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高崎線

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高崎線
高崎線普通列車の主力 E231系電車
高崎線普通列車の主力 E231系電車
高崎線普通列車の主力 E231系電車
高崎線の路線図
高崎線の路線図
路線総延長74.7 km
軌間1067 mm
電圧1500 V 架空電車線方式直流
最高速度110 km/h

高崎線(たかさきせん)は、埼玉県さいたま市大宮区大宮駅から群馬県高崎市高崎駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線幹線)である。

概要

大宮駅東北本線から分岐し、群馬県高崎までを結ぶ路線で、東京の近郊路線のひとつである。国道17号中山道)とほぼ並走し、一部区間を除き同じ市町村を経由している。

大宮以南は全列車が東北本線に乗り入れ、うち約7割の列車は同線の列車線の線路を走行して上野駅を始発・終着駅とする。また、その他約3割は貨物線を走行して田端(通過)から山手線池袋新宿渋谷)経由で東海道本線に乗り入れ、平塚駅国府津駅小田原駅を始発・終着駅とする。一般的に、前者を高崎線列車、後者を湘南新宿ライン(東海道線直通・高崎線直通)と称している。また高崎以北は2割程度が高崎から上越線へと乗り入れ、さらに新前橋駅から両毛線渋川駅から吾妻線(特急のみ)へ直通する列車もある。運転系統上は東北本線上を走る上野駅 - 大宮駅間も含めて「高崎線」と呼ばれることが多いが、「宇都宮線」と案内する場合もある[1]

かつては高崎駅以北へ向かう上越線信越線の特急・急行列車が通過していたが、現在は上越新幹線長野新幹線経由で運行されている。現在も、首都圏から東北北陸方面へ向かう夜行列車も運行されている。

路線名には高崎市や高崎駅の「高崎」を冠し、管轄は大宮駅構内を除きJR東日本高崎支社であるが、経路上の大部分(上尾熊谷深谷など)は埼玉県内であり、高崎線の南部では埼玉県と東京間の地域輸送に機能が偏重している。司令室は路線の9割弱にあたる神保原以南が東京総合司令室(東京支社管轄)であり、乗務員線区は高崎支社乗務員以外にも上野運転区上野車掌区が乗務している。

全線が東京近郊区間に含まれており、Suicaおよびこれと相互利用な各IC乗車カードがすべての駅で利用できる。旅客案内などに用いられるラインカラーは、首都圏地区の東海道線や宇都宮線と同様、普通列車の車体色の一部であるオレンジ)である。

路線データ

  • 管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)・日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者)
  • 区間(営業キロ):大宮 - 高崎 74.7km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:19(起終点駅を含む)
  • 複線区間:全線
  • 電化区間:全線(直流1500V)
  • 閉塞方式:(複線)自動閉塞式
  • 最高速度:110km/h
  • 運転指令所:東京総合指令室

大宮駅構内が大宮支社、それ以外はすべて高崎支社の管轄である。

沿線概況

大宮 - 熊谷

大宮を出ると大宮総合車両センターを挟んだ西側を東北新幹線上越新幹線ニューシャトルの高架が並走する。すぐに東北本線が東にカーブしながら分岐する。大宮駅起点の高崎線が直線で、一方の上野駅(東京駅)を起点とする本線である東北本線が分岐しているかのような構造になっているのは、日本鉄道が現在の高崎線に当たる路線を上野駅起点として建設し、第2期線として大宮駅から分岐して現在の東北本線が建設された歴史を示すものである(その後、上野駅 - 大宮駅間は東北本線と制定される。歴史を参照)。間もなく左手より、大宮駅地下ホームの川越線が地上に出て来て、並走しながら、鉄道博物館の東側を通過する。その後、すぐに新幹線・ニューシャトルおよび国道17号の高架が高崎線を跨いで東側に緩くカーブしながら離れていく。並走する川越線が西側に離れると程なく宮原駅に到着する。宮原駅を出ると区画された新興住宅地の中を北西に進んでいく。時折、田畑や林を垣間見ながらマンション群の中を進み上尾駅に到着する。

北上尾駅桶川駅と新興住宅地の中を進み、市街地が途切れ、宅地の合間に畑地を見ながら北本駅、複合商業施設エルミこうのすが見えて来ると鴻巣駅に着く。この辺りから田畑が目立つようになり、利根大堰から導水される武蔵水路を渡って北鴻巣駅を過ぎ、列車は元荒川沿いを北西に進み、緩く西にカーブして民家が増えて来ると吹上駅に着く。吹上駅を出ると元荒川を渡って右にカーブを切り、荒川の東側の田畑の中を荒川に沿うように並走して行田駅に着く。行田駅を出ると、蛇行していたかつて元荒川の旧流路[2]を2回渡り、熊谷市久下の田畑地帯を北西に疾走して秩父鉄道、次いで上越新幹線が東側から乗り越し、右側に現れた複合商業施設ニットーモールを通過すると、熊谷駅に着く。

熊谷 - 高崎

熊谷駅を出ると、上越新幹線の高架および秩父鉄道と暫く並走する。タイミングが合えば、秩父鉄道のSL列車「パレオエクスプレス」を間近で見ることができる。高崎線と秩父鉄道の間に存在する、使われていない線路は東武熊谷線跡である。その後、高崎線は北側にカーブを切って両線から分かれる。田園地帯をしばらく北東に進むと熊谷貨物ターミナル駅を過ぎる。貨物ターミナルでは、本線の下り線のみ、貨物ターミナルをオーバークロスして越えた後、貨物専用線秩父鉄道三ヶ尻線と並行し、程なく三ヶ尻線が分かれていき、分岐した側に回送線が延びて籠原駅に至る。籠原駅を出ると、高崎車両センター籠原派出所・籠原運輸区が広がり、多くの列車が待機している。しばらく、住宅街と工業地の合間を抜けて唐沢川を渡り深谷駅に着く。深谷市東京駅に使われたレンガを製造した地で、それにちなみ、現在の深谷駅舎は東京駅をモチーフにしたデザインとなっている。

