60~61 VII. Eligibility to play for Association teams Article 15 Principle がFIFAの定める国籍と代表チーム資格に関する条項