深谷市街地を抜けて、再び畑地の中を進んでしばらく行くと岡部駅に着く。田園地帯の中に埼玉工業大学キャンパスが建つのを見ることができる。田畑の中を西北西に進み、藤治川志戸川小山川女堀川を次々と渡って宅地に入ると間もなく本庄駅に着く。住宅地に次いで工場地を抜けると神保原駅を過ぎ、田圃の中を走って神流川を渡り群馬県に入る。宅地に入ると間もなく新町駅に着く。工場地を過ぎて温井川を渡り、宅地と畑地を見ながら進むと南側から八高線が接近し合流する。合流地点には八高線側に北藤岡駅があるが、高崎線にホームはない(ただし、鶴見線武蔵白石駅と同じで高崎線側も場内信号機、出発信号機があるため、高崎線乗務員の乗務用時刻表の駅名欄に記載されている)。その後、すぐに右にカーブを切り烏川を渡ると、今度は左にカーブを切り、高崎東部工業団地を抜けると倉賀野駅に着く。倉賀野駅を出て国道17号をくぐり、高崎機関区を過ぎて右にカーブすると程なく高崎駅に着く。

歴史

日本初の私鉄である日本鉄道の第1期線として、1883年明治16年)に上野 - 熊谷間で仮営業を開始したのが始まりである。立案当初、上野 - 高崎間の路線には、王子 - 赤羽 - 大宮 - 鴻巣 - 熊谷 - 高崎という英国人技師ボイルの案と、千住 - 岩槻 - 忍 - 熊谷 - 高崎という米国人技師クロフォードの案の二案があった。当時の鉄道局長官井上勝がボイル案を採用し、現在の路線が建設された[3]。開業時の開設駅は上野、王子、浦和、上尾、鴻巣、熊谷で現在は中距離列車の停車しない王子も含まれている。翌1884年(明治17年)には高崎、前橋まで延長され、全通した。高崎まで開通した同年6月25日には、明治天皇臨席のもと上野駅で開通式が行われ、この際に明治天皇は上野 - 高崎間を往復乗車した[4]

現在も上野を列車運行上の起点とし、さらに現在では別路線の両毛線の駅となっている前橋への直通列車も設定されているのは、当時の終着駅が前橋であることに由来する。ただし、この時の前橋駅は利根川の西岸、現在の新前橋駅付近にあった。この駅は、地元で内藤分停車場あるいは内藤ステーションと呼ばれていた(詳しくは前橋駅及び両毛線の項を参照)。小山から両毛鉄道が西進し、現在の前橋駅まで開業すると同時に、日本鉄道も利根川を渡る線路を敷設して現在の前橋駅まで延伸開業し、旧前橋駅は廃止された。その後、新前橋駅は1921年大正10年)の上越南線開業で分岐駅として開業している。

なお、同社初の路線として、日本初の官営ではない民営鉄道として、この路線が開業した背景には、当時の日本の貿易赤字解消の外貨獲得と殖産興業として当時の一大輸出品目であった生糸や絹織物を、養蚕業製糸業の盛んな群馬県から貿易港の横浜まで製品を運ぶ手段が必要とされたことにある。また、同線が当時東西の両京を結ぶ主要鉄道と位置付けられた中山道鉄道(後に両京を結ぶ鉄道の岐阜以東は東海道経由へと変更された)の第1区を形成する計画でもあった。しかし、政府財政の窮乏のために建設が遅れ、株式会社である日本鉄道が代わって建設したのである[4]

第2期線である東北本線を分岐するため大宮駅が開設されたのは、さらにその翌年の1885年(明治18年)のことである。

1906年(明治39年)には、日本鉄道が鉄道国有法により買収・国有化され、本路線も官設鉄道に編入された。大宮 - 高崎間が高崎線として分離されたのは、3年後の1909年(明治42年)の国有鉄道線路名称設定時である。

なお、当初は上越線の開通後に上越線・高崎線を合わせて「上越本線」とする構想もあったが(そのため、上越線のキロポストは高崎線から連続している)、上越線全通前は先に開通していた長野経由で新潟県へと至る信越本線が高崎線と一体化した運行形態をとっており、上越線全通後もそちらへ直通する列車が多く設定されていたことや、列車運行上・案内上は一切意識されていないものの、前述の国有鉄道線路名称設定の名残で高崎線は「東北本線の支線」と定義されていたため、結局改称されずに現在に至っている。上越本線とする構想があったとする出典、及び改称されなかった理由についての出典を示してください。[要出典]

東北新幹線建設の際、地元住民への見返りとして建設された通勤新線(現在の埼京線が走る路線であり、東北本線の枝線:赤羽駅 - 武蔵浦和駅 - 大宮駅)は、宮原から高崎線へ乗り入れる計画があり、一部工事も行われたが、埼京線の車両基地候補であった戸田市周辺の用地買収が難航、そのため当初の乗入予定の高崎線沿線に車両基地を設置できるかを検討したものの断念。急遽川越線を電化することで沿線に川越電車区(現・川越車両センター)を設置し、埼京線を乗り入れさせることになったため、この計画は中止された。しかし、大宮 - 宮原間に取得した乗り入れのための複々線化用地は、一部を除いてJR化後の現在も維持されている。また、上尾市さいたま市との合併協議(その後、合併協議は中止)の際、これを利用した埼京線もしくは京浜東北線の上尾延伸を見返りとして要求していた。

路線の沿革

  • 1883年明治16年)7月28日 【開業】日本鉄道 上野 - 熊谷 【駅新設】上野、王子、浦和、上尾、鴻巣、熊谷
  • 1883年(明治16年)10月21日 【延伸開業】熊谷 - 本庄 【駅新設】深谷、本庄
  • 1883年(明治16年)12月27日 【延伸開業】本庄 - 新町 【駅新設】新町
  • 1884年(明治17年)5月1日 【延伸開業】新町 - 高崎 【駅新設】高崎
  • 1884年(明治17年)8月20日 【延伸開業・全通】高崎 - 前橋 【駅新設】前橋
  • 1885年(明治18年)3月1日 【駅新設】赤羽、桶川、吹上
  • 1885年(明治18年)3月16日 【駅新設】大宮
  • 1889年11月 両毛鉄道、前橋まで開業。両毛鉄道に接続するため、前橋駅を移設
  • 1894年(明治27年)5月1日 【駅新設】倉賀野
  • 1897年(明治30年)11月15日 【駅新設】神保原
  • 1906年(明治39年)11月1日 【買収・国有化】日本鉄道 → 官設鉄道
  • 1908年(明治41年)5月1日 【信号所新設】加茂宮
  • 1909年(明治42年)10月12日 【国有鉄道線路名称設定】高崎線 大宮 - 高崎(この区間を分離。上野 - 大宮間は東北本線、高崎 - 前橋間は両毛線に編入)
  • 1909年(明治42年)12月16日 【駅新設】籠原、岡部
  • 1918年大正7年)8月16日 【信号所新設】本宿
  • 1922年(大正11年)4月1日 【信号所 → 信号場】加茂宮、本宿
  • 1927年昭和2年)8月9日 【複線化】加茂宮(信) - 上尾
  • 1927年(昭和2年)10月15日 【複線化】上尾 - 桶川
  • 1927年(昭和2年)11月20日 【複線化】大宮 - 加茂宮(信)
  • 1928年(昭和3年)2月1日 【複線化】桶川 - 本宿(信)
  • 1928年(昭和3年)3月30日 【複線化】鴻巣 - 吹上
  • 1928年(昭和3年)5月1日 【複線化】倉賀野 - 高崎
  • 1928年(昭和3年)6月1日 【複線化】本宿(信) - 鴻巣
  • 1928年(昭和3年)7月1日 【複線化】吹上 - 熊谷
  • 1928年(昭和3年)8月1日 【信号所 → 駅・改称】本宿 → 北本宿
  • 1928年(昭和3年)12月26日 【複線化】深谷 - 岡部
  • 1929年(昭和4年)5月1日 【複線化】熊谷 - 籠原
  • 1929年(昭和4年)7月10日 【複線化】籠原 - 深谷
  • 1929年(昭和4年)8月6日 【複線化】本庄 - 神保原
  • 1930年(昭和5年)5月16日 【複線化】神保原 - 新町
  • 1930年(昭和5年)6月12日 【複線化】岡部 - 本庄
  • 1930年(昭和5年)10月15日 【仮信号所新設】小野(八高北線の分岐点)
  • 1930年(昭和5年)10月16日 【複線化】新町 - 倉賀野
  • 1931年(昭和6年)7月1日 【仮信号所 → 信号場】小野
  • 1943年(昭和18年)10月1日 【操車場新設】高崎
  • 1947年(昭和22年)1月22日 【信号場廃止】加茂宮
  • 1947年(昭和22年)4月1日 【電化】高崎(操) - 高崎( - 水上)
  • 1948年(昭和23年)7月15日 【駅新設】宮原(旧加茂宮信号場の位置)
  • 1952年(昭和27年)4月1日 【電化】大宮 - 高崎(操)
  • 1961年(昭和36年)2月21日 【信号場廃止】小野(八高線北藤岡駅構内に併合)
  • 1961年(昭和36年)3月20日 【駅名改称】北本宿 → 北本
  • 1966年(昭和41年)7月1日 【駅新設】行田
  • 1979年(昭和54年)10月1日 【駅新設】(貨)熊谷貨物ターミナル
  • 1982年(昭和57年)11月15日 上越新幹線開業
  • 1984年(昭和59年)11月3日 【駅新設】北鴻巣
  • 1987年(昭和62年)4月1日 【承継】東日本旅客鉄道(第1種)・日本貨物鉄道(第2種)
  • 1988年(昭和63年)12月17日 【駅新設】北上尾
  • 1997年平成9年)10月1日 長野新幹線開業
  • 2000年(平成12年)4月1日 【駅新設】さいたま新都心
  • 2001年(平成13年)9月1日 E231系の高崎線での営業運転開始
  • 2001年(平成13年)12月1日 湘南新宿ラインとして一部列車が東海道線直通運転開始
  • 2004年(平成16年)6月1日 高崎運転所を高崎車両センターへ改組
  • 2004年(平成16年)12月19日 大宮 - 神保原間に東京圏輸送管理システム(ATOS)導入
  • 2005年(平成17年)12月10日 新前橋電車区検修部門を高崎車両センターと統合。乗務員区を高崎運輸区・新前橋運輸区に改組

優等列車の沿革

以下各項目に分散して記述

運行形態

広域輸送

現在では高崎線特急は中距離のものが中心となる

かつては、上越線の「とき」や信越本線の「あさま」に加え、羽越本線系統の「いなほ」や北陸本線系統の「白山」「はくたか」といった多数の特急列車が運転されており(これらのほかに比較的運転日の多い季節・臨時特急として、中軽井沢行きの「そよかぜ」、万座・鹿沢口行きの「白根」、スキー臨時列車で石打行きの「新雪」が存在した)、当線を含めた上野 - 新潟間のルートでは最高速度120km/hでの運転が行われていたが、1982年11月15日上越新幹線1997年10月1日北陸新幹線長野新幹線)の開業により、広域輸送を両新幹線に譲り、新幹線の恩恵を受けにくい上越線水上方面や吾妻線両毛線方面への中距離特急が運転されるのみとなった。他の首都圏近郊路線、たとえば新幹線の建設計画のない常磐線中央本線総武本線の各方面、東北新幹線の建設で在来線特急がほぼ消滅した宇都宮線方面に比較すると、新幹線に加え毎日下り9本上り7本の在来線特急が選択肢のひとつとして残されているのは非常に恵まれた環境にあると言えるが、一部を除いて高崎線特急の利用率は非常に低く、近年ではサービス品質の高い普通列車グリーン車に乗客を奪われますます利用率が低迷し空気輸送との揶揄も聞こえる。

夜行列車としては、上越線経由で青森方面へ運転される寝台特急「あけぼの」、北陸方面へ運転される寝台特急「北陸」、座席急行「能登」が高崎線を経由する。このうち急行「能登」は全国に残された数少ない急行列車であり、座席車のみで運転されているため急行料金のみで利用でき、高崎線における利用者の選択肢の幅を広げている。

首都圏と日本海側諸都市を結ぶ貨物列車も設定されている。

  • 昼行列車
  • 夜行列車
    • 寝台特急「あけぼの」 - 上野 - 青森
    • 寝台特急「北陸」 - 上野 - 金沢
    • 急行「能登」 - 上野 - 金沢

臨時列車

高崎線で、毎年一定時期に定期的に運転される臨時列車として、以下のものが挙げられる。

地域輸送

15両編成で運転される高崎線列車(E231系)

すべての列車が大宮駅で東北本線に乗り入れる。本来のターミナルは上野駅であったが、東北貨物線山手貨物線を活用して池袋駅新宿駅へ乗り入れるようになった。2001年12月1日からは「湘南新宿ライン」として東海道本線への相互直通運転を開始し、2004年10月16日のダイヤ改正時に池袋・新宿発着の列車は廃止され、すべて東海道本線からの直通列車(平塚、国府津、小田原、繁忙期の土日は熱海発着もあり)に置き換えられた。

列車はグリーン車2両を連結した15両または10両の編成である。高崎側の発着駅としては主に籠原と高崎で折り返す。列車によっては、高崎駅を経由して上越線新前橋駅両毛線前橋駅まで直通するものもある。なお1本のみ夜間に深谷行きが存在する。普通列車のほか、上野発着のホームライナー、快速「アーバン」及び通勤快速、湘南新宿ラインの快速・特別快速が運転される。

普通列車の運行体系は1990年代後半以降、大きく変わっている。長野新幹線開業により在来線の特急「あさま」が廃止された1997年10月以降は特急待避の削減により所要時間が短縮され、その結果熊谷以北の利用客が増加し、この改正を境に同区間の4 - 5両編成での運用が削減された。2004年10月16日改正からは普通・快速列車へのグリーン車の連結が開始され、その改正からは籠原以南では湘南新宿ラインを中心に15両編成で運行される列車が増加、籠原以北では全列車が10両編成で運行されている。なお、籠原以北では下りホームの有効長が15両である深谷駅始終着列車を除き、ホームの有効長が最大で14両となっているため、15両編成での運転ができない状況にある。グリーン車は、当初は8割の上野発着の列車並びにすべての湘南新宿ライン列車に順次連結する予定であったが、利用が好調なことから2006年7月8日のダイヤ改正でE231系電車が追加投入され、現在では211系を含むすべての普通・快速列車がグリーン車連結編成で運転されている。2005年までは優等列車退避など、長時間停車時に保温のために行なう半自動ドア扱いは主に冬期(11月15日 - 翌年3月31日)のみの実施であったが、2006年からは夏期(7月8日 - 9月30日)にもに実施されるようになり、2007年7月1日からは通年化された。

2013年度(当初2009年度末としていたが遅れている)には、東北縦貫線計画が完了し上野発着列車の東京駅方面乗り入れが開始される予定である。

首都圏の主な鉄道では、主な路線で大晦日から元日にかけて終夜運転が実施されているが、高崎線では2006 - 2007年以降、『終夜臨時列車』が消滅している。

なお、当線には他に並走し代替となる競合路線がないため、路線住民からは他路線に比べてダイヤ上や料金面でのサービスが悪いと指摘され、埼玉県議会の質問で取り上げられることもあった。特に料金面において電車特定区間に全区間指定されておらず、神奈川(東海道・横須賀線)・千葉(総武・京葉線)方面に比べ運賃が比較的高めであることから、埼玉県内の適用範囲を拡げるよう上田清司埼玉県知事が抗議しているが、変更される見込みはない。また、不通時にも代替路線が存在しないため長時間放置される傾向がある。振替輸送に上越新幹線が利用できる場合もあるが、きわめて稀である。最近では埼玉新都市交通ニューシャトルの振り替え輸送も見られる。ちなみに高崎線は大宮以北の駅は北上尾駅北鴻巣駅行田駅等を除いたほぼすべての駅に退避設備があるため人身事故等が発生した時に駅間で運転再開まで停車する事は少ない。(近くの駅まで運転する)優等種別が通常、通過する駅に停車する際はドアを開けることもある(特急では少ない)ほとんどの場合人身事故等で1時間ほどの遅れが出ている場合は快速アーバン、特別快速、通勤快速は普通列車として運転する場合が多い。稀に大宮~鴻巣間を普通として走り鴻巣~熊谷を快速として走る場合もある。 また、宮原 - 行田、及び籠原 - 岡部、神保原 - 倉賀野間で不通になった場合、一部で並行するバス路線はあるものの、便数が極端に少なかったり、路線そのものが廃止されてしまっているので移動手段が無くなる場合がある。 一部駅ではタクシーの台数も少ないかほとんど止まっていないため、陸の孤島状況になる場面もある。特に、京浜東北線不通時には高崎線・宇都宮線も不通となる事態が多いことと、高崎線沿線では大宮まで移動しないと他の移動手段を利用することが難しい事情があり、長距離移動者の中には自分の参加するツアーの料金を払い戻すように駅員に要求する乗客も多く見受けられるが、JRの約款では払戻は不可能である。宮原駅では川越線日進駅に徒歩で行ける距離にあることから、相互に振り替え輸送の対象になっている(両駅間に直通の路線バスの運行はない)。


列車種別

各種別の現行の停車駅は駅一覧を参照されたい。

ホームライナー鴻巣
489系を使用した「ホームライナー鴻巣」

1984年運行開始の大宮行の「ホームライナー大宮」を延長する形で1988年7月6日運行開始。運行区間は上野から鴻巣までで、平日夜間に下りのみ4本運転。上野以外では乗車することができない。座席定員制であり、乗車するにはライナー券(¥500)が必要である。グリーン車も連結されているが、当列車では普通車扱いとなっており、ライナー券のみで着席できる。

原則として1・5号はJR東日本大宮総合車両センター185系(7両編成)、3号はJR西日本金沢総合車両所489系(9両編成)、7号はJR東日本田町車両センターの185系(7両編成)で運行される。3号の489系は急行能登」の間合い運用であるため、「能登」の上り列車が運休になった場合など、489系で運行できないときは別の車両で運行されることもある。

速達性よりも着席サービスの提供のための列車であり、3・5・7号は終点まで普通列車を1本も追い抜かない。

なお急行能登」は10年近く廃止が噂されており、廃止された場合ホームライナー鴻巣3号とホームライナー古河3号は廃止または別の車両での運行となることが予想される。

快速アーバン
「快速アーバン 上野行」の側面方向幕(211系)

1989年3月11日より運行開始。平日は朝下り2本のみの運転である。土休日は朝の下り2本に加え、通勤快速の代替として夕方以降に毎時1本が運転されている。

2009年3月14日改正時点では、平日に上野発下り朝8・9時台、土休日は下り7本(うち午前の2本と上野発21時台1本が高崎、それ以外は前橋終点)と上り5本が運転されている。このうち、毎日運行の朝の下り2本と土休日夜の最後の2往復(上野21・22時台発と高崎19・20時台発)に関しては籠原以南15両で運転され、それ以外の列車は全区間10両で運転されている。

毎日運行の下り2本に関しては鴻巣で先を走る湘南新宿ラインからの普通列車に接続する。土休日夕方以降の列車に関しては接続状況が列車ごとに異なっており、下りは上尾・桶川・鴻巣のいずれかで先を走る普通列車に接続するが、上野発19時台は接続はない。

かつては日中を中心に、おおむね毎時1本運転されていた。長野新幹線開通の1997年10月1日改正までは熊谷以北も通過運転し、深谷・本庄・新町・高崎・新前橋・前橋に停車していた。ただし、通過駅である籠原止まりの列車が存在したほか、土休日ダイヤで熊谷以北各駅停車の列車も存在した。2004年10月16日改正までは、池袋発着(浦和通過)も設定されていたほか、上野発着の一部列車と池袋発着(土休日の1本除く)は北本にも停車していた。2004年10月16日改正で日中のアーバンは全て湘南新宿ラインの「特別快速」にシフトしたため廃止され(特別快速は高崎線内の停車駅がアーバン(北本停車)と同じく、東海道本線内は現在の快速アクティーと同じ)、2009年3月14日のダイヤ改正で平日夕方の快速アーバンの運転がなくなった。

また、長野新幹線開通以前には朝ラッシュ時の上りに高崎・深谷間で新町と本庄のみに停車し、深谷から各駅に停車する池袋行の列車が存在した。この列車は、設定当初は「通過駅のある普通列車」という扱いであったが、1994年のダイヤ改正以降1997年の設定消滅までは快速列車として扱われるようになった。使用車両である211系の側面方向指示器にも「快速/前橋(高崎)-籠原」の幕が用意され使用されていたが、湘南新宿ラインの開業に伴う記載内容の一新により現在は存在しない。

新宿駅改良工事などの大規模工事で湘南新宿ラインの運行ができない場合、湘南新宿ラインの「特別快速」は上野発着の「快速」として運転される(停車駅は快速アーバンの停車駅と北本)。この場合、「アーバン」の愛称はつかない。

通勤快速

1988年3月13日国鉄分割民営化後、JRとして初のダイヤ改正にて)に「タウン」の名称で運行を開始し、それが1991年3月16日から「通勤快速」へ名称変更された。平日夕方以降に毎時1本運転される。なお、土休日は代替として快速アーバンが運転される。

この通勤快速は、夕方以降のみの運転のため、上り列車では比較的混雑率は低く、下り列車では混雑度はかなり高いが、籠原での増解結を行わず、上野 - 籠原間においても10両編成(基本編成)で運転し、上野 - 浦和間で尾久を含め各駅に停車する一方で利用者の多い上尾・桶川を通過している。これは、上野から高崎方面への所要時間を短縮し、乗客の遠近分離を目的としているからである。ただし、2004年10月16日改正より下りの最後の2本(上野駅21・22時台発)は上野 - 籠原間で15両編成に輸送力を増強した上で上尾と桶川にも停車している。また、上りの最後の2本(高崎19・20時台発)も籠原以南は15両編成で運転されている。

下り列車は上野発20時台までは上尾で先を走る湘南新宿ラインを追い越し、鴻巣で先を走る普通列車に接続する。また、上野発22時台は桶川で先を走る普通列車と接続する。

湘南新宿ライン特別快速

2004年10月16日運行開始。日中に毎時1本運転される。日中のアーバンを引き継いだ形式をとっている。この特別快速は、直通先の東海道線内も同線の快速「アクティー」と同じ駅に停車する。全列車高崎発着であり前橋までの運転はない。なお、日中の湘南新宿ライン快速は、籠原までの運転のため、深谷以北の各駅の湘南新宿ラインはこの種別のみとなる。

特別快速の運転開始以前から、横須賀線列車と線路を共用する区間では大崎 - 戸塚間のみ快速運転をし、高崎線内と東海道線戸塚以西は各駅に停車(一部高崎線内快速運転)する快速列車(後述)が運転されていた。その上位列車として『特別快速』という種別が設定された。

特別快速は、北行の1本目が平塚始発である以外は小田原 - 新宿 - 高崎で運行されるが、祝日や長期休暇を中心に2往復が熱海 - 小田原間を延長運転することがある。また、2008年12月 - 2009年1月の土休日・年末年始には臨時列車として国府津行きの特別快速が設定された。

土休日の一部列車を除き北行(下り)は鴻巣で、南行(上り)は桶川で、それぞれ先を走る上野発着の普通列車に接続する。

平日の2往復を除き籠原以南は15両で運転される。

湘南新宿ライン快速

2001年12月1日の湘南新宿ライン開業に合わせて運行開始。終日運転される。実際に快速運転するのは大崎 - 横浜 - 戸塚間(横須賀線と線路を共用する区間)のみで、高崎線内と大船以西の東海道線内は各駅停車。山手線内(北行)および高崎線内では「普通」と案内される。この種別は日中は籠原 - 平塚(一部国府津)の運行で毎時1本が運転される。朝や夕方以降は高崎・小田原発着も運転され、毎時2 - 3本が設定されている。また、朝の南行と平日夜の北行には両毛線前橋発着が設定されているほか、平日朝には深谷始発も設定されている。2004年10月16日のダイヤ改正までは高崎線内でも快速運転する快速(高崎線内の停車駅は現在の特別快速と同じ。東海道線内は各駅停車)も存在した。

朝の北行1本と夜間の南行1本を除き籠原以南は15両で運転される(深谷始発は深谷から15両で運転される)。

普通

東北本線区間(上野 - 大宮間)の列車線上にホームのある全ての駅と、高崎線内の各駅に停車する。日中は概ね毎時4本が設定されており、このうち1 - 2本は籠原発着となる。列車線を走行する他の列車と同様、上野 - 大宮間の東北本線区間においては宇都宮線と同様に京浜東北線に対する快速列車的な役割も担っている。高崎・籠原発着、さらには上越線直通の新前橋発着・両毛線直通の前橋発着がある。このほか、鴻巣始発(平日朝の上り1本)や深谷発着(朝の上り1本と夜の下り1本)も運転されている。また、上野発着の下り初電前・上り終電後には籠原 - 前橋間の列車も設定されている。

かつて、2004年10月16日改正までは東北貨物線を経由する池袋・新宿発着の列車(浦和・さいたま新都心通過)が、2005年12月10日改正までは大宮 - 籠原間のみを運転する列車が、2007年3月18日改正までは本庄終着の列車がそれぞれ存在したが、いずれも運転区間の延長で消滅した。また、2000年頃までは上越線の渋川着や井野駅を通過する普通列車(下り新前橋行き最終)が、2004年10月16日の改正までは信越本線横川発着、両毛線の桐生伊勢崎発の列車も設定されていた。

使用車両

優等列車用

普通・快速列車用

グリーン車を連結して運転される211系

普通・快速列車用車両は宇都宮線や東海道線と共通で、通称「湘南色」とも呼ばれるオレンジ色と緑色()の帯を巻いた車両が運用されている。

2006年7月8日改正以降、上野駅発着の列車および湘南新宿ラインの列車にはすべてグリーン車が連結され、それに伴って東海道線と同様の基本編成10両・付属編成5両の構成で運転されるようになった。

現行車両の編成
←上野・新宿 高崎・前橋→
基本編成 付属編成
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15
  • 数字は号車番号を表す。
  • 4・5号車はグリーン車
  • 普通列車・快速アーバン通勤快速上野駅 - 高崎駅前橋駅
    • 211系 - 高崎車両センター(髙タカ)所属(3ドア車)
      • 基本編成(C編成)はグリーン車が4・5号車に2両連結されており(半数以上が平屋建て+2階建て)、普通車はロングシートとなっている。なお、基本編成と付属編成(A編成:ロングシート車、B編成:セミクロスシート車)の間の貫通路は閉鎖されており、行き来することができない(C編成は組成当初はA編成の編成札も掲出していた)。かつてはこのタイプの車両が上野発着の高崎線で一番多く運行されていた。
      • 2006年7月改正までは5両単位で編成が組まれていて、これを複数連結することで10両または15両編成として運用され、基本編成・付属編成の区別はなかった。貫通路は増結後開放され、各編成間を行き来できるようになっていた。2005年からはA編成を組み直し、4・5号車に東海道線の211系や113系から余剰となったグリーン車2両を連結し、10両の基本編成に固定する作業が順次行われた。
      • A編成とB編成は2006年7月8日改正以降は付属編成として運行されており、籠原 - 高崎では深谷発着の1往復を除き回送列車のみで乗り入れる。
      • グリーン車連結作業後は、デジタル無線対応工事を順次行っている(グリーン車脇のMc車は除外)
    • E231系 - 小山車両センター(宮ヤマ)・国府津車両センター(横コツ)所属(4ドア車)- 詳細はE231系近郊タイプ(1000番台)も参照。
      • 2004年10月16日のダイヤ改正で小山車の付属編成の運用が消滅し、籠原以南で15両編成で運用する場合は基本編成の所属先に関わらず国府津車の付属編成を連結していたが、2006年7月8日改正で車両運用数が増えたことから小山車の付属編成の運用が復活した。
      • 2006年7月8日のダイヤ改正前日までは高崎車両センターの211系だった運用が小山車両センターのE231系車両に置き換えられる形で高崎線内の小山車両センター所属車両運用が増えたため、現在の高崎線内運用数は小山車両センター車>高崎車両センター車>国府津車両センター車となった。また、かつては小山車付属編成を2本連結した10両の運用もあったが、2004年10月16日改正で消滅した。
      • 小山車の基本編成は当初グリーン車は組み込まれていなかったが、2004年7月から4・5号車にグリーン車2両を組み込む作業が順次行われた。グリーン車を組み込んだ編成は2004年7月8日から普通車扱いで高崎線での運用を開始した。その後、2004年10月16日改正で高崎線の小山車基本編成の運用は一時的にグリーン車非組み込み編成の運用に統一されたが、組み込み編成が増えたことから2005年3月10日よりグリーン車組み込み編成の乗り入れが再開され、同3月末までに高崎線に乗り入れてくる小山車基本編成はすべてグリーン車連結編成に統一された。
      • 国府津車の上野口運用は湘南新宿ライン運用の間合いに使用されるため少数であり、基本編成の単独運用が2往復(早朝の下り2本・深夜の上り2本)と小山車基本編成+国府津車付属編成運用が平日3往復(朝の1往復と夕方以降の2往復)・土休日1往復(夜間の上り快速アーバンと折り返しの下り普通列車)となっている。2004年10月16日のダイヤ改正で国府津車基本編成+国府津車付属編成の15両で上野口運用に使用される運用も設定されたが、2006年7月8日改正で小山車基本編成+小山車付属編成に変更された[5]
  • 湘南新宿ライン快速特別快速前橋駅高崎駅 - 新宿駅 - 小田原駅東海道線直通))
    • E231系 - 国府津車両センター(横コツ)所属(4ドア車)
      • すべての基本編成にグリーン車が4・5号車に2両連結されている[5]

過去の使用車両

ホームライナー用

運用によって変化する。

駅一覧

  • 運転系統上の始発駅である上野駅(東北本線)からの区間を記載する。
  • 普通列車は下表の全旅客駅に停車する。特急・急行列車および臨時快速「ムーンライトえちご」の停車駅については各列車記事を参照。
  • 上野駅 - 大宮駅間の接続路線のうち、東日本旅客鉄道の路線名は、旅客列車の運転系統上の名称である。
  • 東京駅からの営業キロは、表記の上野からの営業キロに3.6キロを加算する。
  • 日暮里駅(高崎線は通過するが分岐駅である)以遠(上野駅・常磐線北千住駅方面)と赤羽駅以遠(大宮駅方面)の区間を乗車する場合は、京浜東北線王子駅経由の営業キロで計算し、表記の「上野から尾久経由」の営業キロから0.2キロを差し引く。
凡例
(貨):貨物専用駅、◆・◇:貨物取扱駅(貨物専用駅を除く。◇は定期貨物列車の発着なし)
特定都区市内[区]:東京都区内、[山]東京山手線内
停車駅 … ●・■:全列車停車(■は東北貨物線上のホームに停車)、▲:一部の列車が停車、|:全列車通過
正式路線名 駅名 駅間営業キロ 累計
営業キロ
(尾久経由)
快速ア丨バン 通勤快速 ホ丨ムライナ丨 湘南
新宿
ライン
接続路線 開業日 休止・廃止日 所在地
上野から 大宮から 快速 特別快速
東北本線 [区][山] 上野駅 - 0.0 26.9 新宿
横浜
方面
東海
道線

直通
東日本旅客鉄道東北新幹線山形新幹線秋田新幹線上越新幹線北陸新幹線長野新幹線)・山手線京浜東北線常磐線常磐線(快速)
東京地下鉄:銀座線銀座線 (G-16)・日比谷線日比谷線 (H-17)
京成電鉄:本線京成上野駅)(連絡運輸なし)
1883年7月28日  - 東京都 台東区
[区] 尾久駅 4.8 4.8 22.1   1929年6月20日  - 北区
[区] 赤羽駅 5.0 9.8 17.1 東日本旅客鉄道:京浜東北線・埼京線・湘南新宿ライン 1885年3月1日 1928年10月24日(移設)
浦和駅 11.0 20.8 6.1 東日本旅客鉄道:京浜東北線 1883年7月28日  - 埼玉県 さいたま市 浦和区
さいたま新都心駅 4.5 25.3 1.6 東日本旅客鉄道:京浜東北線 2000年4月1日  - 大宮区
大宮駅 1.6 26.9 0.0 東日本旅客鉄道:東北新幹線・山形新幹線・秋田新幹線・上越新幹線・北陸新幹線(長野新幹線)・京浜東北線・埼京線・川越線東北本線宇都宮線 小山方面)・東北貨物線[* 1]
東武鉄道:野田線
埼玉新都市交通:伊奈線
1885年3月10日  -
高崎線
加茂宮信号所 (4.0) (30.9) (4.0)   1908年5月1日 1947年1月22日 北区
宮原駅 4.0 30.9 4.0   1948年7月15日  -
上尾駅 4.2 35.1 8.2   1883年7月28日  - 上尾市
北上尾駅 1.7 36.8 9.9   1988年12月17日  -
桶川駅 1.9 38.7 11.8   1885年3月1日  - 桶川市
北本駅 4.6 43.3 16.4  ※開業時「本宿信号所」駅開業時「北本宿駅」 1883年7月28日(信号所)
1883年7月28日(駅)
1883年7月28日(改称)
  北本市
鴻巣駅 3.6 46.9 20.0   1883年7月28日   - 鴻巣市
北鴻巣駅 4.3 51.2 24.3     1984年11月3日   -
吹上駅 3.0 54.2 27.3     1885年3月1日   -
行田駅 2.3 56.5 29.6     1966年7月1日   - 行田市
熊谷駅 4.8 61.3 34.4   東日本旅客鉄道:上越新幹線・北陸新幹線(長野新幹線)
秩父鉄道秩父本線
1883年7月28日   - 熊谷市
(貨)熊谷貨物ターミナル駅 4.9 66.2 39.3   秩父鉄道:三ヶ尻線(貨物線) 1979年10月1日   -
籠原駅 1.7 67.9 41.0     1906年12月16日   -
深谷駅 4.8 72.7 45.8     1883年10月21日   - 深谷市
岡部駅 4.3 77.0 50.1     1909年12月16日   -
本庄駅 5.6 82.6 55.7     1883年10月21日   - 本庄市
神保原駅 4.0 86.6 59.7     1897年11月15日   - 児玉郡
上里町
新町駅 4.5 91.1 64.2     1883年12月27日   - 群馬県
高崎市
小野信号所 2.6 93.7 66.8     1930年10月15日(仮信号所)
1931年7月1日(信号所)
1961年2月21日
倉賀野駅 3.5 97.2 70.3   東日本旅客鉄道:八高線[* 2] 1894年5月1日   -
烏川駅 (*.*) (*.*) (*.*)    ※廃止理由は橋梁流出のため 1884年9月23日
1885年7月14日(復活)
1886年2月10日(復活)
1884年10月14日(廃止)
1885年8月4日(廃止)
1886年2月19日(廃止)
(貨)高崎操車場 1.9 99.1 72.2     1943年10月1日   -
高崎駅 2.5 101.6 74.7   東日本旅客鉄道:上越新幹線・北陸新幹線(長野新幹線)・上越線(直通あり)・両毛線[* 3]吾妻線[* 3]信越本線
上信電鉄上信線
1884年5月1日   -
直通運転区間 上越線新前橋駅・両毛線前橋駅まで
  • 新町 - 倉賀野間で藤岡市を通り、同市内の八高線との実際の合流地点には北藤岡駅が存在するが、高崎線のホームはない。
  1. ^ 東北貨物線は赤羽駅 - 大宮駅間で旅客線と併走
  2. ^ 八高線は全列車が高崎駅乗り入れ
  3. ^ a b 両毛線の正式な終点は上越線新前橋駅、吾妻線の正式な起点は上越線渋川駅だが、運転系統上は両線とも高崎駅を発着する

過去の接続路線

新駅構想

以下の新駅建設の話が以前より出ているが、いずれも具体的計画には至っていない。 なお、新駅設置は現在すべてが請願駅であり、100%地元自治体負担でJR東日本は負担しない。新駅設置は各自治体が財政難もあり消極的というのが実情である。

名称未定(大宮駅 - 宮原駅間)
川越線との乗り換え駅になる想定。さいたま市がJR東日本に要請を行っている。なお、同じ大宮駅 - 宮原駅間では2007年10月14日鉄道博物館が開館したが、最寄り駅の鉄道博物館駅を運営する埼玉新都市交通は要請元のさいたま市も3%を出資する第三セクターではあるが、JR東日本も35%出資しており、影響が大きすぎるので設置は厳しいとの懸念もある。
名称未定(宮原駅 - 上尾駅間)
上尾市南部およびさいたま市北区北部は住宅密集地で人口は多いが、上尾 - 宮原間は距離があり、公共交通として路線バスが日中10分おきに走るほどである。しかし、駅の位置や駅建設のための土地収用の手段などはいずれも未定である。線路沿いは住宅街が連続しており、用地捻出も困難である。
「みなみ北本駅(仮称)」(桶川駅 - 北本駅間)
圏央道との交差予定地点に設置する。新駅予定地に近い北本市二ツ家に国際興業バスが運行する深夜急行バス「ミッドナイトアロー上尾・鴻巣」の停留所が既存駅以外で唯一設けられている。北本市が建設に意欲的で、2005年には市長自ら高崎支社を直接訪問している。高崎支社は、圏央道の開通が絶対条件との回答を行った。さらに、圏央道および圏央道と桶川市で接続する予定の上尾道路の建設がオオタカの問題で双方共に遅れており、圏央道が予定通り着工されるかは未定である。
「西熊谷駅(仮称)」(熊谷駅 - 熊谷貨物ターミナル駅間)
熊谷市の構想だが、近年は消極化の傾向にある。
北藤岡駅」(新町駅 - 倉賀野駅間、八高線)の高崎線ホーム[6]
駅自体の利用者数は少なくはない。
名称未定(倉賀野駅 - 高崎駅間、高崎操車場跡地付近)
高崎市の構想。高崎操車場跡地を再開発する計画を立てており、そのアクセスのため、新駅の設置を検討。[7]

脚注

  1. ^ 上野 - 大宮間で「高崎線」と呼ばない例として、京浜東北線南行は車内の浦和駅乗り換え案内で高崎線から直通する上野行きも含めて宇都宮線のみと案内している。この措置は、与野駅北浦和駅からの乗客が浦和駅で大宮以北に向かう下り列車にも乗換えが可能と誤解を与える可能性を排除するためのものである。
  2. ^ 現在は排水路として利用。現・元荒川は直線化された。
  3. ^ 東京新聞浦和支局 (編) (1987). 埼玉事始―さいたまいちばんものがたり―. さきたま出版会. pp. 214p. ISBN 4-87891-033-X 
  4. ^ a b 川上幸義『新日本鉄道史』 〔下〕、鉄道図書刊行会、1968年。 
  5. ^ a b 原則として小山車が国府津車運用に使用されたり国府津車が小山車運用に使用されることはないが、ダイヤの乱れ・車両トラブルなどの理由により突発的に使用される場合がある。このほか、2004年7月から2006年2月にかけて国府津車の一部が小山車両センターに貸し出され、当該編成は高崎線の小山車運用にも使用されたほか、2006年3月18日から同年7月8日改正にかけて、同年1-2月に落成した小山車の一部が、2008年2月には一時的に小山車付属編成1本がそれぞれ国府津車両センターに貸し出され、当該編成は高崎線(湘南新宿ライン)の国府津車運用にも使用された。
  6. ^ 市長へのメール H16_No.0025(藤岡市ホームページ)
  7. ^ 高崎操車場跡地周辺土地区画整理事業』(高崎市ウェブサイト)より。

関連項目

外部リンク